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暗い人格


楽しい事を考えることが苦手だ

楽しい事を考えることが苦手だ
下手に出す。一人で楽しんでも他人に共感してくれないと自己満足になる。
又はされる可能性になる。

楽しいことはみんなですることになる。
それはみんなで楽しいことを共感しないとならない、と言う事になる。

他人と話が合わないことは苦痛に近い。
合わせててもだ。時に人の話ばかり聞いてて、充実してても、それのみで何も話せれないのはやがて苦しくなる。

何か言われて、悲観的になるとおかしくなることも多い。
上手く言っている人の自慢話が浮かぶ。
こういう時に限って人に頼ろうにも頼れない。
今のように分書いて言ってくしかない。

今まで生きてきた。
その過程で、他人は自分が明るい事しか求めてなかった。
暗くなったのもある。それで段々と人が離れていくのだと思う。
逆に明るい話は何?となると無かったりする。

楽しい話はほとんどが自己満足な物で、他人と共感できるものではない。
「抱え込むな」といわれても結局抱え込む可能性が高い。
今では福祉の相談員が相談事をする話が多いが、結局は彼らは仕事でそうしているのみだ。

時間外になると、あてにならないことを思い知らされる。
「楽しいことはあるさ」と言われても、無い。
ラジオを聞いて笑う事もあるだけだ。

昔の事

高校時代、笑顔や明るい事ばかり求められていた。
きつかった。当時相談員もいなかったし。
その前は明るくても、言葉の表現が下手で相手にもされてもなかった。
勘違いも多く、人には信用されてもなかった。
ましてや会話の相手にもされていないこともあった。

今でも、明るいことはともかく、笑顔を求められると嫌だった。
踊り団体にいる時にそれを求められて辛かった。難しいなと思った。

その上、小学校の時代、女子に嫌われてた。
嫌われるうえに「お前、あいつのことすきなのだろ?」と言われるとムキになった。

そして、自分に関心持ってくる女子いると神経質に反抗した。
これは中学校時代と思う。自分に関心持たれるたびに、ムキになり怒った。
当時の世間一般では考えられないと思ったから。

小学校6年の時に好きだった祖父が亡くなり、ヤケになった。
5年生の時に泣かした女子が面倒みてきた、哀れと思ったのだろう。
庇護されるのは良かったが、その反面、主体性を奪われるのではないかと思い、反抗して嫌われた。

自己表現力が乏しかった結果と思う。

つくづく、明るい無い事、笑顔のできない人間はダメと思った。
バカな学校行くと、アホなヤンキーもどきが享楽的に人気者になり、ひたすら明るい事のみを求めてくる。自分が人気者になろうとすることと同時に。
楽しい事や笑顔の強要は拷問だった。



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