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ユースセンターを当たり前に。子どもたちと向き合い続けて見つけた「社会を変える」ための道筋

2021年、カタリバが新たにスタートした、日本全国で10代の居場所づくりに取り組む方々を支援するインキュベーションプロジェクト「ユースセンター起業塾」。

同じ志で子どもたちと向き合うまさに“同志”を募り、伴走することで、子どもたちに学校でも家庭でもない「第三の居場所」と「ナナメの関係」を届けていくための取り組みです。

このプロジェクトのチームリーダーが吉田愛美(よしだ・まなみ)。もともと現場で子どもたちを支援してきた彼女だからこそ語れるユースセンターの存在意義や、彼女の今までの歩みをお届けします。

経歴について教えてください

大学時代は、ひたすらバイトに明け暮れるような生活を送っていました。漠然と「教育」や「児童問題」に興味があったのですが、大学入学のタイミングでやりたいことがわからなくなってしまって……「何者かになりたい」という気持ちはあったので教員免許は取得したものの、勉強やゼミにも夢中になれず、考える時間を埋めるようにバイトしていました。

だから就職活動もそこまで本気で取り組めていなくて。就職活動のイベントで声をかけてくれた不動産系の会社へ入社しました。イベントに参加していた人事担当に「教育系に興味があるなら新規事業でやればいいよ」と背中を押してもらったのですが、入社後は営業チームへ配属。必死になって営業に取り組んでいたら、イベントで声をかけてくれた人事担当は海外へ異動。「結局、新規事業なんてできないんだ」と希望を失い、退職を決めました。

その後、祖父の紹介で地元・福島の国会議員秘書になりました。当初は「ゆくゆくは市議会議員になろう」と意気込んでいたのですが、電報を打ったり、長い陳情を聴き続けたりする以外は何もできない環境で……能動的に動けない状況が続いて体調を崩し、議員秘書も辞めることにしました。

なぜカタリバへ?

教員免許を取得する過程でカタリバについては知っていたのですが、「働きたい」と思ったのはポケットマルシェ代表で「東北食べる通信」創刊者の高橋博之さんの存在が大きいです。

その頃、高橋さんの本を読んで感銘を受けていたこともあり、東京で車座をやっているというので参加したところ、「カタリバっていう面白い団体があるよ」と言われました。

特に震災以降、心の底には「東北のために何かしたい」という気持ちがあったので、東北に拠点があるカタリバに運命を感じたのかもしれません。

入社の決め手は何だったのでしょうか?

最終面接での出来事ですね。感極まって号泣してしまったことがあって。

最終面接を担当してくれたのは、当時の理事と大槌臨学舎(10代のための放課後の居場所)の統括担当・菅野の2名。理事が菅野のキャリアやカタリバにかける想いを教えてくれたのですが、「あなたには菅野と同じぐらいの覚悟はありますか?」と問われて、即答できなかった。

漠然と「東北のために」という気持ちはあったけど、菅野ほど本気で考えきれていなかったことに気づかされたし、悔しかったし、感動もして、感情がぐちゃぐちゃになって涙が溢れてきてしまいました。同時に、受験勉強以来一生懸命になることから逃げていたことに気づいたし、「ここなら本気になれる」と感じ、覚悟を決めました

現在はユースセンター起業塾に携わっていますよね。まずプロジェクトの概要を教えてください。

「子どもたちのために何かをしたい」「気軽に立ち寄れて、家や学校にはない関係性を築ける場所をつくりたい」という方々を支援しています。団体や個人へ資金支援も含めた伴走をするのは、カタリバ初の取り組みです。

私が担っているのは、チームのリーダー的ポジション。業務委託を含めた5人のメンバーが支援団体との定期面談を通した進捗の確認や悩み相談、団体間のネットワークづくりやカタリバのノウハウ共有などを進めています。ユースセンター自体は全国的にまだ認知度が低いので、価値づけや情報発信などにも力を入れている最中です。

吉田とユースセンター起業塾のメンバー

プレイヤーからマネジメントに移ることで考え方に変化はありましたか?

マネジメントラインになると、自ずと“自分以外の誰かに手を動かしてもらう”ことになります。自分が現場に立つことは大好きだけど、マネジメントラインだからこそ大きいインパクトを残せるかもしれないし、もしかしたら自分の想像以上の結果が生まれるかもしれません。「社会を変える」、そのための道筋が少しだけ見えてきたような気がしています。

ユースセンター起業塾のリーダーポジションとしてクリアしたい目標があれば教えてください。

ユースセンターを地域にとって当たり前の場所にしていくことです。理想は、中学校区に1つ以上ユースセンターをつくることです。

ユースセンターが必要なのは、不登校の子どもや被災地の子どもだけじゃない。一見普通に生活している子どもだって、その子なりの悩みがある。第三の居場所を通して、あらゆる子どもたちが自由に羽を伸ばせるようにしたいですね。

そのための壁はたくさんあるかもしれないけれど……地域で「やりたい」と思っている人がやれる環境をつくるのがベストだと思っています。「子どもたちのために何かしたい」と思って行動する人が全国でひとりでも増えるように、どんどん成功事例をつくっていきたいです。

大槌臨学舎で子どもたちへ伴走する吉田

今後、ご自身のキャリアとして目指していることはありますか?

やはり、現場へ戻ることですね。私はどちらかというとファーストペンギンになるというよりも、ファーストペンギンを目指す人を支える黒子役の方が合っていると思うのですが、たまに現場の目線を失ってしまいそうでドキッとすることがあります。

自分たちが考え・行動してきたことが子どもたちにきちんと届いたか見届けるためにも、いずれは現場に戻りたいですね。

(原文:田中 嘉人)

※noteマガジン「はたらく人」は、カタリバwebサイトに掲載している「カタリバマガジン」の記事の一部を転載しています。

https://www.katariba.or.jp/magazine/article/interview230224/

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カタリバ入職後に配属された大槌臨学舎やマイプロジェクト(実践型探究学習)での経験や、ユースセンター起業塾で支援している団体の詳細など、noteで紹介しきれなかった詳細はぜひこちらから全文をご覧ください。

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