加藤隆生(SCRAP)

株式会社SCRAP代表取締役。京都でフリーペーパー『SCRAP』を創刊し、誌面と連動し…

加藤隆生(SCRAP)

株式会社SCRAP代表取締役。京都でフリーペーパー『SCRAP』を創刊し、誌面と連動したイベント企画のひとつとして開催した「リアル脱出ゲーム」が好評を博し事業化。毎回空間と趣向を変えて展開されるイベントは全世界で注目を集め現在では1090万人以上が熱狂。

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  • リアル脱出ゲームに至る道

    リアル脱出ゲームを最初に思いついた人のそこに至るまでの人生や道のりです

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リアル脱出ゲームができるまで

この16年の間に、リアル脱出ゲームを思いついた時のことを何度も何度も聞かれた。 「なぜ思いつくことができたのですか?」と。 なぜなんだろう。 自分でもわからない。 思いついた瞬間のことはもちろん覚えている。 その日は2007年5月の中旬。フリーペーパーSCRAPの編集会議で、32歳の僕と学生のスタッフが4人くらいいた。間借りしていたぼろぼろの部屋だった。 その時僕らはフリーペーパーのためになにかイベントを作ろうとしていて、特に良いアイデアが出なかった僕は苦し紛れに目の前に

    • 世に打って出るためにフェスティバルを作ろう - リアル脱出ゲームに至る道

      28歳にしてついに世に打って出るつもりでロボピッチャーというバンドを結成し 「さあやってやるぞ!」 と意気込んでいる僕に後の人生を大きく変えてしまうキュートな出会いがあった。 あるライブハウスのオーナーさんに誘われて行った、磔磔という京都のライブハウスで行われていた音楽イベント。 会場は満員ではなかった。 50人くらいのお客さんがいて、4つくらいのバンドが出ているイベント。 最初にモヒカンの背の小さな司会の男性が出て来る。 たどたどしい言葉。つっかえながら自分がこれらのバンド

      • 音楽で生きていくためのバンドをつくろう - リアル脱出ゲームに至る道

        迫りくる無職の30代からの脱出のために僕は編集プロダクションに勤めることを決意し、ほぼ毎日京都を紹介する文章を書き、フリーペーパーを二つ編集し、奇妙な社長との日々を送っていたのだけど、もう一つやったことは、これまで学生時代の延長線でやってきたバンドを解散させることだった。 そのバンドはハラッパ=カラッパという名前で、主に京都で活動していた。 大学の軽音サークルの友人たちと結成したバンドで、ほぼすべての曲を僕が作詞作曲していた。 結成当時僕は21歳で、いけすかないすかし野郎だっ

        • もう自分でなにか始めるしかないんじゃないかと思い始めた30歳 - リアル脱出ゲームに至る道

          2001年。28歳ニート生活の中で未来が見えず、どこにもたどり着こうともしないまま怠惰な日々を送っていた僕は、毎晩書いているブログがそれなりにリアクションがあったので、「文章を書くことを仕事にしよう!」と短絡的に思いついた。 この頃の気持ちとしてはミュージシャンとして生きていく未来を望んでいた気持ちはもちろんあったんだけど、もう社会人として生きていく自分は諦めていたので、とにかく「何かを作りながら生き延びる方法はないか?」ってことを考えていた気がする。 音楽で生計を立てるの

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        • リアル脱出ゲームに至る道
          12本

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          暗黒のニート時代 - リアル脱出ゲームに至る道

          前回書き忘れたのだけど、会社を辞めた理由はフィッシュマンズのボーカルの佐藤伸治が死んだことも大きな理由だった。 学生の頃から狂ったようにフィッシュマンズを聴いていて、ライブが関西であれば必ず足を運んだ。 ライブでの一体感はすさまじかった。狂ったように身体を揺らしながら音が入ってくるのを感じていた。 すべての音に意味があって、どうしてもそこになくてはならない音楽だった。 会社を辞めようかどうか迷っていたときに突然佐藤伸治が死んだというニュースが流れてきた。 もうフィッシュマンズ

          暗黒のニート時代 - リアル脱出ゲームに至る道

          このままじゃ人生を変える一撃なんて撃てない - リアル脱出ゲームに至る道

          大学を卒業して、なんの覚悟もなく社会に出た。 働くことに希望なんてまったくなかったし、責任がなくただ自由に生きているだけで意味がある場所にいたかった。 でも、その頃の世の中のほとんどの会社がそうであるように、僕が入った会社もとんでもなく長時間の労働が当たり前になっていて、朝出社したら徹夜をした先輩たちがソファーで寝ていたり血走った目でパソコンとにらみ合っていた。 僕は営業としてその会社に入り、ノルマの予算が与えられ、京都中のさまざまな企業に飛び込み営業して、見積もりを出して

          このままじゃ人生を変える一撃なんて撃てない - リアル脱出ゲームに至る道

          「自分にはなんらかの才能があり、まだ世界が気づいていないだけなのだ」 - リアル脱出ゲームに至る道

          大学は入学してすぐ楽しくて。 やっと春が来たのだと思った。 高校時代も楽しくやってたとはいえ、別に学校に行きたかったわけじゃなかった。 行かなくちゃいけないから行っていて、少しでもそれを楽しめるように友人をつくったり、いろいろ工夫したりはしたけれど、別に目が覚めてすぐにワクワクながら「今日も高校へ行くのだ!」とか思ってたわけじゃない。 大学は少なくとも最初の一年くらいはとにかく楽しくてしょうがなくて、ウキウキしながら通ってた。 入学してすぐの新歓コンパは無料だったのでいろんな

          「自分にはなんらかの才能があり、まだ世界が気づいていないだけなのだ」 - リアル脱出ゲームに至る道

          「自分でルールを作って、その通りに行動するのが好きだった」 - リアル脱出ゲームに至る道

          大学生の前に浪人時代があった。 とにかく高校時代はただただ遊んでいたので成績もひどいものだった。 現役の時にどんな大学をいくつ受けたのか覚えてない。いくつかの大学を受けて当然のようにすべて落ちた。 浪人生となって予備校に入ったけれど、そこでも三クラス中の一番勉強が出来ないクラスに入った。 英語と社会が致命的にまったく出来なかった。英語に関しては200点満点のセンター試験で100点も取れなかったのを覚えている。 国語は昔から割と点数は取れた。元々理屈っぽい性格だから、理屈が必

          「自分でルールを作って、その通りに行動するのが好きだった」 - リアル脱出ゲームに至る道

          「相変わらず物語の始まりを待っていた」 - リアル脱出ゲームに至る道

          さて高校時代。 高校時代楽しかったな。初めてちゃんとした友達ができた。 恋愛の話したり、将来の不安を分かち合ったり、これまでのささやかな人生の闇を共有したり。そういう存在。 高校は京都の市立高校に入った。進学クラスというのがあってそこに。 中学の頃は成績は良かったけれど、高校に入ると特進クラスだったので途端に真ん中より下になった。 勉強全然つまんなかった。特に数学と理科はまったくついていけなくなってしまった。中学までは得意だったのに。 国語は得意だったけれど、先生に嫌われて

          「相変わらず物語の始まりを待っていた」 - リアル脱出ゲームに至る道

          愚かであるということに無自覚だった - リアル脱出ゲームに至る道

          さてそんなこんなで今回は中学生になったところからはじまります。 野球部に入った。 大してうまくなかったけれど、二年生からレギュラーではあった。 ライトかセンターを守ってた。 7番くらいを打ってた。 僕が二年生の時に三年生最後の試合で僕のさよならエラーで負けた。 僕はライトを守っていた。最終回で地域の超強豪チームにあと少しで勝てそうなときに大きなフライが僕の頭を越えていった。僕は必死で追いかけたのだけど、そのボールが壁に直接当たって僕の方に跳ね返ってきた。僕はびっくりしてその

          愚かであるということに無自覚だった - リアル脱出ゲームに至る道

          「これは君が主人公になれるゲームなんだぜ!」 - リアル脱出ゲームに至る道

          1974年9月14 日。 リアル脱出ゲームが生まれる33年前に僕は生まれた。 生まれは岐阜市。小学5年生まで岐阜に住んでいた。 覚えている一番最初の記憶は保育園の入園式。 飛行機のマークの靴箱に靴を入れているところ。 自分のマークが飛行機だったのでうれしかった。 目立ちたがり屋で、周りの空気を読めなくて、やたら大きな声でしゃべってた。 それが保育園時代の僕だった。 今もそんなに変わってないかもしれないけれど。 騒ぎすぎてピアノ教室を退学になったりした。 よく母に「あんたは

          「これは君が主人公になれるゲームなんだぜ!」 - リアル脱出ゲームに至る道

          「なぜ僕がリアル脱出ゲームを思いつけたんだろう」- リアル脱出ゲームに至る道

          ずっと不思議に思ってきたことがある。 それは「なぜ僕がリアル脱出ゲームを思いつけたのか」ってこと。 この巨大な謎についてそろそろ向き合ってみようと思っている。 リアル脱出ゲームを思いついた時、僕は何者でもないただの無職の33歳の青年で、なんの技術もなく特別な与えられた場所も持っていなかった。 うだつの上がらない自称ミュージシャンで、わけのわからないフリーペーパーを京都で作っていた。 謎なんて作ったことなかった。 しかもあの時僕が始めたリアル脱出ゲームは、コピー用紙をペタペ

          「なぜ僕がリアル脱出ゲームを思いつけたんだろう」- リアル脱出ゲームに至る道