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労働が変わっていくそれは人生が変わっていくはじまりなのだ

 テレビ大好きおじさんの私が、12月8日のさんま御殿『超金持ちセレブVS強烈貧乏キャラが大激突SP』を視聴。金持ちキャラたちのぶっ飛んだ話と貧乏キャラの面白話だったのだが、デコウトミリという美形で倖薄そうな女性の話。母親にバイトを禁止されたが、どうしてもやりたいとお願いすると、親はバイトするためのショップを作ったということだ。その時彼女は母の言葉を拾ってこう言った。

「働くなんてとんでもない」

 そうなのだ。彼女たちは貴族階級もしくはそういう気分で生きている人たちである。その階級がお金に困ったら働くのか。基本労働はしない。没落貴族というのは飢えて死ぬのである。働くことはしない、出来ない人たちである。

 では貴族は何をしているのか。肉を食ってシャンパンを飲みダンスを踊っている。それで間違いない。または戦争に行って死ぬ。そのどちらもが貴族の生き方である。その価値観は一般人とは違う。
 経済と健康のために生きるのでなければ人間の人生は無意味になる。だから何のために生きるのかをよく考え、決めるために時間を使わないといけない。だから働くなんてとんでもないのだ。

 しかしこれって私たちにも忍び寄っている問題でもある。生活の上方への移行は諦め、下方への不安は補助金で何とかなる。ベーシックインカムが採用されたらまさにそうなっていく。将来への不安から消費控えが全体を覆っている以上、私たちの人生はいつまでも楽しくならない。
 細々と、死ぬことはない生活を見つけられるようになる。すると生きる理由を貴族のように考えなくてはいけない。生きることが不思議になってしまうからだ。

 これはブッダが出家した道でもある。彼は生老病死が逃れられない悩みだと人々に説いた。悩みから解放されるために、教えを受けるようにし、決まりを守って正しく生き、考えたことを仲間と相談しあえる環境を作ることを勧めた。この生活をいま私たちはしなくてはいけない。

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 先日自殺サイトに集まった若者をなぶり殺した人物に死刑判決が下りた。しかし、これは自殺サイトの宣伝にもなっている。なぜなら私たちは自殺したい人たちを思いとどまらせる機能を持ってはいるが、どうしても死にたい人を確実に殺せる能力がないからだ。自分で死ねないみじめさからこの殺人犯をたどる時、慰み物になってもその後で殺してくれるならそれでもいいと考えるだろう。こういった自殺志願者に対して私たち普通の人は、行く道を阻む敵である。 

 私たちには何をも持ち合わせるものがない。ただそうなる前に目指したいことがある。ひとつは自分で何かを作ること。作品の制作によって自己表現をするということ。衣食足りた先には芸術など文化活動がある。古の洞窟の絵も、やはり芸術なのだ。もう一つは楽しいものをたくさん知ることだ。釣りが好きな人や、バスケが好きな人、美術が好きな人、ジャズが好きな人、ファッションが好きな人・・・人の好きは楽しい。ちょっとやってみるのもいいことだ。あちこちで体験講座がある。やってみてもいい。できるだけ若いうちから、身近な人の好きを優先的に体験し、楽しいことを増やしていく。人生の味わいそびれ楽しみそびれの悲しみも薄くなるだろう。

 最後に私が自殺という決定的な判断を下さない理由は何か。世の中にはあまりにも多くの解釈が存在しているからだ。自分で自分の点数を付けられない。だから死ぬほどでもない。つまり、死ぬしかないという決定に至るようには整理がつかないからである。積極的な生ではないが、可能性はいつまでもどこにでもあると信じていて、今もこの記事に何かが変われと思って書いている。変えられてしまう、変わっていく、それを乗りこなしていく。


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