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宿題を出すことよりも、自主性を身に付けてもらうことの方が大切

今日のテーマは宿題です。
そもそも宿題を出して、それをこなすことで成績を上げた人を見たことないような気がします。
学校のようなところで、次の授業で発表してもらうためにやってもらうことは必要なのかも知れませんし、その教科に触れる機会を増やすために、先生たちが出すことについて、全面的に否定するつもりはありません。

しかし、私がこれまで進めてきた学習指導のなかで宿題の位置づけは最も低いものです。
なぜなら、人間の能力を引き出してくる大きな要素のひとつが自主性を身につけることだと考えているからです。
自ら進んで行動できるようにもっていく、この事が私の指導の根幹を為しています。
したがって、問題集や資料などは生徒さんに渡しますが、ほとんど宿題はだしません。分かるまで、納得するまで説明を受けて、問題も解けるように指導できれば、生徒さんたちは、自ずと自主的に進めだします。

嫌いなこと、難しく考えてしまっていること、苦手なこと、これは生徒さんと対するなら各教科になりますが、触れる時間、または触れ方が上手くいかないことによって、自主的な行動や勉強に取り組めないことが、その思いをより助長して、気がつけば、苦手意識と偏見でゴリゴリに頭の中で固まってしまう。気がつけば、2学年前にやったことで止まっているなどということはよくあることです。

人間の頭というのは悲しいかな、得意不得意、苦手意識、好き嫌いなどおよそ偏った思い込みである一定のところから進歩できなくなってしまう、もっと言うならば進化、成長を自らで止めてしまうという性質を持っています。

逆に大好きで得意な分野というのは、その分野に対する思い入れの度合いにもよりますが、あっという間に専門知識の分野まで立ち入ってしまうことも可能です。放っておいても、どんどん知識が深まり、詳しくなっていきます。それは、その分野に触れる時間を知らず知らずに長く取り、より知りたいという欲求が人を専門知識へといざなうからです。
願わくは、苦手分野においてもそのように持っていくことができれば、眼の前の苦手教科のことのみならず、人生における能力の拡張作用があるのではないかと考えて指導にあたっています。

さて、苦手なこと、嫌いなことに対して、自主的に対処していくことというのは、人間にとって一向に進まないジレンマになりやすいものです。
そこをどうやって導いていっているのかを種明かしをします。

詳細については、個々の生徒さんに合わせて、十人十色の伝え方をしますのでここでは割愛しますが、その骨子について記しておきます。

私が主眼をおいているのが、イメージの変換です。

苦手、嫌い→→簡単で面白い、そして、人生にとって必要

というように偏見によってものの見方が歪んだ部分も含め、修正をかけながら、ポジティブな方向へと導きます。

一人一人の生徒さんについて、ほぼ数時間、早ければ数十分で頭の中のネガティブイメージをポジティブイメージへと一気に変換してしまう指導をおこなってきたということが、大きな結果に結びつけてきたひとつの要因です。

そのなかには、指導者として2つの要素が必要です。
・圧倒的に分かりやすく説明できるということ
・興味が湧くような伝え方(時には笑わせながら)ができる

人は前向きに物事を捉えられるようになると、個人差はありますが行動に結びついていきます。
発想が変わり、行動が変わると眠っていた才能がむくむくと動き出します。
すると今までが何だったのかというくらいできるようになっていきます。

話を宿題に戻します。
宿題というのはそもそも画一的に、強制的にそして、提出期限も設定され、怠れば減点の対象になってしまうという側面があります。
出さなければ減点、このようなシステムにいつ頃からなったのかは、定かではありませんが、そもそも学習内容を体得して人生の中で活かしていくということが目的のはずです。
やはり、学習効果という点では違和感だらけです。
私が担当してきたエリアの宿題の出し方は学校によって、担当の先生によってまちまちですが、ある程度傾向があります。
中学校でいいますと、学校の成績の水準が全体的に高いエリアは、宿題は少なめ、もしくは無し。理由は塾に週に何日も通っている生徒が多く、塾の宿題と学校の宿題をこなしきれないという理由でPTAを通じて宿題を出さないようにしている学校もあります。
逆に学校全体の学業成績が振るわない地域は、宿題が多めのところが見受けられます。
生徒さんたちも地域によって、宿題事情が違って、家庭学習の自由度という点でも地域差が生まれています。

今回は、宿題について一考してきました。
私の考えは、学習の理想としては自分から自主的に進めていくものであって、学習効果という点に重きをおかれるものであるはずだと考えます。
現に私の指導では、宿題をほとんど出さずに、生徒さんが自主的に取り組むものとして捉え、問題に取り掛かってみて分からないところを説明するツールとして参考書や問題集を使用して、学習効果を上げております。

提出物の内容や提出期限によって減点対象にしている現状、一部に提出物に対して並々ならぬ執念を燃やし、生徒が頑張って獲得した中間期末テストの結果を生殺与奪して、生徒さんの進路を妨害する偏った先生方も私の生徒さんたちの学校での話では頻繁に聞かれました。

教育の問題は、それぞれの人生に伝えた事をどう活かしていってもらうかです。
目先のこだわり、偏りに終止する教育現場を作ることは、誰のためにもならないと思います。
宿題自体が悪いとは思いませんが、生徒さんを伸ばす方向性がないものを形式的に画一的に出すことの意義を考えていかなくてはならない時期にきているような気がします。











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