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小説【遥か彼方へ】

   1

狼の遠吠えが聞こえ、サーナは窓を見た。

「近い」

おもては夜の闇で暗い。ガラスに近づくと月明かりの雪景色がわずかに見える。しかし動きはない。

「だいじょうぶ」と後ろで父のラスカスが言った。「ここにいれば安全だ」

ラスカスは暖炉の前に座り革細工を続けている。鹿革の財布に模様を入れている。

ふたりの住む山小屋は石造りで確かに安全だった。ドアは木製だが錠はある。狼の体当たりぐらいでは壊れない。

しかしサーナは胸騒ぎがした。狼の遠吠えは慣れていたがあまりに近い。どんどん近づく。

   ***

原因はテイルという男だった。防寒着を着ず左肩から血を流し、雪に足を取られながら森を走っていた。痛む左腕を揺らさないようかばい、右手には棒。杖に使うため拾った枝だが狼の襲撃に振り回す。

雪上に続く彼の血のにおいで狼は集まり、テイルは崖に追いつめられた。見下ろしても闇で崖下は見えない。狼は迫る。テイルは飛び降りた。雪深い斜面に着地しそのまま転げ落ちる。

左肩を何度もぶつけ「ああ!」と声が出た。埋もれた雪の中から這い出すと明るい月に煙が一筋。元を辿ると煙突が見える。そして小さな建物の陰。

テイルは向かう。狼を引き離したが気配は迫る。息が切れた。脚は重い。肩の出血は止まらず意識は朦朧とする。

森を抜け建物が見えると左の藪から狼が飛び出した。牙を剥きテイルを襲い、テイルは力いっぱい棒で叩く。

   ***

キャン、と狼の悲鳴が聞こえ、サーナはドアを見た。悲鳴はすぐそこで山小屋の前。そしてドアが叩かれる。ドンドン。

「あけてくれ」と男の声。ドンドンドン。「あけてくれ」

サーナが向かうと「あけるな!」とラスカス。「よせ」と首を振る。

「なぜ?」とサーナ。「なぜいつもそんな」

問われたラスカスは目をそらす。

「ああ!」と男の叫び声が聞こえた。

「死んじゃう」とサーナは暖炉の薪を取る。

「待て!」とラスカスは手を伸ばす。

   ***

狼はテイルの左手に噛みつき食いちぎろうと頭を振り、テイルはその腹を杖の持ち手で何度も突いた。

狼はたまらず離れ、テイルは山小屋に寄りかかる。立っているのがやっとだった。目がかすむ。狼は他に3匹。テイルを囲むように動いて迫る。

ドアがあいてサーナが燃える薪を振り回した。狼たちはひるみ後ずさる。サーナは前進しテイルのそばから追い払う。

横から来た狼を殴ると薪は弾かれ闇の中に落ちた。狼たちは再び迫る。サーナは壁にもたれたテイルを抱え上げる。

狼が牙を剥いたとき銃声がした。

サーナが見ると山小屋の入口にラスカス。猟銃を構え狼たちに対峙し「早く!」

サーナはテイルを引きずり中へ入れる。ラスカスは狼たちと向き合い後ずさりドアを閉めた。

   ***

闇の中で銃声が聞こえ、テイルは目をあけた。

かすむ視界がはっきりしてもここがどこかわからない。木の天井の下にいる。窓がそばにある。窓の外は明るい。ベッドに寝ていた。向かいの壁の中央には暖炉。その前に髭の男が座っている。テイルには気づかない。何か手作業をしている。手元を見ようとしてテイルは痛みが走りうめいた。

その声にラスカスは目を上げる。革細工の道具を置き立ち上がる。

テイルは左腕の傷の痛みに耐えつつ体勢を変え、深呼吸し、

「具合は? 飲めるか?」

声で見上げるとベッドの横にラスカスがいた。手にしたカップからは湯気。暖炉前のケトルから注いだお湯だった。

「ああ」とテイルはひとこと言って首を振る。

ラスカスはカップを枕元、低いチェストの上に置く。

「ありがとう」とテイルがかすれた声で言うと、

「礼は娘に言え」とラスカスは首を振る。「助けたのは娘だ」

そうなのか、とテイルはうなずく。記憶がない。その娘を探して見まわすが近くにはいない。

「傷は縫ったが、素人の処置だ」とラスカスは立ったまま続ける。「ここまで医者は来ない。痕は残るだろう。諦めてくれ」

テイルがうなずくと、

「指は動くか?」

テイルは自分の左手を見る。重くて上がらないが指先は動く。

「神経が無事だといいが――」とラスカスも見て「なるべく動かすことだ、痛みが取れたら」

テイルがまたうなずくと、

「追われてるね?」とテイルの顔を見る。「噛まれた傷のほかに、撃たれた痕があった」とラスカスは自分の左肩を指さす。「弾は抜いておいた」

テイルは目を伏せ「すまない――」しかし事情は言えない。「事情は――」と言いかけると、

「いい。聞かない」とラスカスは首を振る。「関わりたくないんでね」と強い目で見る。「とにかく今は、休むこと。早く治るように」

テイルはうなずく。

「帰ってきた」とラスカスはドアを見て歩きだす。

ドアはテイルから見えない位置だった。諦めて天井を向く。無理に首を動かすとまた痛みが走りそうで怖い。

ラスカスは錠を外してドアをあけ「おかえり」

「ただいま」と入ってきたサーナは肩に猟銃を下げている。仕留めた鴨を1羽、右手に持っていて、

「目を覚ました」とラスカスが言うと、「そう」と部屋の奥を窺う。

「俺がやろう」とラスカスはサーナの手から鴨を取り、

「うん」

サーナはうなずいて銃を奥の戸棚にしまう。

ラスカスは暖炉から火のついた薪を1つ取り、自分の上着を持って外に出た。

サーナはベッドに近づき、

「痛い?」

テイルの視界に入って聞くと、テイルは目を向ける。しかし答えない。

サーナは目をそらし、防寒着を脱いで壁にかける。ケトルの湯を水桶に足して手を洗う。人見知りだった。動きながら何をどう話そう、と思う。

テイルは目で追うのをやめ天井を向く。まだ眠りの中の気がした。サーナは美少女だった。

   ***

暖炉の真裏の屋外には同じ煙突を使う煮炊きの場所がある。においや煙が強い調理の時はそこを使った。ラスカスは持ってきた薪で火をつけ、雪の入った鍋を熱する。そばにはサーナが仕留めた鴨。湯漬けして脱毛しそのまま焼くつもりだった。

屋内ではサーナがチェストの上のカップを手に取り「冷めちゃったね」とベッド横に膝をつく。「あっため直す? 飲みたい?」

テイルは「いや」と首を振る。

「そう。飲めば出たくなるしね」とサーナはうなずき「あ、したくなったらそこ」とトイレの方を指さす。「足は怪我してなかったけど、歩ける? まだ元気ない?」

「ああ」

「そう。あ、飲みたいけど飲めない? 起こす?」

「いや――」テイルはまた首を振り「ありがとう」

「ん?」

「君が助けてくれたって」

「あぁ――」サーナは目を伏せる。表情が曇る。

『あけるな!』と昨日の夜、父のラスカスは言った。『よせ』と。

『なぜ? なぜいつもそんな』とサーナが問うと、目をそらして答えなかった。

「ありがとう」とテイルが繰り返すと、サーナは照れて微笑し「サーナ」と名乗る。

「え」

「名前。あなたは?」

「――テイル」

「テイル」

覚えるようにうなずくと、「どこから来た?」とサーナ。

テイルは目が泳ぐ。髭の男、彼女の父親は聞きたくないと言った。関わりたくないと。

「山あいの町からも遠いし。家には時計ないけど、3時間くらい?」とサーナは首をかしげる。「この先には何もない。こっちには山を2つ越えて別の町があるって言うけど、ここらを通る人はいない」

「――」

無言のテイルに「私の話し方、変?」とサーナ。

「ん?」とテイルが見上げると、

「家族以外と話すこと、ほとんどないから」とサーナは苦笑し首を振る。「父さんは無口だし。話し方が変だったらごめんなさい」

「いや――」

サーナの話し方は変でもなんでもなく、余計な詫びをさせたのも悪く、

「ここでふたりで?」とテイルは話題を変える。

「うん。母さんは4年前に死んで、病気で」

「そう」

「なんかわけあるのよね? いいの。困ったことあれば言って」

サーナはうなずくと立つ。部屋の奥に行く。しゃがんで床板の一部を外し、床下から芋を3つ出した。

   ***

窓の外はすぐ暗くなり、屋内を照らすのは暖炉の火だけ。その火でサーナはスープを作った。

外から戻ったラスカスは焼いた鴨を手にし、

「ありがとう」とサーナは見る。「名前聞いた?」

「ん?」

ラスカスは奥の調理台に行く。サーナが用意した木皿に鴨を置く。

「テイルって」

サーナは振り向いてテイルを見る。

「そうか」とラスカス。

「やっぱり聞いてない」とサーナは小言の口調。「テイル、父さん」とまたテイルを見る。

「それは言ったよ」とラスカスはナイフで鴨肉をさばきながら言う。

「紹介。ちゃんと言ってないでしょ名前とか」

「なにはしゃいでんだ」

「はしゃいでなんかないよ」とサーナはふくれる。調理に戻る。恥ずかしくてテイルを見られない。

   ***

夕食は焼いた鴨肉と焼いた芋、玉ねぎと豆のスープ。

サーナはテイルを起こしてベッドに座らせ、

「食べられる?」

料理ののった木皿を彼の太腿に置く。料理はすべて切ってある。

「ああ、ありがとう」とテイルがうなずくと、

「うん」とフォークを渡し「スープここね」とチェストの上を指さす。スプーンも一緒に置いてある。

「うん」

テイルがうなずくのを見てサーナはテーブルに向かった。「先に食べて」と父を軽く睨む。ラスカスは言い返さずに食べ続ける。

「いただきます」と席について食べだしたがサーナはテイルが気になってまた立つ。テイルは右手だけで肉を切るのに苦労していた。サーナはベッドの横に膝をつき「もっと細かい方がよかった?」と自分のフォークとスプーンで切る。太腿の上は切りにくく、皿をチェストに移す。

「ああ、すまない」とテイル。

「ううん、これくらい?」とサーナは肉の大きさを見せ、

「ああ、ありがとう」

「うん」

再び太腿に皿を置いて席に戻る。

「ごめん」

「いい、いちいち。おいしいかわかんないけど」

味付けは最後にサーナがした。塩と野生のハーブ2種。テイルがひとくち食べると感想が怖く、

「テイルは町の人でしょ? おいしいのいっぱい食べてるよね」とサーナは早口で言う。

テイルは飲み込んで「うまいよ」

「そお?」

「うまい」とまた食べる。

「よかった」とニヤニヤするサーナをラスカスは見た。

それに気づいたサーナは笑顔を消し「町にはどんな料理ある?」と聞く。「テイルの好きなのは?」

「うん――」テイルはもぐもぐと噛んでいる。

「話しかけたら食べられないね」とサーナは笑い、また父の視線に気づいて「なに」と聞く。

「いや」とラスカスは目を伏せて食事を続ける。

「ここでできるのはお芋と玉ねぎ、人参、貯めてあるの。あと豆と、キノコと、栗とかの木の実、お肉は鹿の燻製。あるものでできる料理だといいんだけど」

サーナが話すあいだテイルは口の中で舌を動かし、皿にポトンと異物を出す。猟銃の弾だった。

「父さん」とサーナはラスカスを見る。

「ああ、悪かった」とラスカス。「見逃した」

「ひどくなってる? 目」

「いや、だいじょうぶ。うっかりしただけ」

   ***

サーナにはそう言ったがラスカスの視力は落ちていた。すぐ疲れてぼやける。革細工の時も近づけたり離したりを繰り返す。

その動きをテイルはベッドで見ていた。サーナは自分のベッドで寝ている。

「おしゃべりな子で」とラスカス。革細工に目を落としたまま、

「母親が生きてた頃はよかったが、俺じゃ物足りないんだろう。いろいろ聞くかもしれんが、流していい」

そう言われてテイルは話しかけられてるとわかり、「ええ」と答える。こっちを見ないので独り言かと思った。

「興味を持ってもしょうがないが――」とラスカスは続ける。「この山奥にずっとじゃ」

「町に出ることは?」

「たまにね」

「そう――どうしてここに?」

「詮索はよそうじゃないか」とラスカスは首を振る。「だろ? お互いに」

テイルはうなずき「ですね」

「休んで、治して――山を下りてもここのことは、伏せてくれ」

「ええ」

「さて、俺も寝よう」とラスカスは道具を片づける。

テイルは天井を見る。

ふたりに背を向けたサーナはゆっくり目をあけた。眠ってはなく、会話は聞いていた。

   ***

翌日から急にあたたかくなり陽射しは強く、積もった雪をどんどん解かした。山小屋の周囲には小鳥の声が響く。

サーナはまだ雪の残る畑の土起こしを始めた。畑は山小屋の南と東にある。そこに糞尿を貯めた桶を曳いていく。桶は山小屋のトイレの真下、外にあって引きずるためのロープ付き。糞尿は肥料用で真冬は凍るがそれも溶けだし、臭いを放ち始めた。

山小屋ではラスカスが相変わらず革細工を続け、テイルが起きると傷を診た。裁縫用の糸を使った縫合痕はいびつで、それでも「塞がったようだが」とラスカスが言うと、「ええ」とテイルも傷を見てうなずく。しかしうずいて顔をしかめる。

「痛むか」

「だいじょうぶ、このくらい」

「うむ」

サーナがドアを入ってきて「診てるの?」と聞く。「なんで黙って」とふくれ、手を洗ってから「どお?」と見に来る。

「だいじょうぶと」

ラスカスがテイルの言葉を伝えると、

「ウソ」

サーナは傷にあてていた布を手にし「まだ血が出てる」

「もう止まった」とテイルが言っても、

「ダメ。無理しちゃダメ」と首を振る。「ちゃんと治るまで無理しないの!」

「だそうだ」とラスカス。

「はぁ」とテイル。

   ***

冬のあいだの洗濯はトイレの隣室の洗い場でする。石張りで体を洗う場所でもあったが汗をかかない時期は主に洗濯場になった。近くの小川から水を運び石鹸で洗い、最後は小川に持っていって汚れと泡を流す。

サーナは自分たちの衣服と共にテイルの服と下着を洗った。テイルにはラスカスのものを貸し、朝に交換した包帯代わりの布も洗う。小川は雪解け水で冷たく、すすぐ手はかじかんでサーナは何度も吐息で温めた。

洗濯カゴを持って山小屋に戻ると畑でラスカスがうずくまっていて、

「父さん!」

サーナはカゴを置いて走った。

「どうしたの」

「あぁ――」

ラスカスはうめいて腰をさすり、動けない。そばに鍬がある。サーナは肩を貸して山小屋に運んだ。

「だから私やるって言ったのに」

サーナが途中にした土起こしをラスカスは代わっていて、

「なんでも任せたら悪いじゃないか」と言う。

「任せればいいの。元気なもんがやれば」とサーナはラスカスをベッドに運ぶ。

窓際のベッドにいたテイルはふたりに驚き「どうしたの」

「ちょっとな。ちょっとだ」とラスカスは軽い声を出す。「ヘヘヘ」

「ちょっとじゃないでしょ」とサーナがベッドに寝かすと、

「イテテテ」と声を上げる。

   ***

サーナが表に洗濯物を干すあいだ、ラスカスとテイルはそれぞれのベッドで横になったまま話した。

「病気じゃない。歳だ」とラスカスが言う。「足も腰も肩も背中も、首も目も。弱ってる。猟も娘に頼ってる。あの子は目がいい。山育ちで――綺麗な目をしてるだろ」

「ええ」とテイルはうなずく。「少し緑がかった」

「そう――面倒かけてる。これからもっと」

「――」

「あんたを気に入ってるな」

「まさか」

「楽しそうだ。家族以外と話すのが、今までほとんどなかったせいだろうが」

「何も知らない、僕のことを」

「うん――」

「すぐ忘れる」

「――だな。だといいが」

   ***

テイルは昨夜からトイレに歩いた。行き来にサーナの手を借りたが用はひとりで足せる。

同じようにサーナの手を借り、今夜はテーブルで夕食を取った。

ラスカスもサーナの手を借り、席につく。背中と腰がまだ痛く、ひとりでは歩けない。

夕食のメニューは昨日とほぼ同じで、ふかした芋をつぶしたもの、鴨肉の残り、人参と玉ねぎと鹿肉の燻製を煮込んだスープ。

食事中に「なんか不思議」とサーナは微笑した。「そこ母さんの席だったの」とテイルを見る。

「そう」

「テイルが使ってるベッドも。でもそこにいると、なんか思い出す。思い出さない?」と父に聞く。

「男じゃないか」とラスカスが言うと、

「そういうんじゃなくて」とふくれる。それからテイルに「わかるでしょ? わかるよね私の言ってること」

「男だよ」とテイルがかぶせると、

「あ、なにふたりして、仲間んなって」と大きな目をさらにあける。

「ヘヘヘ」とラスカスとテイルは笑い、

「なんも手伝わないぞ。困っちゃうぞ」とサーナは眉を寄せる。

「困る」とラスカス。

「ゴメンナサイ」とテイル。

「よし、次はないからな」とサーナは威張ってから「フフフ」と笑う。

テイルもラスカスも笑う。暖炉で薪がはぜる。テイルはそれを見て笑みを消した。火を見ると思い出す。あれから10日しか経ってない。

「母さんいた頃は逆だったね」とサーナは笑顔で続ける。「私と母さんがふたりして、いつも父さんひとりにワイワイ」

「ああ」

「テイルのお母さんはどんな人? 父さんは?」

テイルは暖炉を見ていて答えず、

「テイル?」と重ねて聞かれ、「あ、なに?」と我に返る。

「どうした? 考えごと?」

「いや――」

「テイルの母さんと父さん、どんな人かって」

「よせよ、あれこれ聞くの」とラスカス。

「いいじゃない。いいよね?」とサーナ。「ダメ?」

「あぁ、どこにでもいる、普通の人で」とテイルは首を振る。

「普通って? どこにでもって、わかんない」

サーナは困った顔をする。両親以外の他人をほとんど知らなかった。『どこにでも』と言われても、『普通』と言われてもわからない。

「あまり似てない。顔や体型は似てても」とテイル。「他人の方がずっと――」似ている、似ていた、と思う。

言葉を切るテイルにラスカスは黙り、サーナは「へぇ」と困った顔のままで、

「いや」とテイルは気づき「つまんないこと言ったな」と苦笑する。

「ううん」とサーナ。「私と父さんも全然似てないよね」

ラスカスは娘を見る。「そうか?」

「違うじゃない。私は綺麗好きでしょ。気が利くでしょ。素直だし怒らないし明るいし」

娘の冗談口調に「いいとこばっかりだな」とラスカス。

「そうよ」とサーナは澄まして「そうなの」とテイルに笑いかける。

「いい奥さんになるよ」とテイルは微笑し、

「な――」サーナは驚いて「なに言ってんの」と目をそらす。顔が赤くなる。

「母さんは自分からそんなこと言わなかった」とラスカスは首を振った。しかしサーナは無反応で食べる。ふたりを見ずにやたら食べる。

   ***

畑の土起こしを昼前に終えたサーナは猟に出た。森の中で見つけたのは猪。雪の隙間の地面を一心に嗅いでいる。

サーナは静かに銃を構え、緑の目で狙いを定めた。引き金に指をかける。

『いい奥さんになるよ』

昨夜のテイルを思い出して狙いは外れた。猪の足元に着弾し猪は一目散に逃げる。銃声のこだまの中でサーナは顔を上げ、逃がしたことに落ち込み「あー」と自分の頭をポカポカ叩く。

   ***

山小屋の北西には墓がある。テイルははじめ墓地と知らず、森の中にそこだけ明るく樹がない場所があると向かった。春の野花がたくさん咲いていて墓標のような平石が1つ。字は刻まれてないが墓とわかった。テイルが1週間前に参った墓と似ていた。

「母さんの墓なの」とサーナの声が聞こえ、テイルは振り向く。山の方からサーナが来た。猟銃を肩にかけている。「花が好きだったから、山で見つけたのを少しずつ植えて」とテイルの横に来る。「こんなに増えた」

テイルはうなずき「よろこんでるね、きっと」とまた墓標を見る。

「うん」とサーナは並んで墓標を見つめ「ひとりでここまで?」

「ああ。ずっと寝てたから、足が弱って。鍛えないと山を下りられない」

「――」

「獲物は? さっき音がした」

サーナは首を振る。「失敗しちゃった」

「そう――失敗は、僕もしたよ」とテイル。自分は撃つこともできなかった、と思い出す。

「手の痛みは?」とサーナ。「動かせる?」

「ああ、このくらいなら」とテイルは肘を曲げ、左の指を動かす。「痛みはもうほとんど」

「でも、まだ全然だし、不便で困るでしょ。もう少しいればいいよ」

「うん――」

「ずっといたっていいし」

テイルが見ると、サーナは目をそらす。「誰かが待ってる?」

テイルは答えず「やり残したことがあって――」とまた思い出す目になる。「行かないと」

サーナはうなずく。黙っている。それから明るい声で「ちょうどいいから部屋の掃除、するね」とテイルを見上げる。「今日はあったかいから、少しここにいて」と山小屋の方に行く。

「うん」とテイルは見送った。サーナの背中はどんどん小さくなる。振り向かない。しかし薮の陰に見えなくなる時、涙を拭いたように見えた。

   ***

山小屋のそばまで来るとサーナは足が重くなった。テイルは出ていく。これまでの毎日に戻る。わかっていたが寂しい。

ラスカスの咳込む声が聞こえ、サーナは見まわした。山小屋の中からでなく外で聞こえる。あまり行き来しない北東の方。サーナは向かう。

ラスカスはまだ雪の残る場所にうずくまり吐いていた。

「父さん?」

サーナが近づき声をかけると、ラスカスは吐いた物に雪をかける。鮮血だった。

「どうしたの!」

「ああ、もうだいじょうぶ」とラスカスは言うが振り向かない。肩で息をする。

「だいじょうぶって」

「心配ない」と立つ。すぐふらつく。

サーナは支え「具合悪いの? いつから?」

「どうってことない」

「病気でしょ血って。おかしいでしょ」

ラスカスは答えずサーナの手を離れる。山小屋に行く。

山小屋の床には血が数滴残っていた。サーナが驚いて見ていると、

「拭いてくれ」とラスカス。「彼が戻る前に」

そう言って自分のベッドに寝る。大きく息をする。

「病院行かなきゃ」とサーナ。「お医者呼ばなきゃ」

「来ないよ医者は――」ラスカスは天井を見たまま「ここには来ない」と力なく言う。

   ***

夕食時サーナはいつものように話さず、ラスカスはいつにも増して無口で、テイルは「聞いたかもしれないけど――」とラスカスに言った。「僕はそろそろ行きます」

サーナの手が止まり、

「歩けるように体力つけて、あさってには」とテイルが続けると、

「そうか」とラスカスはうなずく。

「お世話になって、感謝してます」とテイルはズボンのポケットから財布を出す。所持品はこの財布と手帳とペン。左手はよく動かず右手だけで札を出そうとすると、

「いい。いらない」とラスカス。

「でも、このくらいしかお礼のしようが」

「食うには困ってない。もらったら善意が汚れる」

「――そんな」

「あんたの方こそ必要なはずだ、これからどこ行くにも。いいよな?」とサーナを見る。

サーナは目を伏せたままうなずく。

「本当に、助かりました」とテイル。「ありがとう」

「ああ」とラスカスはうなずき「行き先は、そばの町でいいの」

「ええ」

「送ってあげなさい」とまたサーナを見る。

サーナはうなずく。

「ありがとう」とテイルが見ると、

サーナは目を合わさぬまま首を振る。

   ***

いよいよ別れ、と思うとサーナは言葉が見つからず、翌朝の傷の手当ては静かに終えた。ラスカスはまだ具合が悪く、ベッドでふたりを見ていた。

サーナはなるべくテイルと距離を置き、午前中は畑仕事に集中した。畑にいるのを知らず山小屋を出たテイルは、杖をついて森に行く。サーナは気づいたが声をかけなかった。

これ以上思い出を増やすのは、と思う。彼にとって私は取るに足らない存在。なのに思い出を増やしてもつらいだけ。好意は一方的で恥ずかしく、彼が気づけば面倒がるかも。迷惑かも。

テイルが来た夜を思い出す。痛みで気を失ったテイルをサーナはラスカスと治療した。左肩の傷を診てラスカスは「撃たれてるな。追われて逃げてるのか」と言い、

「何があったんだろう」とサーナが言うと、

「だいたいこんな山奥におかしい。厄介者かもしれん」

だから最初は拒んだ、とラスカスは言いたげだったが、見殺しにしかけたのは理解できない。

あの夜もそんなことを思いながらテイルを見守った。治療後も眠るテイルを見つめ、何があったんだろう、と繰り返した。思いが一方的に強いのはそのせいかもしれない。こんな気持ちは抑えないと。

しかしサーナはテイルを追いかけた。山小屋に入り猟銃を持ち、ラスカスはベッドにいたが何も言わなかった。

テイルは森の中を歩いて山の斜面に日当たりのいい岩場を見つけ、座ってひと休みした。岩場には雪がなくしゃがむと岩はあたたかく、景色はひらけていて山あいの町が見える。町は小さくだいぶ遠い。中心に駅があり汽車の線路が見える。

そのテイルをサーナは森で見ていた。そばに行きたいのを我慢する。あとをつけたのは安全のためだった。心配通り森の奥で動きが見え、冬眠から覚めた熊の親子がサーナにもテイルにも気づかず歩いてくる。テイルのいる岩場に向かう。こうなっては仕方ないとサーナは銃に弾を込め空に向けた。

ガン、という銃声にテイルは驚き周囲を見まわし、一方に気づく。熊の親子が森の奥に逃げていく。

「こんなとこまで危ない」と声がして見ると、別方向の森からサーナが来た。猟銃を手にし、銃口から出る煙を払うように振る。「このまえの狼だっているかもしれない」

「ああ、ありがとう」とテイルは立つ。

「あれが町」とサーナはテイルと並んで町を見下ろす。「遠いでしょ」

「うん」

「だいぶ鍛えないと、下りる途中でバテちゃうんじゃないかな」

行ってほしくない気持ちが漏れたと思い、

「テイルの暮らす町はどんな?」とサーナは続ける。誤魔化す。「汽車に乗ったことある?」

「ああ」とテイル。

「へぇ」

「毎日乗ってた」

「そうなんだ――」サーナはまだ汽車に乗ったことがなかった。「どんな風? 揺れる?」

「場所によっては」

「へぇ」

「乗りたい?」

「一度はね」

「そう」

「遠いところに――」サーナは夢見ることがあった。いつか遠いところに行ってみたい。「テイルの町は遠い?」

「ああ」

「便利で、おいしいものも、楽しいこともいっぱい?」

「どうかな――嫌なことも、悪いことも、我慢することも多い」

「ふーん」

「ここの方がずっと――大変でも、穏やかに暮らせそうだ」

「でも行くんでしょ?」とサーナは言って森に行く。嬉しくはなかった。結局去るのにここの方がいいように言うのは、慰めだと思う。

でも気持ちがまた溢れたと思い、サーナは明るく森を案内した。いつものように振る舞った。

鳥の集まる湿地の狩場。小さな滝。薪を集めるのに最適な森。町に続く崖に面した道。

「町には、たまに?」

テイルの質問に、

「うん。狩りで獲った毛皮を持っていって、売って、そのお金でナメした革を仕入れて」とサーナは説明する。「それで革細工を作って、また売りに行って、必要な物を買って」

「そう」

「4年前までは母さんと行ってたけど、母さん死んでからは、私ひとりで。父さんは行かない」

「行かない?」

「行きたくないみたいで、ずっと山にいる」

「そう」

なぜそんなに人を避けるのか、拒むのか、サーナはわからなかった。父に聞けずにいた。聞くのが怖かった。

「私もたぶん――ずっとここに、父さんと一緒に」

「――」

「こっちに綺麗な場所あるの」とサーナは明るく言って一方を指さす。「来て」

   ***

そこは小さな泉だった。澄んだ地下水がこんこんと湧き、水面には周囲の樹々が映る。

「どお?」とサーナ。

「ああ、綺麗だ」

「でしょ? たまにひとりで来るの」

「そう」

「テイルの町にもこんなとこある?」

「いや、ないよ。ない」

「へぇ」

「いい場所だ」

「うん」とサーナは笑顔で座る。テイルも座る。

水面に陽光がきらめき、近くの花にはいくつもの蝶。戯れるように飛んでいる。

「忘れない?」とサーナ。

「ああ、覚えておく」とテイル。

「私のことも?」

「――命の恩人だからね、忘れようがない」

「ヘヘヘ」

「今日も助けてもらった」

サーナは笑顔を消して「嫌な子ね」と自分のことを言う。「恩に着せて、嫌な子。最近どんどんなる」

それはテイルに出会ってからだった。でも彼のせいではない。だけどどうしても、とサーナは思う。どうしても気持ちが溢れてしまう。

「僕は、悪い人間でね」とテイル。

「え」

「悪いことをした。これからもする」

「――何を? どんな?」

テイルは答えない。「言わずに良く見せて――」と苦い顔をする。「そんなズルイ人間、実は」

「まさか」とサーナは首を振る。そんな人には見えない。

「忘れてほしい」とテイル。「いや――忘れるよ」

「――」

「サーナには、幸せになってほしい」

「なんでそんなこと言うの?」

「――お節介だったね」

「忘れるわけないじゃない」と言ってサーナは立つ。泉を離れる。森に戻る。

『忘れてほしい』のはしょうがない、と思った。好意が溢れてテイルは気づいたんだろう。いつまでも思われるのは気が重いんだろう。

だけど『忘れるよ』というのは違う。人の心を決めつけないでほしい。なぜそんなことが言える?

でも『忘れるわけないじゃない』と気持ちがまた出て、自分を抑えられなくて、情けない。これじゃ『忘れてほしい』と言われてもしょうがない。

テイルは山小屋に帰るまでもその後も、詫びや言い訳をしなかった。

   ***

テイルの上着の血痕はサーナが綺麗に洗い落とし、弾痕は縫い合わせてわからなくした。その上着のポケットにテイルは所持品を全部入れた。財布に手帳にペン。

「何か必要なものはないか」とラスカスに聞かれたが、

「これだけあれば」と右手に持った杖をあげる。

「そう」とうなずいたラスカスは山小屋の表、外壁に手をついて体を支え「気をつけて」

「はい」

「元気で」

「あなたも」

「そうだな、それが一番だ」と苦笑してうなずく。

テイルが微笑すると、

「遅いな」とラスカスはあけたままのドアを振り向いた。「どうしたサーナ」と呼ぶ。「なにしてる」

サーナは猟銃を手にし、2つのバッグを両肩にかけて来た。「いろいろ準備あるでしょ」

「ああ、頼むよ」とラスカス。

「いってきます」とサーナは止まらずに行く。

「じゃあ」とテイルはラスカスに言った。

「ああ」とラスカスはうなずく。

テイルは一礼してサーナのあとに続く。

ラスカスはふたりを見送る。

   ***

山あいの町は南東にあって昼前の太陽は真正面。陽射しが強く山道を下りはじめるとすぐ汗ばんだ。

「1つ持とうか」とテイルが声をかけると、

「いい」とサーナは振り向かず、

「重そうだ」

「持てっこないでしょ。杖ついて、まだ怪我は治ってないのに」と不機嫌に言う。

「うん――」とテイルがうなずくと、サーナは立ち止まり、

「ごめんなさい」と背を向けたまま小さく言った。「お別れなのに」

「いいんだ」とテイルが首を振ると、

「ゆっくり行こう」とサーナはまた歩きだす。

「うん」

「テイルはどんな悪いことした?」

「うん――」

「お別れなんだし、いいじゃない。誰にも言わない。秘密にする」

「――」

テイルが黙ると「そんな簡単じゃないか」とサーナは苦笑する。「そうね――父さんも何か、悪いことを昔したのかもしれない」

「そうなの?」

「あんな風に人を避けるのは――母さん死んだ時もね、体が弱って、山を下りられなくなって、お医者を呼ぼうって私は言ったの」

サーナが14歳の時だった。

「父さんは『無理だ』って。『ここまで来てもらえない』って。行こうともしないから、『私が行く』って。『父さん行かないなら私が呼びに行く』」

「うん」

「それで父さんは向かったけど――お医者は来なかった。ほかの診察とぶつかって、『遠いし来てもらえなかった』って」

サーナは悲しく涙をこぼし、ベッドの母はサーナの手を取り「いいのよ」と微笑した。「ふたりがそばにいてくれればいい」

「母さんはそのまま死んで――悔しかった。5日後町に行った時」

道で白衣の老医師を見かけるとサーナは立ち止まって睨みつけた。気づいた老医師はサーナに近づき、

「何か困ってるかな?」とのんびりした口調で、

「母さんは死にました」とサーナは刺すように言った。「なんで来てくれなかったんですか」

「死んだ?」と医師は驚き「いつ」

「5日前。父さん呼びに行ったのに――いくら遠いからって、断わるなんて」

「はて? 5日前に誰か来たかな?」と医師は首をかしげ、後ろにいた看護師に聞き、

「いいえ、最近そんな急ぎのは」と看護師は首を振った。

「ウソ!」とサーナは言ったが医師は落ちついていて、

「この町に医者はワシだけだが――」と考え込んだ。嘘をついてるようには見えなかった。

「父さんはたぶん、行かなかったんだと思う」とサーナ。「行ったふりだけ」

医者にもかかれないような何かを、悪事をしたのかもしれない。

「それお父さんに聞いた?」とテイル。

サーナは首を振る。

「なら、違うかもしれない。どこかに誤解があるのかも」

テイルが言うとサーナは素直にうなずく。「答えを聞くのが怖くて。もしそうだったら許せないって、なりそうで」

「――」

「もう父さんしかいないのに」

「――うん」

「ずっと一緒にいるのに、聞かない、聞けない。おかしいよね」

「――いや」

「歩くの速い? 平気?」

「ああ」

「もうちょっとしたら休もう」

「うん」

   ***

森を抜けると小川を挟んで草原があった。眼下にまだ森は続くがそこまでの隙間のような場所。ふたりは座り、ひと休みし、

「友だち作るといいな」とテイルは言った。

「友だち?」

「町に知り合いは? 全然?」

「いつも行くお店の人は、知ってるけど。顔だけ。名前は」とサーナは首を振る。

「話したりは?」

「あんまり」

「話すといい。なんでも話せる人が、見つかると」

「それが友だち?」

「心が軽くなる」

「テイルは友だちいるんだ?」

それはサーナにとって羨ましいより寂しかった。「たくさん?」

「いや――そんないないけど」

「そお?」

「本当に信頼できる人は――」もういない、とテイルは思う。「でも、ひとりでもいい。いれば強くなれる」

「いるよ、じゃあ友だち」

「そお?」

「テイル。信頼できる」

「僕は――」

「悪い人なんかじゃ絶対ない」

「――知らないだけだ」

「でも言ってくれないんでしょ? 相手にならない? 私なんか」

「――」

「それとも、私を思って? だから言わない?」

「――」

「考えすぎね。バカみたい」とサーナは立つ。「どんどん嫌われちゃう」と歩きだす。

テイルは黙って続き、何も言わなかった。サーナの言葉をどれも否定しなかった。

   ***

町を間近に見下ろせる山道でサーナは森に入り、樹の洞に猟銃を隠した。

「いつもここに隠すの。町には持ってけないから」と言う。「ここまで来れば熊も狼も出ないし」

「そう」とテイルはうなずき、自分の杖も沿道に置いた。町がすぐそこならもういらない。

町の周辺には農地があって、その田舎道をサーナとテイルは歩いた。

「汽車は夕方だから、買い物つき合って。いろいろ買わないと」

「ああ」

町に入ると道は石畳。人通りはそれほどない。いつもだった。人口自体が少ない。

サーナはまず毛皮と革細工を売りに行く。店主に金をもらうと店頭に並んだ革、革細工の元になる材料を選ぶ。それを買うと次は雑貨店に行った。マッチ、洗濯石鹸、トイレの紙、猟銃の弾などを買う。

テイルは新聞売場でそれを手に取りめくった。目を走らせる。買い物を終えたサーナが「お待たせ」と来ると、「ああ」とテイルはうなずき新聞を置いてサーナと店を出る。

「テイルは字が読める?」

「うん」

「へぇ、すごい。当然か。私は数字だけ。買い物できるように」

「そう」

この国の識字率は高くなかった。僻地には学校もなく字が読めない人は大勢いた。

サーナが次に向かったのは食品店。塩を買うついでに店内の食材をあれこれ指さし、「これおいしい?」「どんな味?」とテイルに聞く。「テイルはこれ好き?」「どんな料理にするの?」

「買ってあげようか」とテイルが言うと、「いい」とサーナは苦笑し首を振る。

そんなふたりを見る者がいた。町の男たち。テイルを羨む視線でテイルは誇らしい。サーナの服装は町の女のようなスカートではなく、畑仕事や猟に便利なズボン。そして粗末で汚れている。しかしサーナの顔立ちは並外れていた。思わず目を惹く美貌で男たちは振り向く。サーナはそれに気づかない。テイルだけが気づいた。

買い物を終えると町役場の出入口の日陰、階段の端に座って休んだ。

「お父さんにはああ言われたけど、何かお礼したいな」とテイルは言った。「欲しい物あれば」

「うん――」サーナは微笑で目を伏せる。

「お父さんに見つかると、なんか言われるかな」

自分で言い出しながらテイルは迷っていた。残るような物はいけないのかもしれない。彼女にとってはよくないのかも。

「いいの」とサーナは首を振る。「悪い」

「悪くはないよ」

「でも、いいの。夢がかなったし」

「夢?」

「男の人と買い物したら、どんなかって」

「――」

「楽しかった。いっぱい歩かせてごめんね。疲れたでしょ」

「いや」

「じゃあ、もう行く」とサーナは立つ。「遅くなるから」

「ああ」とテイルも立つ。

「気をつけて」と笑顔でサーナ。「元気で」

「ありがとう。サーナも」

「うん」とサーナはうなずく。その笑顔が急に歪む。うつむいて「さよなら」と背を向ける。歩きだす。

「さよなら」

テイルの声にサーナは振り向かない。小さくなる背中をテイルは見送った。


   2

銃を隠した森に来るまでサーナは町を振り向かなかった。

銃を回収して山道に戻ると汽笛が聞こえ、見下ろすと町の駅に汽車が着いたところ。

サーナは涙をこぼし、テイルを思い出しながら山を登った。

そのあとを追う者が2人。町の若者だった。サーナに気づかれぬよう森の樹々に隠れつつ進む。

2人がサーナを襲ったのは行きにテイルと休んだ草原。風が草木を揺らし足音をかき消し、1人が背後から迫って銃を奪うともう1人がサーナを突き飛ばした。仰向けにして馬乗りになると両手の手首をつかみ、

「いや!」とサーナは叫んだが自由を奪われ、

「おとなしくしろ」と馬乗りになった男は顔を近づけた。「叫んでも誰も来ない」

もう1人は離れた場所に銃を置くと戻り「すぐ済むよ」とサーナの耳元で言ったあと暴れる足を押さえサーナの靴を脱がす。

「やだ!」

抵抗するサーナの両手を馬乗りになった男は何度も地面に打ちつけた。

サーナの靴を脱がした男はズボンにかかりベルトを外し、


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