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おにぎりのおじいさん、光るおじいさん

まひるまの京急線に乗っていた。

わたしは京急線をひそかに支持している。一部にはどうしたのだと問い詰めたくなるような名前もあるものの、押し並べてすばらしい駅名が多い。
黄金町、日ノ出町、生麦、花月総持寺、八丁畷、六郷土手、雑色、梅屋敷。なんとかヶ丘とか、ひらがなの花の名前とか、そういうたいくつなものに変えられることがないように、ぜひともこの名前をずっと聞いていたいものだと思う。

あたたかい日で、電車の窓があけられていて、そこから強い風がときおり吹き抜けていく。
普通電車の座席は、半分くらいは空いていた。神奈川新町(この駅名は特筆すべき点はないものの、まあ実直な名前ではある)からおじいさんが二人乗ってきた。わたしの向かいの赤いシートに、ひとつ分空白を開けて二人は座った。歳のころは75から80くらいだろうか。二人とも同じくらいの背丈で、上下とも黒っぽい服を着ている。こんなふうに書くと、二人はとても似ているように聞こえるけれど、対照的な二人だった。

右側のおじいさんは、短く刈り上げた白髪頭で、黒いズボンに黒いジャンバーを着ている。手には白いエコバッグのような綿のかばんを握っていた。
左側のおじいさんは、長めの黒い髪を櫛でていねいに後ろに撫で付けている。髪はきれいに染められているようだった。黒いダウンジャケットの下には、上下の黒いウールのスーツだ。ワニ革のセカンドバッグを持っている。

右のおじいさんは、白いバッグから何やら取り出した。アルミホイルに包まれたそれをゆっくりひらくと、さらにラップにくるまれた白いおにぎりが現れた。開いたアルミホイルを壁のようにたてて、その影に隠れるようにしておにぎりを食べる。どんなおにぎりなのかぜひとも見てみたいと思うが、アルミホイルの衝立に阻まれて見えない。おじいさんは一つを食べ終え、もう一つを取り出して同じように食べる。海苔の巻かれていないおにぎりと、その中身のシャケがアルミホイルの間から見えた。次には温州みかんが取り出された。みかんの皮を剥いて、ひとふさずつ食べて、おにぎりのアルミホイルと、ラップと、みかんの皮はビニル袋に包まれて再びかばんに入れられた。

その間、左のおじいさんはワニ革のかばんからメガネケースを取り出した。かけていたサングラスのがらすのところを茶色の布でぐるぐると拭いてケースにしまう。今度はふつうのメガネを取り出してかけた。そんなことをしている最中、目が離せないのが、手首についている腕時計だった。金色のそれは、ものすごく光っているのだ。金の腕時計の概念を解き放ってしまったように、輝きの極みのような光り方をしている。おじいさんが何かするたびに、必要以上にきらり、きらり、と光ってまったく遠慮というものがない。とにかくこのおじいさんは光るたちのようで、メガネのつるも光る。こちらは金ではなくて銀ではあったが、ものすごくぴかぴかする。

光る方のおじいさんは、今度はワニ革のかばんから真っ赤なネクタイを取り出して、結び出した。上手に結び終え、画竜点睛といった感じで銀色に赤い石のついているネクタイピンを留めた。これもまた非常によく光った。

おにぎりのおじいさんは、白いバッグからスマフォを取り出して眺める。右手の人差し指を伸ばしたまま、宙に浮かせて時折、液晶に指を滑らせながら熱心に何やらみている。
同じ頃、光る方のおじいさんもワニ革のかばんからスマフォを取り出して、同じように右手の人差し指を伸ばしたまま宙に浮かせて、液晶に時折触れながら熱心に見る。

車内には二人のおじいさんの指がそれぞれ一本ずつ宙に浮いたまま、何事も問題なく進行する。
ふっと気づくとわたしはうとうとしていて、顔を上げると電車はもう蒲田まで来ていておじいさんは二人ともいなくなっていた。ひらいた窓からふたたび風が吹き込んできた。

映画を見に行った。
映画は見にいくところから、映画だ。
一本早い電車に乗れたから、映画館が開く前についてしまった。近所を歩いて時間をつぶす。

風俗店が多く立ち並ぶこのあたりには、興味深い構えや言葉が溢れている。
すぐ近く同士にある風俗店がそれぞれ「この街で一番きれいなお店になりました」というポスターを掲げていて、これではどちらが一番きれいなんだかわからないではないかと思う。それに語尾の「なりました」がよくわからない。いつなったのだか、今はどうなのだか。なぜ「です」と言い切らないのか。

時間と値段が表に書いてあるのが標準的な看板みたいなのだけれど、肝心の「どんなサービス内容なのか」がちっとも書かれていない。お金を使う人たちは、これでどうやって選んでいるんだろう。気になるので、開いている扉の中を目を凝らしてのぞいてみるけれど、少し汚れた感じのスーツを着た男の人が掃除をしていて、興味を持っていそうなわたしを見ても何もいってくれない。

そういえば、どの店にも窓がいちまいもないのだった。
うちに帰ると、大きな掃き出し窓を開けた。
寛大な顔をして犬が尻尾を振って見せる。
窓からは、乾いた落ち葉の匂いと、水仙の花の香りが入ってくる。

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