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自分の感想や文に自信がない時でも、思い出す先生のおかげで

 読書感想文を書くコツなんかを近年、ネットで多く見かけるようになった。子供の頃知っていれば、もう少し宿題がラクだったかもなあ。
 文を書くのは幼い頃から好きでも、感想文を書くのは好きじゃなかった。
 作文にしたって、ほめられた経験はほとんどない。賞とかも獲ったことがない。一度だけ文集に、ギリギリ佳作として感想文を載せられた時も、その良さがどうしてもわからなかった。わかっていたらその後に生かせてきたはずだもの。
 今も同じ。大好きで楽しい。あんまりほめられない。いくつかいただいた賞のようなものもほとんど偶然みたいなもので、書いている数との割合で考えると圧倒的に少ない。映画などの感想文はもっと自信がない。
 昔から変わっていない。
 ごくまれにほめられるからそれをずっと覚えて励みにしている。

 たとえば日記を書かされた小学四年生の頃。あまり好きではなかった先生だったけど、私の文を褒めてくれていた。「面白いから授業中にもっと発表をしたら良いよ」と、日記への感想とは別に、熱をこめて長々と書いてくれた。
 それが文が好きだと認識したきっかけだと、何度かここにも書いた。

 もう一人、直接的ではないけど、私の感じ方を否定しないでいてくれた国語の先生がいた。


 年配で優しそうな雰囲気に見えるのに、最初の授業からちょっとしたことで怒鳴ってきた。何度授業を受けても慣れなかったのは、ビリビリと伝わってくる緊張感。
 声は低音で優しく、少しくぐもっていて、心地良く頭に響いてくるものだから、極度の緊張とあいまってウトウトしてしまいそうになる。
 うっかりウトウトし続けている生徒が見つかると、立たされて大激怒される。教室を出ていかされるか、懇願して残るかしなければならない。今の時代なら問題があるかもしれないめちゃめちゃ怖い先生だった。

 ただ授業自体はちょっと変わっていた。中学になったというのに作文の時間が度々あって、何人かの一部の文を前に書き出しては考察。私の文も例に挙げてくれた。黒板に自分の文が書かれているのは、どうにも居心地悪かった。さらにそれを先生が皆の前で「この部分に気持ちがよく表れていますね」などと考察するのだから、恥ずかしくてならない。
 それ以外の授業もカリキュラムに沿っているというよりは、一つの言葉や一つの文に様々な視点でこだわって考える時間が多くて、そこに関しては面白かった。

 この先生のテストがまたクセモノで。特に高校になると、「そう言えば授業でやったものの答えが出なかった(先生が意図的に出さなかったのかもしれないけど)」とぼんやり思い出す問いかけを、4分の1くらい入れてくる。けっこうな割合よね。
 定期テストなのに、あまり勉強していかなくて良いといえばそうなのだけど、自分なりの考えを書かなければいけなくて、テストの最中は頭を抱えた。

 私の文は、ここでもそうなように、毒にも薬にもならないものばかり。できるだけなんのプレッシャーもなく書き続けたい。書くのが好きで読まれるのもうれしいけど、気質がらびっくりするほどの注目を浴びるのは怖い。何かを批判する気持ちがあっても強く書かないし、どちらかに決めたくない考えも多い。考え続けたい。
 矛盾だらけの私が書く考えなんて甘くて、中途半端なものばかり。

 それでもそんなグズグズな自分なりの考えでしかないものを、その先生はいつも評価してくれた。
 ああでもないこうでもないと揺れる考えに、丸がついた。

 ただそれだけ。

 学年の平均点はいつも低かったので、「かせみちゃんがちゃんと考えているって伝わってくるのが良かったんちゃうかな」と友達が言ってくれた。でも手応えみたいなものがほしい。だって次に生かしたいし、自信につなげたいではないか。返却されるまで毎回「えっ。みんなそういうことを書いたの?」「今度こそ点数悪かったぞ」と不安になった。


 小学校の先生は私の日記への感想に、励ましの文を書いてくれた。
 「作品に触れた時の正解を人に聞くな」「人に聞いて納得した気になるな」を教えてくれた大学の先生がいた。
 「立派なレビューならあちこちで読める。かせみさんが感じることを書くのが良い」と言ってくれた友人も。
 夫にも「個人的な感想が面白いじゃないか」と、こまめに言ってもらっている。私が上手な方のを読んではこまめにしょんぼりするからだけど。

 皆に励ましてもらっているのをしつこく思い出しながら、ようやく感想文を書く。
 私のは感じたことやわいてきた考えなので、批判や評価ではないのでね。その作品に触れたことによって思い出されることや気持ち。エッセイみたいなものだから。と言い聞かせつつ、それでも私のわいてきた感覚はまちがっているのではないかと、不安になる。自分の思い出されたもの、連想したことや抱いた感想が素朴すぎて稚拙な気がする。作者や作った側には、そんな意図はないのではとか。大勢の人は私とはちがう受け止め方をしているみたいとか。こんな風に考察するのかとか。こんなに上手に書くのかとか。
 やっと書いて載せてからも恥ずかしくなって消したくなる時も多々ある。直後はいたたまれない気持ちを「スキ」が支えてくれる。
 でも何か月や何年経ってから読んでみると、結局いたたまれなくなるものも少なくはない。
 良い文書いてるやん。と思う時もあるけど、いかにも勢いで書いたようなものは、たった何日か後でも頭を抱えたくなるほどイヤになる。消したい衝動にかられる!

 そんな時に中学・高校に通っていた頃の、あの先生の記憶が私を助けてくれる。
 「自分なりの受け止め方を、迷わせたままで良い」と言ってもらえたような先生の丸。
 あれだけで強いパワーをもらえている。今も私の励み。



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