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【厳然たる事実に立ち向かえ】ウィルトンズサーガ3作目『深夜の慟哭』第32話

「それでは、地下世界への入り口を見つける前に、ここで『血の契約』を交わしましょう」

「え?」

 ウィルトンは不意を突かれたように盟友を見た。

「これから何があるか分かりません。契約を交わして、あなたを強化します」

「いや、ちょっと待ってくれ。今はそんな気分じゃない」

「は? 何を言っているのですか? 気分の問題ではないでしょう?」

「それはそうだが……」

 ウィルトンは照れ隠しに顔を背(そむ)けた。アントニーは軽くため息をつく。

「デネブルがまだ明主として彼の領地を治めていた時代、彼と同盟を組んでいた時代を、私は未だに忘れられないのです。本当は忘れるべきなのでしょうけれど」

「とうしたんだよ、突然」

「忘れさせてくれないのですか?」

「え、あ、いや……」

 アントニーは、肩をすくめた。

「ウィルトン、これから何があるか分からないのです。油断してはいけませんよ」

「分かった。お前の言う通りだ」

 アントニーはウィルトンの両肩に手を掛けた。

「汝とここに『血の契約』を交わす。地下世界の呪いを解き、地下と地上を呪いから解放するまでは契約は続く。汝は我から離れず、我は汝から離れることはない」

 自分の舌の上に血を乗せる。ウィルトンの口に、彼の唇が触れる。

 ウィルトンの方は、甘い血の味がじんわりと入ってくるのを感じていた。頭の芯がしびれるような快楽。

「契約は成せり」

 アントニーは顔を近づけたまま囁(ささや)く。次に、ゆっくりと体を離した。まだ手は肩に置いたままだ。

「なあ、アントニー。お前は本当に領主の座に着きたくはないんだな?」

「はい。貴族としての生活には疲れました。私はずっとこの地を見守り続けてきた。けれどくだらない勢力争いなどしたくはありません。暴力をもってセンド殿やその家来たちを襲撃するのも嫌です。彼らは、何も悪いことはしていない。デネブルとは違う」

 いつもは冷静なアントニーの、いつになく激した口ぶりだった。彼は顔をウィルトンから逸(そら)していた。激した思いを、ぶつけないようにしてくれているのだろうと思う。

「そうだ。デネブルとは違う」

 ウィルトンは同意した。

「彼女らは暴君じゃない。むしろ良い方のご領主様だった。なあ、俺は本当は、ご領主にもご家来にも功績を認められて安楽に暮らしたかったんだ。なんでこんなことになったんだろうな」

「力や名声を持ってしまうと、いろいろとあるのです」

「こうなるのを予期していたか?」

「ある程度は。そうならないのを祈っていましたが」

「そうか。でも俺は後悔してはいない。デネブルを倒して、お前と一緒になれて俺は幸せだ」

 アントニーはふっと笑った。どこか寂しげな微笑みだ。

「ありがとう、ウィルトン」

 彼はただ一言だけ告げた。

 それからまた地下世界への入り口を探し続ける。

 新月の夜だ。月明かりはなく暗い。空からは、星の光だけが地上を照らしている。ヴァンパイアの特質としてアントニーは夜目が利くがウィルトンはそうではない。ウィルトンはアーシェルから魔術による灯りを灯す腕輪を借りていた。返さなくてかまわないとも言われていた。

 と、その時。二人の眼前に、黒く美しい姿が現れた。

 漆黒の肌に深い青の豊かな髪。目の色は銀色、輝く星のように。

「あんたは! ブルーリエじゃないか」

 朝に見た妖精だった。

「こんばんは。また会ったわね」

 深みのある艷やかな声だ。耳にジンとくる。ウィルトンはそう思う。

「そういやあんた、地下世界と地上を自由に出入り出来るのか」

「出来るわよ。そう何回もは出来ないけれど。私が力を保っているうちは、いくらでも出入り出来るわ。あの犬たちもそうなの。あなた方が見た黒い大きな野犬。あれも地下世界からここにやって来たわ」

「俺たちは、それを何とかしたい。呪われた犬だけじゃないんだ。地下世界から染み出す呪いからこの地上を守りたい。俺たちはあんたたちを呪いから解放する。同時に、地上も救われるんだ」

「そう。何故そうしたいのかしら」

「何故、だって?」

 呪いを解いてくれと、頼んだのはブルーリエ、お前だっただろう? ウィルトンは思う。

「そうよ、何故なの?」

「俺たちは地下世界で暮らしたい」

 ウィルトンは、とりあえず疑念を脇に置いて言い切った。これでいいんだなと、アントニーにも目で問い掛ける。盟友はうなずいた。

 『血の契約』による熱い活力が体内に湧いてくるのを感じる。もしも地下世界が平和になり、この契約を交わせなくなれば。

 いいや、それでいいんだ。アントニーに平穏な暮らしを贈ろう。それが俺の望みだ。

 そうだ、それが俺の望みだ。今となっては、ほとんど唯一の。

 ウィルトンの深い願いには気がつかぬ様子で、ブルーリエは冷静に告げる。

「地下世界は平和とは言えないわ」

「俺たちが呪いを解く。お前たちを解放する。だから、そうなれば」

「いいわ。遠い神代の昔、平和だった妖精の世界が、再び地下世界に甦(よみがえ)るのなら。本当にそうしてくれるのね?」

「必ず、お前たちを解放する」

 ウィルトンは再度言い切った。

続く


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