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進化可能な鏡:生命と意識の起源を巡って

私は、化学進化仮説に基づいて太古の地球における生命の起源、つまり世界初の細胞の誕生について考えています。

また、私は人間の思考についても考えています。

それらを探求する中で、頭の中で思考することにより、アイデアや理論に魂が宿るというイメージを思い浮かべました。魂がこもった思考は、まるで生命のように振る舞い、生き生きとしたものになります。

このようにイメージすると、私たちの脳の中には、生き物のような多様な思考が住んでいることになります。そうした思考は、思考細胞あるいは思考生物、と表現することができます。

<情報の保存とプロセス>

遺伝子と生物の関係と、私たちの記憶と思考の関係は類似しています。

まず、遺伝子と記憶についてです。両方とも情報を安定的に保存する役割を持っています。

遺伝子は物理的な存在であり、化学的な法則に従って情報を保存します。 記憶は、脳内に論理的に存在しており、脳の神経細胞の織りなすネットワーク構造の法則に従って情報を保存しています。

それらは遺伝子と記憶は、生物と思考を生み出します。

生物と思考は、ダイナミックなプロセスです。共に、始まりと終わりがあります。 そして、それ自身を生み出す元となった、遺伝子や記憶を変えることが可能です。

遺伝子の進化はランダムな変化と自然選択に依存します。 一方で、記憶の方は、思考プロセスによって変更、設計、作成できます。

これらの違いは、進化の速度をもたらします。遺伝子や生物の進化に比べると、記憶や思考は信じられないほど速く進化します。

<思考の進化による、意識の発現と発達>

私たちの脳を、生物のような性質を持つ思考、つまり思考細胞あるいは思考生物たちの住処として捉えると、私たちは、一人一人、それぞれ異なる発達状態を持つ可能性があることに思い至ります。

たとえば、Aさん は、多細胞生物の多様な種である生きた思考プロセスが非常に高度に発達した森のような思考プロセスを持っている可能性があります。 一方、B さんは生物の進化の初期段階のような思考プロセスを持っているかもしれません。同じような発達段階の人同士でも、その生態系を詳しく見ていくと、類似点もあれば、様々な差異もあるでしょう。

この考え方を進めていくと、生まれたときに意識がないのに、なぜいつの間にか私たちは意識を持つようになったのか、という疑問に対する答えの一つにもたどり着けそうです。

幼児期の成長の過程で、思考も発達し、成長し、進化します。

この試行の進化が進むことで、やがてその子の脳内に、最初の思考細胞のようなものが生まれます。それによって、自分という存在を発見するのです。ただし、この段階では、その子供は世界を自分自身と外の世界に分けることができる単純な細胞のような思考しか持っていません。

次の段階で、思考の細胞の生態系には多様な細胞が登場します。 このレベルでは、子供は外界の存在を父親、母親、友人、犬、木などに分けて理解することができます。

その後、思考の細胞生物は、多細胞生物レベルに進化します。 このレベルでその子供は、家族、友人の家族、学校、社会、各コミュニティなど、世界には多くのコミュニティがあることを理解します。 また同時に、数学、言語、科学、哲学など、世界にはたくさんの知識分野があることを理解します。人間関係や複雑な機械や自然界のメカニズムといった、システムも理解できるようになります。

<世界を映す鏡>

私は、この認知能力の発達段階において、子どもの内世界の思考細胞が、世界に対する認識に密接な対応関係を持っているというイメージを描きました。実際の細胞は、細胞膜によって自己の内側と外側を分けます。同じように、子供の頭で誕生した最初の思考細胞は、自分自身と外の世界という二つの存在があるという認識を形成します。

同様に、思考細胞の種類が増えることで、世界にはたくさんの存在があることを認識します。 そして、多細胞生物のように複数の思考細胞から構成される多様な思考生物が登場することで、コミュニティ、知識分野、システムを認識できるようになります。

このイメージは、世界を映す鏡を思わせます。

脳内の思考生物の生態系は、世界に対する認識を鏡のように反映しています。世界に対する認識は、世界そのものの姿に基づいています。 つまり、脳内の思考生物の生態系は、世界を映す鏡と言えそうです。

そして、生物自身や生物の生態系にも、同じことが言えます。生物や生態系も、世界を反映しています。これは、少し直感的ではないかもしれませんが、以下のことを思い浮かべて見てください。

地球には昼と夜のサイクルがあり、生物にも昼と夜のサイクルがあります。 地球には外側と内側、太陽と核の両方にエネルギー源があるように、生物も外側と内側の両方にエネルギー源があります。 地球には固い地面と水があり、生物にも固形の器官と液体の部分があります。地球上で水が循環するように、生物の中も水が循環します。地球には山、野、湖、海と多様な環境があり、生物も多様な器官を持っています。

もちろん、これらは偶然の産物かもしれません。しかし、化学進化がこの地球で発生し、その結果として細胞が生まれ、その細胞が生物の基礎となっています。そのことを考えると、この対応関係には、強い意味があるとも思えます。

ですから、生物とその生態系も、世界を映す鏡であると、私は考えます。

<進化可能な鏡>

さらに、これらの鏡は変化のない静的な鏡ではなく、進化可能な鏡です。細胞が誕生する前の化学進化システム、物理的生物の生態系、そして私たちの脳内の思考生物の認知生態系はすべて、世界を映し出す、進化可能な鏡として機能しています。

始めはぼんやりと映しているだけだったものが、やがて解像度が上がり、ピントも合うようになっていきます。さらに、曲面や柔軟性を持ち、多面性も持つように進化していきます。対象の構造や色、遠近感やミクロやマクロ、科学的な物から心理的なものまで、世界のあらゆるものを映し出すように進化していきます。また、外界だけではなく、自分自身の姿形も、内面も、過去も現在も、そして可能性のある未来をも映し出していきます。

そして、世界が変化すれば、鏡に映る姿も、鏡自身も、変化することができます。生物が、環境の変化に順応するように。

ああ、だからかもしれません。私たちが、自然の景色を美しいと感じるのは。朝日が昇る景色、山の稜線、小川のせせらぎ、風に揺れる木々、鳥のさえずり、草食動物の群れ、肉食動物の走り、猛禽類の鋭い眼光。そして、この青い地球。

それを鏡に映し出すために、私たちの審美眼は、愛おしいほど世界を求めているのかもしれません。

<さいごに>

ここに書いた私の洞察は、いくつかの既存の考え方や分野の知見と呼応していると思います。 しかし、私はこれらの既存のアイデアや理論を組み合わせることを目指しているわけではありません。

純粋に、論理的思考と、システムアーキテクトとしての概念モデリングスキルを使用して、私たちの脳の思考について深く考えていって、得られた洞察を記事にしています。

通常、新しいことを考えるとき、私は既存の理論やアイデアを学ぶ前に、真っ白なキャンバスから考え始めるように心がけています。昔から、勉強よりも、考えることの方が好きだったということもあります。 この思考方法を使用すると、私は自分の中に、オリジナルで魂のこもった思考を生み出すことができると感じています。その感覚が、この記事のアイデアのひらめきの元になっています。

この空白のキャンバスのアプローチは、アートやデザインの分野ではもちろん一般的ですし、それが当たり前のように個性と多様性を生んでいます。

一方で、このアプローチは科学や技術の分野でも活用でき、新たな独自の視点やパラダイムをもたらす鍵だと思っています。けれど、アートの分野とは違い、論理の組み合わせですから個人的なバイアスを含みません。むしろ既存の理論によるバイアスを逃れて、より強い普遍性を持つものが見つかる可能性が開けると思っています。

また、少し感性的な表現を、私は記事に織り込んでいます。これは私が若い頃に小説を書く趣味があったことの影響もあります。感性で論理を飛躍させる意図はなく、あくまで論理の組み上げの際のスパイスとして使っています。

無味乾燥の学問的な話より、こちらの方が書いていて楽しいという事もありますし、またこうしたスパイスが新しい発想の種にもなっていたりします。言葉遊びのようですが、自分なりにしっくりくる言葉を当てはめて考えて見ると、存外、新しい発見が出てきます。今回の記事では、思考細胞や鏡がこれに当てはまりますが、こうしたスパイスが、私の食欲、もとい思考をうまく刺激しています。

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