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【小説】カラマーゾフの姪:ガチョウたち(4)

割引あり

○舞台:2020年の喫茶店。

○一台のパソコンの周りに四人の若者。

○人物
彩田あやた守裕もりひろ:大学院で数学を研究する院生。
曲丘かねおか珠玖たまき:ITフリーランスの女性。彩田の最近の友達。同い年。
弥生やよいけい:彩田の従弟。大学2年生。パソコンで困って相談。
小芳こよし勝市かついち:弥生の友達。アーカイブに興味がある。曲丘にITの技量を試されていた。

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「デジタルアーカイブには必要のない知識ですよ」
「……なんで分かるんですか」
「最低限のことは分かりますよ」
「……だからなんで、どうして最低限のことが」
「まあアーカイブ学は専門ではないですが」
「そっちじゃなくて」小芳こよしは大きくなる語気を抑え気味に言って画面を指さした。「こっちです」
「…ああ失礼。…仕事で知ってるだけです。流行ってるんですよ。……さて、……どうしましょうか……」曲丘かねおか弥生やよい彩田あやたも一瞥して、小芳を視界に入れたまま茶を飲んだ。「けいさん。………たぶんですが、これは運が悪かったです。暗号化プログラムの方ではなく、誘導した方のプログラムが、ゼロデイだったんでしょう」
「…ぜろで…?」
「ええ。発見されてから一日も経っていないのでゼロデイと言いましょうか、セキュリティベンダーが見つけていなかったから、あるいは見つけても対応が遅れていたかで、検出用データベースに載ってなかったんです。それで検出できなかったんでしょう」
「……セキュリティソフト入れてても駄目なんですか」
「……ええ、……セキュリティソフトは、百パーセント検出できるわけではないんですよ。そして九十、八十でもない。入れてるからと油断してはいけないのです。……まあ油断してなければ気づけるというものでもないですが」曲丘は弥生が視線を下げてから続けた。「今日すぐにとはいきませんが、残っているデータはありそうですので、私の方で洗い出してあげましょうか」
「……えっと…どうやって……」
「そうですね。………彩田さんに預けるのはどうですか? 彩田さんにこの端末を持ってもらって。私は彩田さんの前でしか操作しない。……ファイルの中身とかも確認しません。それなら……プライバシーは最低限守られるのではないかと」
「…ちょっと待って。僕は曲丘さんが実行することをほとんど理解できない」
「その時は逐一説明しますよ。今日は省略したことも。………その後で、彩田さんの前で物理的に破壊します」
「…それは、…曲丘さんにとって負担が大き過ぎない?」
「………構いませんよ。仕事で慣れてますし。これも何かの縁です。…それと、この端末、十万円で買い取らせてください」
「………ぇ、じゅ、十万…」
「ええ。仕事ですから。私は今度のプログラムの検体が欲しいのです。それと色々な部品も。ハードディスクは勿論破壊して破棄しますが、他の部品は使えますし」
「………え、……でも……」
「まあ、そういう建前もありますが、………恵さんも、新しいPCを買う軍資金はあって困らないでしょう。……それとも安い買い物ですか?」
「いえ、……高い買い物です」
「なら贈り物だとでも思ってください。それは本心です。……いかがですか?」
 弥生は躊躇いながら調音しかねていた。
「足りなければもう少し出しますけれど……」
「いえっ、大丈夫です。……大丈夫です。……ただ…」弥生は俯いた。不織布の下で口は動かしていたが、発音することはなかった。
「……まあ、今日初めて会った人間を信用してくれとは言いませんし、とりあえずどうするかは、今日の最後にまた決めましょう。先に新しい端末を買いましょう。オンライン授業とかもあるでしょうし、善は急ぎましょう。……ただ最後に、………深くは尋ねませんが、……ちょっと気になるので参考程度に。ゼロデイというのが気になります。……何か心当たりはありますか?」
「……心当たり……?」
「誰かに狙われたか、不特定多数に向けられた地雷を踏んだか……どっちだろうということです」
「ああ……そういう…」
「こう言っては失礼ですが、……学生を脅迫して、本気でお金を引き出せるなんて期待しないわけですよ、冷静に考えれば。本気なら都会の金持ちを狙う。賢い人間は多いですが、たまに運がいいだけで成った人間もいる。そういうのを店とかカフェで見つけて狙う方が、見返りはありそうではないですか? ……折角のゼロデイを、わざわざリターンが期待できない学生に放出するのはどうかというわけです。不特定多数に向けられたものなら、運がよくなかったとまとめられますが、誰かに狙われたなら………金銭目的じゃないかもしれませんから。……まあ無理には答えなくても結構ですが、………身近にできそうな人はいますか?」
「えぇ……まさか……。……いない……と思いますけれど」
「できそうな人ですよ。やりそうな人ではなくて」
「それはどういう……」
「動機なんて事実に比べれば大した問題じゃないってことです」曲丘は弥生を見ていたが、それでも他の二人も視界の端に置いていた。「やりそうな人ではなくて、やる技術がある人は身近にいるかということです。あるいは、あなたの知り合いで、一番ITの技術力が高い人はできそうですか?」
「………できないと思います。……だって、小芳君だし」
「えっ、俺!?」
「だから、ITの強い人って言っただろ。疑ってないよ」
「ああ、そう」
「………恵さんは、…優しいですね。私だったらもっと疑いますよ」
「え」
「私は疑ってますよ、今でも。さっき小芳さんが正解できなかったから、彼はそこまでの技術が無いと、あなたは判断したのでしょう。けれど、解析できない技術力の低さを演技していただけかもしれませんよ」
「は…、……それどういう意味ですか」
「……私は、ただ目の前の事態の可能性を客観的に言っているだけですよ。それがどんなに小さな確率で馬鹿馬鹿しくても、最後まで信じないのが私のやり方です。……私がこの喫茶店に呼ばれて、男の子三人と会っている。……この状況を説明できる可能性は四つ。小芳さんも恵さんも彩田さんもグルで、私を誘い出した可能性」………小芳が困惑のあまり怒りを減じたのを気にせず——彼女は続けた。「恵さんとあなただけがグルの可能性、これが一番高い」
「は?」

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