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「七階」ブッツァーティ著:図書館司書の短編小説紹介

 ジョゼッペ・コルテは病気の治療のため、その分野では定評のある療養所へ赴いた。
 そこは七階建ての白いビルで、病状が軽い人は上階に、重くなるにつれて下の階に移ってゆくというシステムを採り入れていた。
 最上階、つまり一番軽い症状の患者が入る七階の病室を当てがわれたコルテは、看護婦からのその説明を聴き、それは病気の程度に合わせた段階的な治療を徹底的に施すことができるため効率的だと、好意的に評価する。
 入院時の検査結果は良好で、コルテは最初の部屋に留まっていたが、治療に専念するよう努めても病状は良くなる兆しをまったく見せなかった。
 
 入院から約十日後、コルテは婦長から、二人の子どもと母親がまとまって入院することになり、彼の部屋だと具合がいいので別の部屋へ移って貰えないかと頼まれる。
 事情が事情なので彼は快諾したが、その後で新しい部屋は六階だと言われる。七階には他に空いている部屋がないというのだ。
 それを聞いて難色を示すコルテだったが、あくまでも臨時的な措置だと聞き、縁起悪く感じながらも婦長の依頼を受け入れる。
 
 六階に移ったコルテは新しい担当医から、病状からすれば七階にいて然るべきだと認めてもらい、ひと安心する。
 けれど、「病気の程度はごく軽い」ながら、「その広がり方が顕著」だとも言われる。
 「細胞の破壊プロセスが、きわめて初期の段階にあるのは確か」ながら、「全身の広い範囲を同時に蝕んでいるよう」だというのだ。だから、六階で専門的な治療を集中して続けた方がいいと。
 
 自身の状態がそこまで重いものかと懐疑的なまま療養を続けているコルテに、入院患者の分類法変更の噂がもたらされる。
 各階の患者たちが、病状に応じて二つのグループに分けられ、病気がいくらか進行している方の半分が下の階に移ることになるらしい。
 担当医から「七階にいて然るべき」との言葉を受けているコルテは、施設全体でそういった大移動が行われるのならば、当然に上階へ戻れるものと考えていた。
 けれど噂通りのグループ分けが実行されると、なんと彼は五階へ移動する方へと振り分けられたのだった。
 その仕打ちに納得できず、みんなが寄ってたかって騙そうとしている、こんなことなら退院すると怒鳴り出したコルテのもとに、医師がやって来て彼をなだめようとする。
 当の医師は、やはりコルテは七階にいてもおかしくない病状であることを認め、病室の移動は事務局のミスであったかもしれないと告げた。
 けれど、下の階へ行けば行くほど病状が重くなるということは、下の階ほど経験豊かで腕のいい担当医がいる、だから、治療に関して言えば、五階へ行くのはむしろ喜ぶべきことだと言った論法でコルテを説得する。
 病気と興奮のため熱が上がって来たコルテは疲れ、理不尽な部屋の変更に抵抗する気力を失って、結局五階へ移ることになった。
 
 こうしてコルテは反発しながらも、療養所側のもっともらしい話に押し切られ、どこまでも階下へ降ろされていく運命に陥る。
 コルテを説得する方策には、抗弁し切れないだけの論理や事情が備えられており、そこに著者の、コルテをあの手この手で参らせようという嗜虐趣味が垣間見える。
 それが、この物語の読みどころとも言えるのだけれど、あまりに酷薄ではないかと思わないでもない。
 また、破滅へと段階的に、かつ確実に目に見える形で近付いていくことの怖さも、この短編に読者を没入させる一大要素となっているだろう。
 
 人は、将来が正確には見通せないから不安だと言う。私もそうだ。
 けれど本作を読んで、良いにつけ悪いにつけ、自身の現状と今後の見通しとがはっきりした形で見えてしまうのは、不安以上に恐怖ではないかとも思えてきた。
 たとえ現状を吟味分析し、この先暗い道を辿りそうだと思えても、なお想像の中の未来は訪れてみるまで漠然としていよう。
 逆に、どんなに薔薇色で素晴らしい人生が明晰に見通せたにしても、更にその先には決して逃れられぬ死までが見えている場合、その人は絶望を抱かずにその道を歩み通せるものだろうか。
 
 将来は常に不定で曖昧模糊としている方がいい。
 今が不安で、将来も漠然としか思い描けない私は、この作品を読んでそう考える。
 いや、そう考えたいのである。

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「七階」(光文社古典新訳文庫『神を見た犬』所収)
  
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