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老いて夫婦で暮らすということ②

今回お話しする夫婦は、二人とも認知症のご夫婦。
とはいえ、会話は成立するし、ADL(日常生活動作)も自立しているご夫婦です。もの忘れや、判断能力、少し足腰が弱っているお二人。ご夫婦だけの生活では心配と、ご家族の強い希望から押しきられ、サービス付き高齢者住宅へ二人で入居されました。
お二人としては、住み慣れた家で暮らし続けたかったので、不満ありありのお引っ越し。
サ高住へ入居後も、思い立ってタクシーを呼んで家に二人で帰ってしまわれることも度々あり、「いなくなった!」と、大騒ぎになることもありました。
ご主人はいわゆる亭主関白で、超頑固親父。
今まで思いのままに物事を決めてこられ、ご主人がルールブックのご家族。
娘さん曰く「母は父の為に、ずっと自由の無い生活をしてきました。本当は、もっと母を自由に生活させてあげたいんです」
と、話されていました。

娘さんはお母さんの事が大好きで、本当は、一緒に旅行にでかけたり、親孝行として、母が楽しむことをしてあげたいと思っておられました。
しかし、お父さんは、お母様を完全独占状態。
妻は自分と常に一緒にいるのが当たり前!といったスタンスがずーっと続いてきたのだそうです。
ご主人のお許しが出ない限り、奥さまがお出かけしたり(ご主人抜きで)できないのです。

それなら!と、ご両親一緒に連れていこうとしても、お父さんが「行かない」と言えば、それで話は終わり。
そして、ほぼ誘っても行くとは言わないらしいのです。そんなご両親を見てきた娘さんは、お母さんの人生を憂いておられました。

しかし、私たちが訪問時にお見かけする奥さまは、いつも朗に笑っておられて、怒鳴るご主人、又は不機嫌なご主人を前に、
「あらあら、お父さん、そんな怒っちゃだめですよ」と、穏やかに嗜められていました。
『いつものこと』
いちいち気に留めていない。
そういう風に見えました。
そして、いつも同じベッドで、二人で寝ておられるのです。

住み慣れた家を離れて、サ高住の自室という限られた空間。奥さまのデイサービス利用も、ご主人は許さず、勝手に出掛けても、皆が大騒ぎするとなると、やることが無いのでしょうね。

寝るしかない。



お掃除はヘルパーさんが、お食事はサ高住で用意してもらえる、他の住人の方と交流しようにも、このご主人、他の人にも怒鳴ったりするので、食事で食堂に出ても二人きり。
本当に、寝るか、テレビを見る以外やることがないのです。

寝室事情はご家庭によって様々ですが、このお宅はダブルベッド一つに夫婦で寝るスタイル。
いつも訪問すると、寝室で二人で寝ておられ、実に仲睦まじい光景だなあと思って私は見ていました。

とはいえ、ずっと寝てばかりで、外部の刺激が無い状態が続くと、認知症の進行を早めます。自宅から離れた事で、奥さまは家事という仕事を失い、刺激が激減したせいか、奥さまのほうの老いが目に見えて早まってきました。

まず、奥さまの失禁が増えました。
その、汚れたパンツ(パンツタイプオムツ)を、あちこちにしまいこむ。ベッドの下や、クローゼットの中などにそのまま入れるので、部屋に尿臭が常に漂うようになりました。
そして、足腰が弱ってよく転ぶようになりました。
そうなっても相変わらず、妻に怒鳴る、威張る夫の姿勢は変わりませんでした。
でも、一緒寝ることを拒否することはありませんでした。
尿失禁していても、ベッドを別にしてほしいとは言われず。尿臭の部屋についても、特に触れられることはありませんでした。
老いると嗅覚も鈍くなるので、私たちのようには感じておられなかったのかもしれません。
転ぶ事に対しては、「なにやってるんだ!しっかりしろ!」というような叱責はされていましたが、失禁に関しては特に言及される様子はありませんでした。

奥さまは認知症が進み、会話も曖昧な相づちのみになってきましたが、相変わらずいつも穏やかでニコニコされていました。
奥さまだけデイサービスや、老人ホーム入所させる話も家族間では検討されていましたが、やはりご主人の同意が得られず、そのままの環境、支援体制が続いて行きました。

一方、ご主人の方は、持病があることもあり、体調はあまりよくない様子でしたが、住み慣れた家を離れても、いつも一緒にいる妻が側にいて、家事などを元々していた訳ではないので、家にいても、サ高住に入っても、上げ膳据え膳特に変わらず。
マイペースで暮らせているせいか、さほど認知状態に変わりはありませんでした。
それが変わり始めたのは、奥さまの転倒が増えて、腰の痛さから奥さまが動けなくなってきた頃。
ご主人への訪問看護師の時間には、ご主人はいつも泣きながら、奥さまが動けなくなってきたこと、転んだ時に自分が力が無いために、起こしてもあげられないことなど、奥さまの心配事ばかりお話しされます。
そして、「たのむから、あいつを助けたってください」と、泣きながらお願いされるのです。

そして、奥さまはある日の転倒で、高齢者の骨折しやすい四大部位の一つである、大腿骨近位部骨折(太ももの付け根)をされてしまい、入院になり、手術を受けられることになりました。
入院、手術となると、術後のリハビリ期間も含めると、すぐには帰ってこられません。
ご主人は、泣き暮らし、みるみる元気が無くなって行きました。
そして、持病が悪化し入院され、奥さまの帰りを待たず、お亡くなりになってしまわれました。

奥さまのほうはというと、手術を経てリハビリ後、歩けるまで回復され、退院後はグループホームに入所され、いまでもお元気に、朗かに笑顔を見せてくださっています。

このお二人の関係を見ていると、亭主関白で頑固親父な御主人のため、自由がない人生を送ってこられた奥さまという見方をご家族はされていましたが、はたして本当にそうだったかな?と思います。
本当にその人生が嫌だと思っていたら、あんなに穏やかな表情で、認知症で自己の感情の抑制が効きにくくなってもそれが保たれていて、朗かでいられるって、難しいんじゃないかな?と思うのです。
本人は案外、そんな御主人と一緒にいることが幸せだったのかもしれません。
「知らんけど」ですけどね 笑。
本人からは、一回も御主人に対する愚痴や泣き言めいたことは聞いたことありませんでしたから。

御主人は、威張って、怒鳴って、言うこと聞かせて、そんな自分にでもいつも従って、ついてきてくれていた奥さまが、心の拠り所だったのでしょう。
デイサービスに行かせないのも、自分から離れる事を許さなかったのも、大好きすぎて心配だったんだろうなと思います。
一緒にいることで、守ろうとされていたのかな?とも思います。
だから、転んだ妻を助けられなくなった時、守ってあげることができない事が悲しくて情けなくて、辛くて、毎日泣いて、頑固で威張り散らすどころか、他人に頭を下げてでも、妻を助けて欲しいと願われたのです。

ご主人は自分勝手ではあるけれど、奥さまのことを想っているということを、奥さま自身はわかっておられたから、あんなに穏やかだったのかなぁ。

愛ですね♡



周りには解らない、二人だけの絆というものが、お互いの老いを一番近くで見て感じてきたいる長年連れ添った夫婦にはあるのだろうと感じます。

ご主人は旅立たれてしまいましたが、残された奥さまは、今度は今まで叶わなかった子供たちからの親孝行を受けて、色々な場所に連れていってもらえるでしょう。

亡くなる順番は、偶然そうなっただけかもしれませんが、みんな丸く収まるように、亡くなっていく人は解っているような気がします。

科学的根拠も何もないことを書きましたが、人の最後のステージに多く関わってきて、そんな風にいつも感じます。

老いた夫婦が二人で暮らす危なっかしさから、周囲の人間は心配して、転ばぬ先の杖を差しだしたくなりがちです。
でも、慌てず、見守りながら、必要な分だけ手を貸すようにするのが丁度いいのではないでしょうか。

高齢者は変化に弱いので、できるだけ暮らしてこられた環境を変えずにいられることが、一番穏やかでいられるような気がします。

とはいえ、色んな環境の方がおられるので、一概には言えませんが、正解は一つではなく、そのご老人個々の状況に合った環境というものを、しっかり向き合って考えていきたいですね。
自分自身の老いた後の事を考えて、周りに話しておくのも、ご自身が老いたときに周囲の判断材料になるので大切です。

もっとフランクに老、病、死について語れる世の中になって欲しい。そう願います。


今日はここまで。

次また夫婦について書くか、それとも違うお題が書きたくなるか、気分で更新していきます。
読んでいただきありがとうございます。



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