幸福と時間

自分が今幸せなのか、イマイチ分からない。確かに眠る家もあるし、家族もいる。日々食事もできる。こうして、自分の時間の中で言葉を綴ることもできる。

ただ、何か心の中にわだかまりがあって、上手く先に進めないような、引っかかりの中で生きているような気がしてならない。自分の人生に余計な虫食いがあるような・・・そんな感じ。

人には何種類かで区分けできる人種が存在する。私見だけど。

自分の事を一番に考える人と、自分より人の事を考える人。そして、自分のことをしたいのにズルズルと周りに引っ張られてしまう人。

この3つが基本型だと私は思っている。その中で、自分が当てはまるのは、多分3つ目。優柔不断というか、収まりが悪い。

乗りかかった舟が、沖に出て、長い航海になり、いつの間にやら船長になっている。寄港した街で、腰を据えてやりたい事を見つけても、仲間や船を捨てる事が出来ず、悩みながらまた船に戻るが、割と心ここに在らずという状態に陥ってしまう。

船長を続けながら、日々次の寄港場所で陸に上がりたいと、陸の上に希望を見出していながら、それがいつもできない。そんな感じだ。我ながら、心境はドンピシャだな。

多分、自分の必要としているものが分かっていながら、今ここでなにもかもを捨てて行きたい。とは言い出せないんだ。

厄介だなぁ、自分。

何とか両立出来ないか?なんて思ったりしてね。だから人生に満足感が得られてないのだと思う。

やりたいことへのエンジンのかけ方は人それぞれだろうけど、エンジンのキーを失くしてしまったか、キーを探すのが億劫になって、無駄に時間を過ごしているような罪悪感もある。

じゃあ、やっぱり物理的な幸せの素材は満たされていても、内面の葛藤に揺れる自分の本心は幸せで満たされていない。

苦しいんだよ。ずっと。

達成感のない時間に自身を縛り付けているのが自分だと言うのに。あとどのくらい?と自分で疑問に思いながら、持っている時間を推し量っている。これからもずっと、苦しむべきなのか。殻を破る時間との闘いだ。

時間は嫌いだよ。進んでばかりで戻れない。一方通行だから、進むしかないのに、進みたくない時は何もしなくても時間だけが進む。未来の私が、私自身を引っ張り上げてくれないだろうか。そんな風に思うこともある。

無限の可能性の中で、有望株な自分にだ。パラレルワールドの中における、優秀な私が、ちょっと先で道案内してくれたらいいのにな。いつもそんな事を考えている。

基本やる気ないなって、完全に思われるけどね。でも、そんな都合のいい話が実際にあったら、私はまったく悩まなくていいからさ。そうしたら、私の幸福感は言われなくても高いまま推移して行くのだけどな。

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