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読書記録「幼女と煙草」

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

今回読んだのは、ブノワ・デュトゥールトゥル 赤星絵理 訳「幼女と煙草」早川書房 (2009) です!

ブノワ・デュトゥールトゥル「幼女と煙草」早川書房

・あらすじ
「俺は煙草を1本吸いたいだけなんだ」。死刑囚デジレ・ジョンソンの主張は、社会を大きく動かすことになった。

警察官を殺害した容疑で死刑を言い渡されたデジレは、規定第四七条に基づき死刑執行前の「最後の一服」を要求する。しかし、刑務所内は所内規則一七六のb節により、塀の中での喫煙を禁止していた。

デジレにとっては「ただ煙草が吸いたいだけ」であり、ことが大事になるとも思ってなかったかもしれない。だが、禁煙の刑務所内での喫煙を認めるか否か、一度司法を通す必要があるため、死刑の執行は延期となった。

このニュースに少なからず励まされた「僕」は、これを機に煙草が吸いやすい社会になってくれることを願う。

なぜ煙草を吸うだけで、人びとから邪険に扱われなければならないのだと。

この「煙草を吸う」という行為が、受動喫煙だとか他の人に迷惑だとか、一昔前には認められていたことが、平然と悪だとされる人びとの意見も納得がいかない。

引いては、子供やお年寄りの権利が優先される社会も理解できない。なぜ一番働き盛りであり、社会に貢献していて、なおかつ死を待つ存在でもない年代の男たちが、自分の権利を主張して蔑まれねばならないのか。

毎日むしゃくしゃしながらも、僕はいつもの通り、職場のトイレに隠れて煙草を吸っていた。トイレを使用している風を装うため、いつもズボンは下げている。

だが今日はプレゼンが上手く行って有頂天になっていた。鍵を掛け忘れたドアはいとも簡単に開き、僕の目の前に現れたのは、汚れを知らない純粋無垢な幼女であった。

そして僕は、トイレで幼女にわいせつ行為をした変態野郎として告発されることとなる。

こうして二人の男の人生は、煙草1本をきっかけに交差していく。

大分前に「GINZA SIX」の蔦谷書店を訪れた際に、平積みにされていたのを買ったはいいが、一回挫折して、3年くらい積読だったのをようやく紐解いた次第。

読んでいる間にずっと思ったこと。議論するべき点は、そこじゃねぇだろ。特にラストシーンは、本当に、なぜこんなことになってしまったのかと、頭も胸も痛くなる。じゃあ今まで何だったんだよって。

大学生の頃に読んだ、早見和真さんの「イノセント・デイズ」新潮社を思い出す。メディアや大衆意見は彼女を犯罪者と見なしたけれども、実際のところどうなのだろうか、と。

まぁこの作品で言うならば、主人公である「僕」自身も、少しまともではないところもある。自分だってそういう時期があった(そしていずれそうなる)にも関わらず、子どもやお年寄りに対する嫌悪が強すぎる。

子どもの存在は、多くの人間の心を動かすと同時に、残りの人間の心を苛立たせる。子どもたちには認めて僕らには認めない権利や、いまや”自分たちの場所”に僕らがいると思っている子どもたちの傲慢さ、こうしたことのすべてに僕らは限りない屈辱を感じている。

同著 27頁より抜粋

でも全く共感できないと言ったら嘘になる。

例えば、これから仕事に向かう電車の中、同じ車両で子どもたちが遊び駆け回ったとしたら、全くイライラすることなく、微笑ましい光景だと眺める事ができるだろうか。

例えば、仕事でクタクタに疲れている帰り道、電車で座っていたら「お年寄りには席を譲るもんだろう」と怒鳴られたとしても、ご年配は大切にしなければいけないよなと、笑顔で席を譲れるだろうか。

そう。大前提は子どもやお年寄りは大切にするべきだ、ということは分かるけれども、そのために、誰かが犠牲になるのでは?と思わなくもない。

読者目線から恐らく犯罪を犯したであろう人物が「子どもやお年寄りを守るべきだ」と言ったら救われ、本当は罪を犯してない人物が「子どもやお年寄りよりも自分の権利を大切にすべきだ」と言って糾弾される。

さらに、2人の男の真実(法を犯したか否か)は、結局蔑ろにされる。

それよりも、彼らがどんなパフォーマンスをしたか、どんな風に周りから見られるかが注目される。

子どもは大切にするべきである。
お年寄りも大切にするべきである。
多様性を認める社会にするべきである。
性差別のない社会にするべきである。
動物をむやみに傷つけてはいけない。

…禁煙の場所では煙草を吸ってはいけない。

大抵の人は、この質問に対して「YES」と答えるかもしれない。

だけど時折、それはただの多数派の意見であって、テレビやマスメディアによる見せ方の問題であって、ただ単にマジョリティに属したいだけなんじゃないかって。

世の中には、簡単には結論を下すべきではない問題で溢れている。

だからこそ、「それは当然だ」という思考が、最も恐ろしいのかもしれない。

フィクションにしては、あまりにも現実味のあるブラックユーモア過ぎる。節々に痛みを感じるけれども、めっちゃ面白い作品でした。それではまた次回!

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