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泣いたって良いのだよ

 よく笑う楽しい子でいたかったけど、どうしても泣き虫だった。
 悲しいと泣く。さびしいと泣く。切ないと泣く。怖いと泣く。うれしいと泣く。感動すると泣く。腹が立つと泣く。悔しいと泣く。
 特殊なところで言うと、風が怖くて泣くし、一過性の「不思議の国のアリス症候群」とやらで泣くし、ヴァイオリンの音色で泣いた。

 でも親や兄に「泣くな」とも言われて育った。特に時代もあってそんなものかもしれない。親や兄の表情もよく見てしまうので、泣くのは我慢するようにした。幼少期から人前で泣かないように我慢すると、我慢は日常になる。部屋やトイレで毎日泣いて発散する。
 人前では、たぶん目が真っ赤になって、目が涙でだぼんだぼんにおおわれても決してこぼさないようにしていた。
 家でも家族が目の前にいたら。外で親しい友達の前でも。

 なかなかの厳しい作業は、夫と知り合って解放される。
 気を許したい相手に、強がりな自分を保っていられない気持ちと、大好きな人を前に我慢するのはイヤだと思う気持ちがあった。幼少期育ったニュージャージーで出会ったからなのかもしれない。我慢するのをやめた。

 夫となる彼の前で泣くのを、最初は困惑させていたけど、温かく受け入れてもらっていたと思う。
 でもあまりに日常だから「またか」になるんだろうな。直接言われたことはないけど、顔に書いてある……気がする。
 やっぱり「少しは」我慢する。

 だけど一緒に映画やテレビを観ている時に我慢しなくて良いのは本当にラク。

 息子ができると、赤ちゃんだからそりゃあもうめっちゃ泣く。
 夜泣きもひどかったけど、息子は10歳ころまでかんしゃくが強かったからよけい激しかった。

 ところが私自身が幼少期に泣くのを我慢して育ったから、なかなかその状況が許せないのだよねえ。
 2歳にもなると周りとちがうことに気付いて本を読みあさり、泣くこと自体が悪いんじゃないとも知った。なので泣く気持ちを受けいれることが息子と接する上でのメインとなっていく。
 息子が少しずつ自分で怒りをコントロールして泣き止むようになったのは、「泣いちゃうより、泣くのを我慢する方がストレスがかからないと気づいた」から。小学校3年生の半ばになっていた。

 私は私でがんばっていたつもりだったけど「母さんは、僕が泣くのがイヤなんだなって伝わっていたよ」と大きくなった息子に言われてしまった。
 泣くこと自体は悪いんじゃないのにね。ただただ器が小さくてごめんねと話すしかなかった。

 最近息子が「僕は泣かなくなっちゃったなあ」「この先、人前で泣くことあるのかなあ」と言った時。
 「母さんも昔は人前では泣かなかったんだよ」と言うと「うそおーん」と返ってきた。
 えっなんで。我慢しないから? と聞くと笑ってうなずく。

 そっか。一緒にテレビや映画観ていて、母さんはすぐティッシュ取ってるもんね。お世話になった人とお別れする時に泣いちゃうのも、見られているよね。
 でも昔は人前で負の感情を表すのをダメなことだと思って我慢していたんだよ。

 本当は不機嫌とかストレスとかも、そういう状態を見せるんじゃなく、泣きながらでも何故そんななのか説明できるのが良いよね。湧き上がる感情それ自体が悪いものではないものね。

 そういった感情を自分でも受け入れて消化できるようになると、喜びや楽しみや好奇心も自然にわいてくるものだとも実感するようになった。

 息子もこの先、大切にしたい誰かができた時に、相手が泣くのを受けいれられると良いな。そして息子もそんな風に「泣いちゃってもまあ良いや」って思える相手だと良いな。



読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。