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僕と1.17

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当時9歳の視点から阪神大震災の記録を残しておこう。
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僕と1.17 ④

僕と1.17 ④

夜の避難所へ

震災発生後の最初の週末ごろだったと思います。
父の同僚が小学校に避難していて、
会社から可能なら見舞いに行ってくれないか、とのことで父が帰宅後に兵庫区の会下山小学校まで行くことになりました。

震災発生後、マンションから出ることはほとんどなかったし、出かけるとしても入浴や買い物、給水所は、住んでいる地区よりもさらに被害の小さい地域ばかりでした。
どの道を通って行ったのかは覚えていま

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僕と1.17 ③

僕と1.17 ③

工夫

今ならSNSなどでいくらでも情報は集まるでしょうが、当時どこからともなく知ったこと、あるいは自分たちで考えたこと、などで、限られた水を有効に使うためにいくつかの工夫をしました。

当初は紙皿を使っていましたがそれにも限りがあるため、紙皿にラップをかけ、ラップだけを使い捨てにできるようにした。

上記の通り、衣裳ケースにゴミ袋を2つ並べてガムテープで貼り付け、簡易の貯水タンクを作った。

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僕と1.17 ②

僕と1.17 ②

父に言われたこと

震災があった日から、全てが「非日常」になりました。

両親と僕たち兄弟は同じ部屋で布団を並べて寝ました。

幼稚園くらいまではこうやって、4人並んで寝ていたのが、9歳の僕にとっては懐かしいようで、けれどそれ以上に得体の知れない不安もあって。
明日からどうなるんだろう、と、漠然と思っていたような気がします。

常夜灯を眺めながら、父がボソッと、
「明日から学校もない。お前は、お前

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僕と1.17 ①

僕と1.17 ①

「わたしたちの神戸」

1.17は、やはり、僕にとっては特別な日です。当時僕は小学3年生。
 
当時神戸市の小学生は3年生と4年生で、
「わたしたちの神戸」
という副読本を使って、社会科で神戸の町について学んでいました。
生活科導入2年目だったので、初めての社会科の内容はほとんど「神戸市」についてでした。
 
長田区のケミカルシューズ工場
ニュータウン開発で山を削った土で作ったポートアイランドと六

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