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レタスのおへそ

まひるまの台所で、レタスの球をひらく。

レタスはとうめいのぱりぱりしたビニルに包まれている。あれはどうしてなのだろうか、レタスのおへそあたりのビニルのつなぎ目がぎゅっとくっついていて、気をつけて開いてもふかく亀裂が入ってしまう。
レタスのビニル袋はレタスの葉のように繊細で、ひらいてふたたび使うことができたためしがない。

レタスの葉は冴えざえとした青だ。
キャベツの外葉のように、相手を喰ってやろうというほどの力に満ちた青ではない。
どこまでも鮮やかの許容範囲をやや控えた色合いの青が続く。
一枚、一枚と葉をめくっても控えめにそのグラデーションはつらなる。

やわらかい葉と葉の間には空気がある。
葉をしずかにひらくと、レタスの葉の間にとどまっていた過去の空気が、現在の台所の空気とふれあう。
すこしの間、空気と空気はふれあったままじっとしている。そしてやわらかく溶け合う。
レタスにはいつのどこの空気がしまわれているのだろうか。

電車に乗ったとき、マジシャンのようなかばんを持っていた人がいた。
スーツをきっちり着た男の人で、髪の毛もきちんと撫で付けられていた。
わたしの向かいに座ったその人が膝の上に乗せているかばんが変わっていた。

全体がステンレスで、ステンレスにはピンポン玉くらいの大きさの穴が規則的に空いている。
そしてとにかくぎんいろのネジがたくさんついていて、どこをどういうふうに留めているのかわからないけれど、ネジの頭がぎんいろに賢そうに鈍く光っている。

その人はかばんを開いた。開き口も変わっているのだ。
ねじってひらく水栓のような、けっこうな大きさのステンレスの握り。
それをきゅっ、きゅっと回すとかばんが開いた。
そのかばんはまるで、子どもの頃に見たマジックの女の人がしまわれてしまう箱みたいだった。

マジックで箱にしまわれる女の人はたいてい金髪で、美人だった。
にこにこして箱に入って、箱の途中で切られたり、長い剣で刺されたりするのだ。
切られても、刺されても女の人はにこにこして、体と顔が分かれてしまったりしても箱の中でにこにこする。
男の人のふしぎなステンレスのかばんは、まるでそんな箱と同じ仰々しさだった。

その人がかばんを開けたとき、わたしはすごく集中して向かいから見つめた。
どんないいものが出てくるだろうか。
女の人は無理でも、うさぎや鳩やシルクハットくらいは入っていないだろうか。
あるいは何かとても不思議な、ちょっとわたしなぞでは思いつかないようなすごいものが出てくるのではないか。

ぱかんと開いたそのかばんには、内側は黒い光る布ばりで、その中にはふたつの長方形がだけが入っていた。
一つはみずいろの表紙の大学ノート。もう一つは本。
マジシャンのようなかばんには、ただノートと本だけがしまわれていたのだ。
みずいろの大学ノートの表紙には、黒い太マジックで文字が書いてある。
その文字をとても読みたかったけど、距離と角度によってそれは叶わなかった。

ふたつ目の長方形の本を取り出して、かばんは閉じられた。
膝に置いた四角いステンレスの鞄に両腕を乗せて、その男の人は本を読み出した。

がぜん興味が湧く。どんな本を読んでいるのか。
例えば『ユリシーズ』とか、あるいはプルーストなんかどうか、意表をついて『平家物語』とか。広辞苑なんていう手もある。

その人が手をすこし持ち上げた時に表紙が見えた。
『働き手不足1100万人の衝撃』

なるほど、と思う。それは確かに衝撃かもしれない。
その人はずいぶん衝撃を受けているように見える。
眉間に縦と横の両方に深いしわを寄せている。
口角にもぎゅっと力が入っている。
時折右手の親指と人差し指で目を押さえる。

「ステンレスの箱から取り出された『働き手不足1100万人の衝撃』」とわたしは思う。
「そしてそれを読む眉間にしわを深く寄せた人」とわたしは思う。

春の日はその本を読む男の人の後ろの大きな窓からたっぷり注ぐ。
注いだ日は車両の床に斜めに差して、その光も電車に乗って運ばれる。
膝にステンレスの不思議なかばんを乗せて『働き手不足1100万人の衝撃』を読みながら、しわを寄せた男の人も、その人をじいっと見ているわたしも電車に乗って運ばれる。

まひるまの台所に、四角い窓から日が差す。
春のはじめの光は、わたしの手の中にあるレタスの球にやわらかく当たる。

レタスにはしっかりしたおへそがある。
レタスを持つわたしにもおへそがある。
レタスのおへそは鮮やかに白いのだった。

手のなかのレタスはしん、と冷えている。
しん、と冷えたレタスにじっとやわらかい光が当たる。
光はずっと当たるのだった。

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