それって、本当に好き?自分の好きを疑ってみる。
「好きなことを仕事に」の世の中の風潮に、自分は乗り遅れているんじゃないだろうか、と不安に思っている方、今やっている仕事に好きも、やりがいも、展望も感じられずに悩んでいる方もけっこうな割合でいると感じている。
同時に、「好きなこと」を見つけられない自分を、自己否定しまっている。私は、その自己否定は健全だと思っている。自分の「好きなこと」を見つけたいという気持ちは、自分の「幸せ」を見つけたいと同じことだから。だから、今 自分が幸せを感じられらいことにギモンに思い、悩むことって当たり前だし切実なこと。
私は、自分の「好き」をちゃんと見つけたかった。「好き」がわかりたかった。つまり、「幸せ」になりたかった。
闇雲に「幸せになりたい」というのは、自分の「幸せ」を感じることはできない。ここは、本気出して自分の「好き」を知らなければ。
そもそも、自分の「好き」がよくわからない。
「好き」かも知れないけど、それが本当の「好き」かが疑わしい。
以前の私がこんな状況だった。
私の「好き」の半分は、ストレスの穴埋めから来たもので、フェイクな「好き」だった。本当の「好き」がどんなものなのかを知りたかった。
だから、自分の本当の好きを見極めることから始めた。
それは、ほんの小さな「好き」を見つける積み重ねだった。
自分のペースで小さな「好き」を積み重ねる旅(例)。
「好き」を頭で考えるのではなく、心に聞くトレーニングだった。
他にもいろいろと自分の小さな「好き」を、頭ではなく、心に聞くトレーニングをしてきた(今でもやっている)。心に聞くトレーニングを通して気づいたことは、
自分の「好き」を選択することは、勇気がいる。
時には「覚悟」も必要かもしれない。
・オレンジではなく値段が高いイチゴを選んだ時は、お金が減る「恐れ」
・職場のオンライン飲み会を断った時は、嫌われるかもしれない「恐れ」
・夕飯に焼きそばを選んだ時は、健康面を重視しないという「罪悪感」
・近場ではなく遠出を旅行先に選んだ時は、体力・労力がかかる「恐れ」
・平日の午後にコンサートに行った時は、会社を休む「罪悪感」
自分の本当の「好き」の精度をどんどん高めていく過程には、「恐れ」と「罪悪感」が出てくる。だから、小さな「好き」を見つけることからスタートして、だんだん自分に慣らしていけばいいと思う。
「恐れ」と「罪悪感」をくぐり抜けて、自分の本当の「好き」に出会った時、もう既に幸せの中にいることだろう。
本当の「好き」に出会う旅が、「幸せ」の旅。
さあ、旅に出よう!
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