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ざらざら

雪が降るという。
おとといあたりからいろんな人が「週明け、こちらでも雪だそうですよ」という。
子どもの学校からも雪を警戒しているメールが届く。

朝、犬に餌をやるごろに空からなにやら降ってきた。まばらなので、雨なのか雪なのかよくわからない。スーパーに行くと月曜日だというのに、休日よりも混んでいる。雪だと言われるとなんとなく興奮してしまって、引きこもった時に食べたいことやしたいことが胸の中に湧いてくるのだろうか。雪の日に部屋で食べるには何が相応しいだろう。ひとつ78円の豆大福に目が留まる。立ち止まって、豆大福が雪の日にふさわしいか考える。目が留まったのはただ豆大福が好きだからではないかと思う。そして豆大福の外見と雪の日はつきすぎじゃないかと思う。豆大福は買わなかった。

家に帰ると、朝方よりも空から降ってくるものの速度が増している。買ってきたものを、冷蔵庫そのほかにしまっていく。わたしはこの作業がきらいで、買いものをしているうちに、帰ったらすぐさまこれらをしまわなくてはいけないのだと思い、だんだんくらい気持ちになってくる。めんどうな気持ちに気づかないように、すばやくしまっていく。ぶりの切り身は照り焼きにしようと思っていたから、しょうゆと酒とみりんに漬ける。


焼き豚にしようと買った豚のかたまり肉は、フォークで刺してから味噌としょうゆとはちみつを混ぜたものに漬ける。ぐにぐにとしたなまの肉に金属のフォークを突き刺していると、だんだん自分が自分の腿を刺しているように思えてくる。きっと自分の腿をフォークで刺したらこんな感触なのだろうと思う。きっと他人の腿を刺してもこんな感触なのだろうと思う。思いながらかたまりをゆっくり回しながらまんべんなくじゅうぶんに刺す。

窓の外に降っているものは、先ほどより重たそうに落下し続けている。間断なく降っているさまに目をやってしまうと、途切れないのでどこで目を逸らせばよいのかわからなくなってくる。どこで息を継げばいいのかもわからなくなってしまい、目を離せないまま息を止めて見入る。落ちてくるものの不意の隙をついて、目を離した。冷蔵庫に買いものした食品をしまいながら、お昼ごはんと夕ごはんの用意もする。昨日夫が城ヶ島で買ったという350円の真鯛があった。中くらいの大きさである。末の子が昨晩のうちに3枚におろしておいた。それとブロッコリでパスタを作ることにする。


その間に夕ごはんのおでんの下拵えもする。卵を茹でて、大根を米のとぎ汁で下茹でする。ブロッコリと大根は先日野菜の直売所で買った。ブロッコリは大きめの森林のようにりっぱで、大根は輪切りにすると切り口からたちまち水がにじみでる。にんにくと唐辛子をフライパンに入れて弱火で香りを出しているとなりで、大鍋に出汁をとって大根とゆで卵、結んだ昆布、こんにゃくをしずかに煮る。


ふたたび外に目をやると、落ちてくるものは大きく白みを帯びてきている。雪になりそうな、雪がひらかれたようなかたちのものが、並行な線を描きながら落下してくる。木のデッキの上にそれは次々と落ちてきて、いっときそのままの形でとどまり、こらえきれなくなったように少しだけ広がる。完全には広がりきらず、ざらざらとした粒子をデッキの上に残す。残されたざらざらは平らに広がっている。

パスタは上手にできた。試験休みの次男と休日の夫がパスタをしずかに食べる。
わたしはパスタを少しも食べたいと思わないので、ふだん通りぶどうパンを一切れトーストして食べる。
ぶどうパンは今日もおいしい。

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