読書記録(02)川端康成『千羽鶴』

*結末に関するネタバレを含みますのでご注意ください*

『古都』につづき川端康成作品を手に取ったが、この『千羽鶴』は非常に難解だった。

表面的な筋書きだけなら簡単に理解できる話で、主人公の男「菊治」が、亡き父のかつての不倫相手「太田夫人」と情交を結んだものの、夫人は自殺する。その後、その娘「文子」とも雲雨の夢を見るが、直後、文子は姿をくらました。ただそれだけの話。

言わずもがな、川端は、このストーリーそれ自体を表現したいのではない。この中で描かれる「美しい存在がもつ罪深さ」と、「美しい存在の誘惑に抗えない人間がもつ業(ごう)」を描いている…のだと思うが、正直言って、自分のリテラシーではその深淵まで洞察できない。

はっとさせられる表現は随所にあるが、とりわけ力強く傍線を引いた箇所は次の部分。

親しい人、愛するものほど、思い描けないのかもしれない。また醜いものほど、明確な記憶にとどまりやすいのかもしれない。

『千羽鶴』P151

美しい存在として描かれる太田夫人も文子も、すぐに姿を消した。「思い描けない」どころか、存在そのものが儚い。一方、「ちか子」という途轍もなく図々しいおばちゃんは、本作の中で逞しくいきいきとしており、菊治のまわりから離れない。この辺の対比が、本作の主題とかかわる部分と思われる。

ただ、同じく美しい存在の象徴である黒織部の茶碗(※登場人物たちは茶道を嗜んでいる)は、菊治たちの手から離れたものの、物質として存在しつづけている。ゆえに、「美しい=儚い」の単純な話でもないようで、読者としては頭を悩まされる。

まして、どのように考えても、なぜ『千羽鶴』という表題になったのか、作者のねらいが計りかねる。千羽鶴の風呂敷は、たしかに作中には出てくるものの…。

『千羽鶴』の続編として書かれた『波千鳥』も同じ文庫本に収録されていたが、こちらは、北九州の旅絵巻として書かれた感。ただし、物語のキーとなる先述した黒織部の茶碗が、主人公たちの手を離れていく点は、本作の核心にかかわる重要シーンだと思う。

ところで、私が手にした文庫本は、令和5年11月発行の新版であり、巻末に作家の恩田陸氏の解説が付されている。この解説文は、本作の理解を大いに助けてくれる、非常にありがたいものだった。

川端康成という作家は、一生をかけて、結局「人はなにものも所有することはできない」ということを書き続けた作家であったという気がする。それが分かりやすく顕れているのが、この『千羽鶴』なのではないかと思う。

…等、わずか7頁ながら、実に透徹した眼差しで川端のことが語られている。一読の価値あり。

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