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すべてが、その人にとっては「PERFECT DAYS」

 小学生の頃、兄が大河ドラマ好きで、当時はテレビを家族で観る時代だったから私も一緒に観ていた。
 1980年の「獅子の時代」、翌年の「おんな太閤記」辺りを私も一緒に観ていた。
 その中に出ていた役所広司が、1983年の「徳川家康」主役に決まったと兄が話していた。
 「やくどころひろし」だと思ったと兄が自分で大笑いしていたので、その後40年以上経っても役所広司を見ると、兄のエピソードを思い出してしまう。
 当時から母が「芝居がうまい」と言っていた。
 芝居がうまいってどんな感じなのだろうと思っていたけど、少しずつその意味はわかっていく。

 6~7年前のドラマ「バイプレイヤーズ」を思い出す。大杉漣、遠藤憲一、田口トモロヲ、松重豊、光石研、寺島進といったそうそうたる名バイプレイヤーズたちが本人役で出ていた。ドラマの中では憧れる対象として、「役所さん」とさかんに言っていた。
 普段はドラマをそれほど観ないし、当時は夫と「役所さんはすごいにちがいない」と言い合った。CMで見る程度でも何となくそれは伝わるし、映画や時々観るドラマでちょこちょこ見かけるのでうかがい知れるのだけど。

 今回の「PERFECT DAYS」では、自然な表情や動きだけで、間を持たせている。

 演じる「平山さん」の一日をただ追っただけの映画だとは聞いていた。
 正直、前半は、ここで目を閉じると非常に心地良い眠りにいざなわれるぞと、何度もよぎってしまった。
 でも段々と、文学小説を読んでいるような心地良さを感じ始め、平山さんの一日を追い続けるのが面白くなっていった。


*ネタバレがおおいにあります。



 平山さんはトイレ清掃員で、読書家。誠実に静かにつつましく暮らしていて、どのような毎日を送っているかは、最初の一日でわかる。
 それからの日々は何かちがうことが起きる度に、平山さんの「パーフェクトな日」を奪わないでーと思っていたけど、途中で気づく。最初に見た一日は、ほぼ何も起きなかった一日で、むしろそれは珍しく、単にあれは基本パターンの紹介に過ぎない。
 その日によってあんなことがあったりこんなことがあったり、ちょっとイレギュラーになったり、またある部分は戻ったり。今日のあの人はいつもの場所でやっぱり三角サンドを食べているし、でもこの人はいつもの場所にいなかったり来なかったり。あの店は混んでいたり、それでもこの人は変わらぬ対応をしてくれたり。書店員と交わす言葉は毎回ちがうし、写真現像店の店員とのやり取りはいつも同じ。でも持って帰ってくる写真は似ているようでいつもちがうし、それらを選別する作業が、周りで起きる出来事によって時々イヤにもなる。

 影と木洩れ日、眠っている時に見る夢、が随所で印象付けられる。木洩れ日に美しさを見出し、生きている喜びを感じるのは、映画「ソウルフルワールド」や「バービー」を思い出す。
 一瞬の光は美しく、常に変化する。
 光があると影がある。
 影は重なるとよくわからないけれど濃くなるようにも見える。

 変化のないようで日々はちゃんとどこかに変化があり、何かに満ちている。毎朝聴く音楽だって、必ず一緒ではない。その日の気分は違うのだなと、聴いていてわかってくる。きっとメロディだけでなく、それぞれの曲の歌詞に秘められた思い。まったく同じ瞬間が永遠に続くことはない。木洩れ日のように。
 それは人が生きている意味であり、死に近づいている意味でもある。その不安や恐怖心を、影が表しているようにも見える。
 人の出会いや命には、はかなさがある。それを再認識させられ、「単なる一日」を過ごす感謝に気付いて胸いっぱいになる。
 変化がないようである毎日、時々乱れることも含めて全部が平山さんにとってPERFECT DAYSなのだなあと私は感じた。

 夫も私も帰り道、「面白かったよね」とたくさんのシーンについて話し盛り上がった。きっと多くを語らないから観ている側の想像が膨らんだのだろう。


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