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71歳の父を知り、日本の社会のことを考えてみた

私の父は昭和27年生まれの辰年。生まれも育ちも兵庫県神戸市で、今も市内に住んでいます。市内の道は全て把握しており、私が帰省した時も「○○行きたい」と言うと一番最短のルートで、しかも一番降りやすく近い場所まで送ってくれます。娘の特権で36歳にも関わらず、70歳を超えたおじいさんに運転をさせています。ハタから見たら「運転手、逆やろ」ですが、私にとってはいつまでも頼れる大きな存在の父なのです。

そうは言っても、71歳なので立派な後期高齢者です。帰る度に、父のおじいさん感は増しています。目も悪くなり耳も遠くなりちゃんと71歳。私にとっては大きな父の存在だけど、他人から見たらただのおじいちゃん。
ありふれた言葉ですが、あと何回一緒に食卓を囲めるのかなって会う度に胸がぎゅっとなります。

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父は自営業を営んでおり、母はそのお手伝いをしています。46歳の時に今住んでいるマイホームを買い、もうすぐローンの支払いが終わります。そのため今も現役で働いています。他の70代の方のように、父も元気なおじいさんのグループです。

父はいわゆる戦後生まれのおじいさん代表で、生粋のテレビっ子です。家にいる間はずっとテレビを見ており、会話も頑固ジジイそのもの笑。父の実家は裕福ではなかったので、ずっとテレビが買えなかったんだと思います。7,8歳離れた姉や兄は、シングルマザーの母を助けるため早くから働いたそうです。家にはずっと1人。犬が唯一の話し相手で、少年Hとゆう小説をボロボロになるまで繰り返し読んでいたそうです。

父が10代の頃には神戸の三宮には、怪我をした兵隊さんがたくさんいたそうです。元OPAの地下の入り口のところに足や腕のなくなった兵隊さん達。
また市内には、今以上に多くの外国人の居留地がたくさんあったそうです。たくさん壊されてしまい、今の数まで減ったと言っていました。外国人(たぶん西洋人)のメイドさんに「キャンディー」「チョコレート」と言って、お菓子をもらっていたそうです。たまに貰えるが、だいたいは「キッと睨まれてドアを思い切り閉められた」と言っていました。

父も家計を助けるべく、中学生の頃から働きます。湊川とゆう場所があるのですが、そこは大阪でいう西成のような所で、当時は日雇いの仕事を募集していたそうです。朝早くから大人の中に混じって仕事をもらっていたそうで、車に乗せられ現場に行き力仕事をしていたそう。
冬の朝は寒いから道の真ん中で大きな焚き火があったそうです。そこには仕事を求める人たちや、野良犬や野良猫も暖を求めに来ていたと言っていました。そこで焼き芋も食べたらしい。

中学を卒業すると同時に、他の兄弟と同じく働く予定だったそうですが「お前は高校に行け」と言われ工業高校に行きます。高校卒業で東京に行き、そこで大きな武装事件が起きます。朝起きたら家の前の道に、大勢の武装した警官がいてびっくりしたそうです。
日本の政治は田中角栄や池田勇人が首相になった頃です。日本列島改造論や所得倍増計画など、日本がグングン勢いに乗っていた時です。少し戻りますが、父は高校生の時に大阪万博に行っています。日本の明るい未来を信じていた20代だったと思います。

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話はめちゃくちゃ変わりますが、最近ではテレビ離れが進んでおり、ネットとテレビを見る世代間で情報格差があると言われています。実際に私の家にはテレビはありません。ネットで海外のニュースも見るようにし、マスメディアでは扱わないことも知ろうとしています。一部ではありますが、主婦なりに知れる範囲は広げようと思っています。

しかし一方父は、テレビ100%のおじいさんです。テレビに憧れ、テレビが娯楽で、テレビが全ての人です。今でも実家に帰ればサンテレビやカンテレが流れており、大阪万博や関西のグルメスポットが延々と流れています。新聞も読んでおり、ネットで情報収集をしている私にとっては偏った考え方をしているなぁと思うこともしばしばあります。

そう言う人を世間では”老害”とか”テレビしか見ない層”とか言うのでしょう。まぁ確かに間違いではないでしょうが、父を見ているとそれだけでまとめるのはちょっと悲しい気持ちになります。
日本は戦争で負けて、周りの大人達はその日から言うことが変わって、貧しくて、一生懸命生きていた。自分達は豊かになれると信じて、24時間がむしゃらに働いて、消費社会に突入し、念願のテレビやマイホームやマイカーを購入し、温もりのある家庭を築いてきたのです。

私は父が幼少期から理想としていた家庭に生まれ育ちました。お父さんが働いて、お母さんが家にいて、毎晩家族みんなで食卓を囲みました。やりたいことはやらせてくれて、学ぶ機会も与えてくれ、短大まで行かせてくれました。決して裕福ではなかったけど、豊かな環境で生きてきたことには違いがありません。

きっと世代間の格差はこれからも広がっていくでしょう。でも私は親の世代のことは理解してあげたいと思っています。それは親が苦労して今の私の土台を作ってくれたと思っているからです。
どうしても大きなマス層で見ると「これやから老人は…」とか「最近の若者は…」とかそんな論争になりがちです。でも個人まで細分化すると、それぞれの背景がありそれぞれの事情があります。
そんな当たり前のことを、父を通して学んでいます。これからも元気で長生きしてほしいなぁと思っています。


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