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言葉足らず。

父が怖かった。

どこに地雷があるか分からないから、接しにくくて付き合いにくかった。暴力が嫌いで殴る人ではなかったが、不機嫌をぶつける人ではあった。父よ、息子はそれも暴力だと思います。

3歳頃のこと。夕食時に、父の機嫌を損ね、食卓ではなく、お盆に夕食を乗せて、洗濯機の上で食事したことがある。3歳児相手に、何をしているんだ、父よ。

小学校低学年の頃。やはり夕食時。母の作ってくれた夕食に不満は、もちろんない。美味しい。ただ、ふりかけも出したら、なお美味しい。「ふりかけ出していい?」と母にたずねた。もちろん、YESだ。

父はそれが面白くない。「出されたもので食え」と、不機嫌さをぶつけ、私と母を黙らせる。

「飯を食うと疲れる」と、母をがっかりさせたり、キャラメルコーン食べてる人に言われたくない。父よ、小学生だけど、息子は知ってるんだからね。そもそも、「まずけりゃ食わねぇ。食べたら美味いってことだ」とか言ってるじゃないですか、父よ。

「お母さんが栄養バランス考えて用意してくれたのだから」でもいいし、「お父さんは、こういう価値観なんだ」でもいい。相手に分かるように伝える姿勢がない。言葉が足りなすぎる。

そんな父だが、憎んではいなかった。そういう人だと理解していたし、父とはそんなものだと思っていた。

年下のきょうだいの出産で、母が家を留守にした間、私は父と二人で暮らした。母が大きなお腹で、レンジで温めれば食べられるようにと、日数分父と私の食事を用意してくれたのに、冷蔵庫にそのまま残っていたらしい。

洗濯はやったが、干し方がひどく、ヨレヨレの状態で乾いたらしい。

当時住んでいた団地の近くに、美味しいお寿司屋さんがあった。テイクアウトも出来る。そこに連れられて、父と買いに行った記憶は残っている。

まだ若く健康で、すこしだけ気難しい父と、4歳児の小さな足で一緒に歩いた思い出は、温かな記憶として残っている。4歳児なりに感じた、父の穏やかさと幸福が、そこに確かにあったから。

Thank you for taking the time to read this.