女の子とウサとの哲学的会話「酋長の踊り」

〈登場人物〉
サヤカ……小学5年生の女の子。
ウサ……サヤカが3歳の誕生日にもらった人語を解するヌイグルミ。

サヤカ「今日学校で、『酋長の踊り』っていう問題を出されたんだ。ウサ、知ってる?」
ウサ「うん、知ってるよ。イギリスの哲学者マイケル・ダメットが提示した問題で、『ある部族で、成人の儀式としてライオン狩りを行う。村から狩り場に二日かけて行き、二日間で狩りを行って、そのあと二日かけてまた村にもどる。部族の酋長は、彼らの成功を祈ってその間踊りを続ける。酋長は、六日間踊り続けるわけだが、狩り場まで行くときと狩りを行うための四日間はともかくとして、最後の二日間は祈りを捧げる意味が無いんじゃないか。というのも、はじめの四日間で、ライオン狩りが成功したか失敗したかは決まっているのだから』ていう問題でしょ?」
サヤカ「うん、わたしこの問題、よく分からないんだ」
ウサ「どういうところが?」
サヤカ「だって、最後の二日間も踊り続けるなんて、全然当たり前なことじゃない? 酋長はライオン狩りが成功したかどうか知らないんだもん。だったら、成功していてほしいと思い続けて、踊りを続けるのは当然だと思うけど」
ウサ「ふふっ、確かに、成功したかどうかっていうのは、ライオン狩りに行った彼らが帰ってこないと分からないよね。だから、帰ってくるまでは、踊り続けるっていうのも一方では当然のことのように思われるね。でも、もう一方では、四日目が終わった時点で結果は出ているわけだから、もうそれ以上踊ってもしょうがないとも言えるよね。酋長の踊りだと、ちょっとイメージがしにくいから、例を変えるね。サヤカちゃん、昨日、漢字の書き取りテストがあったでしょう?」
サヤカ「うん、あったよ。100問の書き取りテストで、90点以上が合格なの。合格できないと、再テストがあるんだよ。合格してくれているといいなあ」
ウサ「まだ結果は返ってきていないのね?」
サヤカ「うん。来週の初めに返されるんだって」
ウサ「今、『合格してくれているといいなあ』ってサヤカちゃん言ったけど、今から合格を祈っても、それによって結果が変わるわけじゃないでしょ?」
サヤカ「うん、まあ、そうだね」
ウサ「でも、祈っちゃう?」
サヤカ「祈っちゃうよ、合格していますようにって」
ウサ「でも、祈ったからって、不合格のものが合格になるわけでもなければ、祈らなかったからって、合格のものが不合格になるわけじゃないよね?」
サヤカ「それはそうなんだけど、でも、どうしても祈っちゃうなあ」
ウサ「それってどうしてなんだろうっていうのが、酋長の踊りの話なんだよ」
サヤカ「うーん……どうしてかー……どうしてって言われてもなあ、自然にそうしちゃってることだから。もちろん、わたしが祈っても祈らなくても、テストの結果が変わらないことは分かっているけど、それって、そういうこととはまた違う気がするんだ」
ウサ「どういう風に違うの?」
サヤカ「えーっと……テストの結果を合格にしたいと思って祈るわけじゃなくて、テストに合格していたいって思うことがそのまま祈ることなんじゃないかな? 言っていること、分かる?」
ウサ「テストに合格していたいって思うと、それがそのまま合格していてくれますようにって祈ることにつながるっていうこと?」
サヤカ「うん。だから、酋長の場合はどうか分からないけど、わたしの場合は、あることが起こっていてほしいと思うときには、必ずそうなってくれますようにって祈ることになるから、そうならないことなんて考えられないと思うなあ」
ウサ「酋長の場合はどうかな」
サヤカ「ねえ、ウサ。この話の酋長だって、自分が踊り続けたから、若者がライオンを狩ることに成功して無事帰って来たんだ、なんていう風に考えているわけじゃないと思うよ。だって、これって成人の儀式なわけでしょ。だったら、ライオンを狩ることができるかどうかっていうのはその若者自身の力によるってしないと意味ないじゃん。そうじゃないと、この儀式って、酋長の踊りに、ライオン狩りを成功させる力があるのかどうか、確かめるためのものってことになっちゃうでしょ?」
ウサ「そうすると、酋長が踊る理由は、サヤカちゃんが祈る理由と同じだってことになるね。儀式の成功を願うことが、そのまま踊ることにつながるっていうことだね。じゃあ、もしも、この酋長が、儀式自体は基本的には若者の力によるとしても、自分が踊り続けることも儀式の成功に影響を与えると信じているとしたら、どうかな? そのときに、『最後の二日間の踊りは意味がありませんよ』って説得できると思う?」
サヤカ「どうして、説得なんてするの? そんなの余計なお世話じゃん」
ウサ「ふふっ、まあ、その通りなんだけど、それをあえてするとしたら、どういう風にすることができるかな」
サヤカ「うーん……」
ウサ「これもサヤカちゃんの例にしてみるとね、サヤカちゃんのお母さんが、漢字テストの合格を祈っているサヤカちゃんに対して、こんな風に言ってくるの。『サヤカ、漢字テストが合格しているかどうかは、あなたが祈るかどうかに関係なく決まっているんだから、祈ることなんて時間の無駄なのよ。そんなことよりも、次のテストに向かって勉強しなさい』って」
サヤカ「そんなこと言われたら、お母さんのこと嫌いになりそう」
ウサ「仮の話だけど、でも、納得できるところもある意見だと思わないかな?」
サヤカ「うーん……まあ、確かに。でも、酋長の場合は、絶対に納得しないと思う。だって、この酋長は、自分が踊り続けることが儀式の成功に影響を与えるって信じているわけでしょ。だから、説得なんてできないんじゃないかな」
ウサ「それが信じるってことの意味だからね。そうすると、酋長には、六日間踊り続けてもらうしかないことになるね。この問題はね、過去にあることが起ったあとでも、その過去に影響を与える行為を現在するということは、実は、過去というのは、現在のあとに決まるんじゃないか、っていうことなの。普通は、過去→現在っていう流れで考えられているけれど、実はそれは違っていて、現在→過去っていう流れなんじゃないかっていうね」
サヤカ「現在が先で過去が後?」
ウサ「そうよ」
サヤカ「うーん……ウサ、それって、わたし絶対に間違っていると思う」
ウサ「どうして?」
サヤカ「だって、過去が現在よりも後にあるっていうことになったら、それって、過去とか現在とか言えなくなっちゃうんじゃないかな。うまく言えないけど……まず、過去とか現在とかの言葉の意味が決まっていて、そのあとに、今みたいな、実は現在が先で過去が後なんだよっていう話ができるわけだから、そういう話ができるためには、やっぱり、過去は現在よりも先にあるっていうことが、まず決まっていないといけないと思うんだけど」
ウサ「そうすると時間はやっぱり逆向きには流れないことになるね」
サヤカ「うん。そうなっていますようにって祈ることができるのも、時間がきちんと過去から現在に流れてくれているからじゃないかなあ」

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