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良い物を見ていると疲れる

最近煌びやかで手の込んだ繊細なものよりも、詫び寂の感じる素朴な物にどうしてだか居心地の良さを感じる。
大名クラスが持っていた刀なり刀装具は一流の技術を持った者が一級の素材を使って作っている事が多い。
作る人が作る人なら、持っていた人も格そのものが高い人物であり、本来は商人や下級中級武士が努力で持てるような、そもそも見る事すら叶わなかった物なのは間違いない。
そうした物は見るからに迫力があり凄みがあり、誰が見ても素晴らしいと感じるものであるゆえ見ていると気持ちが高揚していたのだが、最近なぜだかそのような物を見ていると「疲れる」。
疲れるというよりもどこか自分の中で線引きしているような複雑な気持ちになるという方が近いかもしれない。

その刀の歴代の所有者を想像してみても恐らく自分が一番何もしていないし、何も成し遂げていない人物である。
そのような者がこうした品を手にしている事自体に矛盾と、つまるところ格の違いを見せつけられているようで疲れるのだろう。
勿論見ていると「美しい」と見惚れる気持ちは絶えずある。
それに加えてどこか「疲れる」のだ。


最近「へうげもの」という漫画を読み始めた。
アニメもやっていたのでそちらも見ている。
信長、秀吉、家康に仕えた武士であり、千利休に師事する茶人でもある古田織部の話。
数奇者として茶道、服、鎧兜、建物、庭などに風流を楽しみ、茶道具1つで大名まで出世するという、いわゆる戦って武功を挙げて出世した人ではなく趣味で出世した人の物語で、戦国時代という先の見えない時代に「物」が如何に人々の中で生活の一部になり、生きがいになっていたのかが伝わってくるようでとても面白い。

(画像出典:amazon へうげもの


名物を手に入れる事に命を懸けてきた男が、信長死後に名物を見るシーンがある。

アニメ「へうげもの 14話」より

「城いくつにも値する名物を見てもときめかぬ。俺の名物への想いは信長様へのあこがれ。名物という箔をまとえば信長様に少しでも近づけるようになるのではないかと思っていたのだ。しかし憧れの先を失い身の程を知った今は箔に虚しさを覚えてしまう」

(「へうげもの」より)

そのように名物にときめかない古田織部であったが、傍にあった如何にも素朴な造りをした物になぜか魅力を感じるシーンがある。

アニメ「へうげもの 14話」より

これを見た織部はこの顔である。笑

アニメ「へうげもの 14話」より

「名もなき古の土器…なんとみぐっとした力強いなりよう…宗匠(ここでは利休のこと)、これが詫びた佇まいというものでござろうか。暗い土中でたくましくあり続けたのでござろう。名物がさんさんと日の当たる道を行く大名だとすれば、これはまるで…俺」

(「へうげもの」より)

このシーンにとても共感してしまった。
所詮私はただの庶民であり大名物への憧れはあるが、大名クラスの物には格が合わず居心地の悪さを心の底では感じているのかもしれない。
その居心地の悪さをいつか居心地の良いものとする為に、そうした物を求めて物の良さを理解して高貴な気持ちに浸りたいだけだったのではないか、そういう気持ちがあったと考えると妙に納得してしまった。
卑しい、と言われれば全くその通りだと思う。

そして現時点ではその枠から抜け出す事は出来ていない。
だからこそ大名物など高貴なものではない素朴な地味なものに居心地の良さを感じているのだと思う。
抜け出し方は分からないが、何かしら「自分でやり遂げた」と誇れるものが出来たとき、何か変わるのだろうか。

しかしこうした大名物もモチベーションにはなっている。
格の違いは毎回見せつけられるが、そこに合うように足掻こうという気持ちにはなる。

今日も頑張ろう。

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↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)

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