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島根へ直感移住。そして大山へ。漂泊俳人ことだまこ
2020年5月29日 12:58
蝋燭をただ眺めてる夏安居だんなさんは出張が増えていき、わたしは毎日母の入院している病院へ見舞いに行った。 ほぼすれ違い生活のわたしたち。そして母。 奇跡を待つなんていう甘い状況では無かったので、お見舞いと言うよりは、わたしと担当ドクターが打ち合わせの日々。 母は数年前に心臓の手術をして血液がさらさらになる薬を飲んでいたので、大きな手術はリスクがあると止められていた。 末期の膵臓癌と
2020年5月16日 01:27
あたりまえの日々奇跡かな有無日季節は移ろい、日常は戻っていった。 友だち夫婦とご飯食べたり、旅行に行ったり、妊娠前と変わらないような日々を送っていた。 6月に入った頃、一人暮らしをしていた母が具合が悪いと連絡があり、わたしは病院へ付き添って行ったのだった。 検査をした後、わたしだけが先生に呼ばれたとき、ドラマみたいだなそんなことを思いつつ診察室のドアを開けると、先生の表情
2020年5月13日 07:01
朧月わたしの輪郭はゆらぎ緊急入院したわたしは、亡くなったこどもを産んだ。 お腹の中にいるこどもを「はる」と呼んでいた。 はるは生きていたこともあったから、なにかの理由でその人生を終えたのだろう。 退院してから抜け殻のようにぼんやり過ごしていた。出張の多かっただんなは、それでも温かく見守ってくれていたのだと思うし、本人も同じく辛かったと思う。 生まれて初めてのひきこもりは、友達に
2020年5月10日 19:35
抜け殻に魂灯す数え日よ「ありがとう」と、あの日わたしは幸せを受け取った。「おめでとう」の拍手降り注ぐ祝いの席で、人生で最高の瞬間。そのときわたしは妊娠6か月で、子育てをしたいという理由で円満退職したのだった。妊婦健診も順調だったし、胎動もはじまっていた8か月の年末に異変は起こった。「なにか身体の中で問題が起こっている」という虫の知らせのような感覚だった。実家の母へ電話して「なに