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かわるんだ

■2019/05/01 テーマ「新元号」


 ゲンが腕時計に目を落とすと、「1158」という数字の並びが目に飛び込んできた。あと二分か、と独り言が口をついて出るが、海鳴りのような音にかき消されて空気に溶けた。音の正体は、サーバーの冷却ファンだ。

 ゲンがいるのは、深夜零時前のデータセンタだ。ここには、ゲンの会社が運用を請け負っている会社のセンターサーバが置かれている。SE、つまりシステムエンジニアのゲンは、障害起きた場合の対応要員として、誰もいないデータセンタのサーバルームに待機していた。

 日付が変わると「平成」が終わり、「令和」がやってくる。記念すべき日なのだろうが、時代が変わる瞬間、ゲンは仕事をしていなければならない。担当しているシステムの一部に元号を使っている箇所があるので、不具合が起きてサーバが正常動作しなくなると翌日のサービス提供に影響する可能性があるのだ。日が変わったらすぐにテストプログラムを動かして、正常動作を確認しなければならない。

 ただ、システム上、元号を使っている部分は、はっきり言ってサーバの挙動には影響しない箇所だ。問題が起きるはずもないのだが、クライアントのお偉いさんの、「何か起きるかもしれないから」という意味のわからない意向だけで、ゲンは6時間も待機させられている。

 大学を卒業し、就職してから十年。同じような生活がずっと続いている。自分が生まれ、生きてきた平成という時代が「一世代前」と呼ばれるようになるのは不思議な感覚だが、何か生活が大きく変わることはない。世間が連休連休と騒ぐ中、ゲンは明日もいつも通りに仕事をし、終電で家に帰る。昨日も、明日も、何も変わらない。

 あと三十秒。
 三、二、一。

 メインサーバが自動的に起動して、動作を始める。おかしな様子はない。テストプログラムも正常に動いた。最初からこうなるとはわかっていたものの、とりあえずホッとする。

 作業を終え、休憩に入る。サーバルームを出て私物の携帯を引っ掴み、いそいそと喫煙所に向かう。煙草を咥えつつ事務所に電話をして特に問題がなかったことを報告すると、上司が「もう少し頼むな」と珍しく優しいことを言った。作業は終わりだが、ゲンはこのまま寝ずに待機だ。明日の朝5時にきっちりサーバが商用モードで起動するのを確認するまで帰れない。

 上司との通話が終わると、すぐにまたスマホが振動した。画面を見ると、ユウからだ。二年ほど同棲している交際相手である。

「ハッピー令和、おめでとう」
「おめでたいのかなあ」

 普段は日が変わる前にさっさと寝てしまうユウも、さすがに今日は起きていたらしい。二言三言どうでもいい話をして、ゲンは「おやすみ」と言おうとした。

「今、言うことじゃないかもしれないんだけど」
「ん?」
「その、できた。子供が」
「へ?」
「平成仕込み、令和元年生まれの子だよ」

 スマホの向こうで、産んでもいいかな? とユウが囁く。どこか不安げで、どこか期待に満ちているようでもある。少しの間、意味がわからずにいたが、あ、俺は出来婚の父親になるのか、とようやく理解した。

 もちろん、と返事をすると、早く帰ってきてねパパ、と、ユウは笑いながら通話を切った。
 
 そうか、変わるんだ。
 時代も、俺も。
 
 ゲンは、タバコ、止めるか。 と独り呟きながら、最後の煙をゆっくりと吸い込んだ。

小説家。2012年「名も無き世界のエンドロール」で第25回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。仙台出身。ちくちくと小説を書いております。■お仕事のご依頼などこちら→ loudspirits-offer@yahoo.co.jp