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キミの発達を見守るしかない私は、どんな言葉をかけてやれば良いのだろう

 急に札幌に行くことになって、この一週間バタバタしてしまった。

 3月上旬、息子が帰省すると、ちょっと前から精神状態があまり良くないのだと打ち明けてくれた。自らカウンセリングにも通っていると言う。

 内容を聞いて、私がどうにかしてあげられるのかわからず、夫も私も息子の気が向く時に話し相手になる。
 2週間ほどでだいぶ気分も落ち着いてきたようだったけど、札幌に戻りたくないと言い始めた。真意がはかりかねて引き続き息子の気分の変化など待った。
 細かなことは、何年後かに笑い話となれば良いなの思いもあるし、今は心配なのでとても書く気になれない。

 とにかく札幌の住まいは大変な惨状だった。

 ここに何度か書いてきているけど、息子は発達的に少々苦労している部分があって。

 苦労があるというのは、本人がその特性によって苦しんだり、生活に支障をきたしたりとかそういったこと。特性があっても本人がさほど気にしていないなら問題がないと私は思っている。

 着いてからすぐ片付けに取りかかる。息子は外せない用事があるのでそちらに行ってもらう。
 片付けながら、自分が息子のそういった部分を、上手く誘導しながらしつけられなかったと自分で責めて、一度わーんと泣いた。

 でもこの特性ってきっと何年かけてしつけても上手くいくわけでもない。怒ったり諭したり気分を乗せたり、あらゆる手は尽くしたけどダメだった。どうにか片づけられるようにならないかと方法も調べた。成長してくると何度も話し合ってその時の息子に合った方法を探った。なかなかうまくいかなかったし、息子には息子の、何かコツがあって、そこが接する側にとって勉強不足だったのかもしれない。周りがその特性について「大したことじゃない」と重要に取り上げなかったことも多少影響しているかもしれない。「そうだよね」と、私も小さな問題にしたいと願望があったのかもしれない。


 幼稚園の頃の息子は、何かを覚えるのにびっくりするような能力を発揮したり、かけ算の概念を理解していたり、理屈っぽかったり、大人が使うような言葉を使いこなしたりしていた。その一方で、他の子が発達の段階で、少しずつ自分を律してできるようになることがどうしてもできなかった。息子も自分で気にしてストレスになっていたので、言って聞かせる加減がとても難しかった。でも少しペースが遅いだけでゆっくり身についていけば良いと思うようになっていった。実際そのようにして良かったと思う。
 感受性がとても強かったので、その豊かな感情を言葉にできるよう、こちらも努力を続けた。かんしゃくも強烈で、一日に一回は大号泣する。周りに発散する気持ちと自分の気持ちとに折り合いをつけてどうか落ち着いてほしいと願った。
 そして多分それだけで息子にとっては精一杯だった。

 小学生になると、しっかり座って授業をよく聞いているし、先生に言われた注意事項を覚えて帰ってきて、聞き逃しとかがほぼないのでまたも驚く日々だった。でも先生の話を聞いている時の息子は、机から物を落としてもまったく気づいていない。
 先生にも指摘されるけど、参観日の度、その様子を見て絶望的な気分になった。息子の机の周りだけ物がたくさん落ちている。わざと拾わないのではなく、気づいていないのは明らかだった。

 他に、真面目が過ぎて、先生の言うことを言葉通りに頑なに守らないといけないと思っていて、そこをはみ出るとパニックになるようだった。あからさまにパニックには見えなくても自分を追い詰めてしまったり、家に帰ってくると「こうしなきゃいけないのに!」と大泣きしたりする。

 皆のように当たり前の日常を過ごしてほしい。そうはできない息子に何度、夫と話し合い、何度一人で泣いてきただろう。今も思い出すだけでのどの奥が苦しくなる。

 中学生になると、椅子に座っていても何となく落ち着きがなかったりしたものの、物をなくしたり落としたりが少しずつ減っていった。

 それまで何度か私も爆発して叱ったことは今でも後悔として頭にこびりついている。でも何年も何年もできるだけ感情的にならないように、事務的に「落とした物は拾うんだよ」「要らなかったらゴミ箱に捨てるんだよ」とくり返し言って、落ちた物を拾わせてきたことは、まちがいではなかったはず。

 高校生になると先生が「物を落とさなくなったし、なくすことに関しては他の人よりむしろ減ったよな」と褒めてくれて、それだけで胸がいっぱいになった。

 今の息子は、「僕は意外と忘れ物があまりないんだよ」と話してくれる。なくし物も減ったようだ。

 でも片付けが苦手なのは、どうしても変わらない。

 大好きなことに集中し過ぎていると、周りの物が目に入らない。たとえ目の前にあっても、そこに気付けない。
 あと多分自分の持てる物、管理できる物の許容範囲があって、そこをはみ出すともうどうして良いか、何から手を付けて良いかわからなくなるみたいだ。

 初日から息子と毎日少しずつでも話し合った。
 物の処分の仕方や、物をためない方法を何度も。気質や特性についても話す。

 息子は「何度も言うけど、ありがとう」と本当に何度も何度も言ってくれた。感謝の言葉は大切だからもちろん受け入れるけど、私としてはビフォーアフターに大げさにリアクションしてもらって、「すごいね」と言ってもらいたい!
 よくぞあの惨状を元通りのキレイな部屋にしたものだ。
 とくいになって良いと思うよ、私!

 とにかく、どうしたら惨状を防げるかを話し合った。

 アレルギーだって悪化するし、ストレスだって増えるし、うつ病だってひき起こすかもしれない。匂いが出れば近所に迷惑かもしれないし、水漏れが起きたり火事になったりしたら迷惑どころじゃないよと話した。

 実際、息子はアレルギーもストレスも表に出ていた。

 最初の2年ほどは、一人暮らしが楽しくて仕方なかったと言う。
 私たちの住む家は窮屈だと、帰省の時に家を出たこともあった。
 滞在は2週間位が限度で早く札幌に戻りたいと言っていた。僕の住んでいる所にはもう上がらないでほしいという意味のことを言っていた。

 でも今回初めて「寂しい」「父さんと母さんの家に戻りたい」と言う。その中で「あの部屋に帰りたくない」と言った時に、「じゃあどうしても母さんに掃除させて」と頼んだ。
 部屋を「見せたくない」と最初は言っていたけど、「多分このままじゃいけないんだと思う」と観念した。私にガッカリされたり心配かけたりするのがイヤだったみたいだ。

 だけど今回、2年半ぶりに掃除に行ったタイミングはギリギリだったと思う。

 あの部屋にあれ以上暮らしていたら、息子の精神状態はどうなっていたかと思うと怖い。

 だから「来て良かった」と思うことにした。

 「寂しい」と言う息子に困惑していると、「口で言うほど、実行するほどじゃあないんだよ。でもそういう気持ちがあるのは本当」と言う。

 20歳の頃、私も家を出たくて仕方なかった。でもいざニュージャージーで暮らすために両親と離れるとなると、寂しくて仕方なかった。
 「もう一生ずっとここで暮らしたい」と言うと、母が「えええ……」と困惑していたのを思い出す。
 ちょっと本心だったけど、でも出なきゃならないし、いずれまた出たくなるだろうと思っていたから、息子の気持ちも似たものなのだろうか。

 いやあ親子と言えどもわからないよね。

 息子の発達は人とはちがうけど、それでも感受性も表情も豊か。コミュニケーションに不自由したことは今までそれほどなさそうだし、穏やかで人の気持ちも思いやれる。集中できる好きなことはどんどん伸びて、息子らしさは失わないでいてくれている。

 今はそれで充分なんだ。

 そう言い聞かせている。

 とりあえず今回、部屋の管理の仕方を改めて話し合った。多分私のアドバイスや提案は息子には負担になる。自分のテリトリーだから自分で考えてもらうのが良い。どうしたら良いのか言語化してもらい、そこに私の意見を重ねていく。

 生まれてから今までの私の接し方を省みて、どうしたら良かったのかわからない。後悔したくないからと必死に頑張ってきたはずだ。それにどうしたら良かったかを考えたところで、過去には戻れない。

 ちょっとくらい他の人より要領悪くたって、怠けがちだって仕方ないよ。そんなことより心から笑ったり、それなりに真面目に暮らしたりする方が大事だ。笑うことも、真面目に暮らすことも、どちらも息子が本来得意なことじゃないか。うまくいかなくなったら、カッコつけないで「できなかった」って言って良いから。そこから今、今、と少しずつ積み重ねて未来を作っていくんだよ。

 心配だらけなままだけど帰途につく。少しnoteを遠くに感じてしまった一週間だった。



読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。