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大手企業勤務のご近所さん

大手企業で管理職をしているご近所のAさんを含めて数人と話す機会があった。

色々と話している中で、『生き方』や『子育て』について話していると…【幸せの定義】のような話になった。

価値観は人それぞれだが、お金や地位という、具体的に『いくら稼いで、どの役職まで昇り詰めたら幸せ』と言えるのか…

何処まで行っても満足出来なさそうな、曖昧な基準を幸せの指標だと思い込んでいる人が複数いる事も分かった。


Aさんの話を聞いて一番気になった所が、前の役職から今の役職で増えた収入の話しや、自身の父親より社会的地位を超えたとか…

全て何かと比較していて、『勝ち負け』が基準の様に感じた。実際に自分が幸せかどうかは、基準から外れている様な違和感があったのだ。

彼は、仕事や私生活に関しても、○○をするのが当たり前だから、ただやるだけ…

と言った感じで、幸せに生きる為の、目的と手段に関しては、真剣に話を聞いたすえに、よく理解が出来なかった。

収入は多い方がいいし、大きい会社で管理職をしていたら、社会的地位も高いだろう。

それによって、人生をより豊かにできる武器が増える事は間違いないだろう。

しかし、それだけで他人と自分を比べて『勝ち負け』に近いモノを基準に幸せを競うなら、それは幸せというより、ゲームの世界に限りなく近いと感じてしまった。


収入だけなら、無職でも、投資で1億稼ぐ人もいるだろうし…

大手企業勤務の管理職でも、給料が安い場合もある。


そもそも自分が幸せと感じる為には、他人との比較を基準にするべきでは無く、『自分の満足度』を基準にするべきだと思う。


ある学者さんが日本人の意識に関しての調査結果として、話していたのだが…

大手の会社
有名大学

など名前に価値を見出す人が多いらしい。

しかし実際の調査結果で、東大卒と有名大学卒なら将来的な収入に明確な差はないという結果が出ているらしいのだ。


結局何が言いたいかと言うと、他人と比較しやすい、『社名などで見る社会的地位』と言う基準では無く、『個人の能力や考え方』の方が重要で、会社や、職場の地位を幸せの指標にしてしまうと、ただのゲームに近い、モノになってしまうと言う話だ。


それよりも、幸せと感じる事が出来る学びや気付き、社会貢献が出来る『知識』を持って能力を高める生き方をした方が最終的には、ハッキリと『幸せ』という事を定義出来るという話なのだ。

今は、昔と違い能力を用いれば、後で稼げる方法は色々と考えれ時代だと思う。

だからなおさら、大企業の役職だけには価値がそこまで無い気がする。


冒頭の話に戻るが…

『子育て』に関して話した時に、収入や地位が基準になっているAさんには何も明確なビジョンが無かったのだ。

他の人は達は子供の『自己肯定感』を高めて、子供自身が幸せと言う環境を作ってあげるべきという話しに納得する人が多かった。

しかしAさんは夫婦揃って『自己肯定感』の意味も分かっていなかったのだ。


何度も言うが、私より、学歴、収入、社会的地位が今現在あるAさん。

羨ましい部分が無いと言ったら嘘になるだろ。

しかし定年後、彼には何が残るのかとも思った。

ラッキーな事に中小企業の安月給なので、老後に向けて、副業をする事や、知識や技術を身に付ける所に、私はゴリゴリにアンテナが張れている。

出来る事と出来ないことを理解して、幸せに生きる方法を考えると言う意味では『自己受容』と言う概念が私には育ち始めている。

努力する事を怠らなければ…この先5年で、どうなっているか…

少なくとも私は、明確に定義化した上で、今日も幸せと言える暮らしをしている。

続きは有料になります…ごめんなさい。 頂いたお金を使って、一緒に幸せになってくれる仲間を増やす費用とさせて頂きます。