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どこか落ち着いた雰囲気のロックフェスだってあるのだ【オハラブレイク】

 ロックフェスってどのくらいの人が参加したことあるのだろう。参加したことなくても、楽しそうだから行きたいと即座に思える?
 好きなミュージシャン出るし、他のミュージシャンもいるし、お祭り気分で楽しいよ。って言われても、私は気後れしちゃっていた。

 きっと若者がワイワイにぎやかで。
 もしくはみんな酔っぱらっていて。
 そうでなくても激しくノッていないといけなくて。
 とにかくぎゅうぎゅうに人が詰まって混んでいて。

 勝手にそんなイメージがあったから、夫が県内のロックフェスに行くと初めて知った時、「私は行かないだろうなー」と思った。
 有名な誰それが来るよーとか言われても、フェスの雰囲気苦手そうだし。ほらなんかみんなアツいんでしょ。ノリノリじゃないとさ。私そういう所でどんな風にたたずんでいたら良いのかわからないよ。とモゴモゴ言っていた。

 どうしても気持ちが乗らなかったのや私が車を他の用事で使いたかったのもあって、まあまあの距離だけど送り迎えをお願いされる。
 実は夫は仕事をアピールするブースを設けていたので、なるほど迎えに行くとなれば、仕事終わりにビールでも飲んで来れるのだな。私は夫の仕事の応援と送迎ついでに関心のある所を少しは見て回れる。

 そんな時が1~2回あったっけ。それとも当時は1回の期間が2週に分けて全部で5~6日くらい、と長かったので、そのうちの何日かがそんなだっけ。

 そうやって初めて行った次の年だったかその次だったか。奥田民生が来ると聞いてビックリした。
 こんな田舎の奥地に来るの?

 その年のフェスは晴天にめぐまれ、湖を横に見ながら連凧が上がっていて、ゴキゲンになった奥田民生は「せいうん~」と歌い出してみんなで笑った。人が少ないその雰囲気も含めて気に入ったようだった。

 そう。
 人が少ない。

 「オハラブレイク」は、たぶんロックフェスにしちゃあ人が少ない。
 人波に圧倒されることもない。
 だからぐいぐい前に行けてしまう。
 キャーこんなに近くで見れるう。とへらへら笑いながら前に進んでいたら、ピタッと足が止まった。

 近すぎて恥ずかしいじゃないか。
 
 着て行った奥田民生Tシャツが、急にめっちゃ目立っている気がしてしまう。絶対にそんなことはないのだけど、もう自意識過剰が過剰すぎて動けない。
 でも、そもそも混んでいないから、ガツガツ前に行く人も多くない。前3列くらい以外はなんとなく野次馬みたいに、砂浜に広がっている。
 長い間、緊張して棒立ちだったけど、終盤にやっと気分が乗って身体が揺れてきた。

 こんな雰囲気なら、また来年も来たいなあ。とゴキゲンな奥田民生はそう言い残して引っこんだ。

 オハラブレイクは、猪苗代湖畔でやっていて、木々の間にはキャンパーたちのテントがあり、キッチンカーや出店、ブースがたくさん並ぶ。

今年の写真(以下、写真は全部今年の物)

 当時は夜になると小さな野外映画をやっていたり、朗読会をやっていたり。静かに人の息遣いが聞こえてくるような雰囲気。

 今も夜には、暗がりの美しさの中に切なさを感じる。

 そばでテントを張ったキャンパーたちは家族連れが多い。田舎だからなのか、今をときめく若いミュージシャンが少ないからか、年齢層は高め。家族連れ以外だと、30代が若く感じられるのは私だけじゃないだろう。

 そんなだからかノリノリな人たちも少なめで、静かに立ちつくしている人の方が多く、酔っ払いもいないし、ぎゅうぎゅうもワイワイもない。なんならちょっとしんみりしている。
 前の方でノッている人もいるけどね。そうしなきゃいけないムードが全然ないのだ。
 
 メインステージではメジャーなミュージシャンが順番に歌い、少し離れた場所に中ステージや小ステージもあって、各々が演奏し歌っていた。
 中ステージや小ステージは木々の間にあって、皆座ったり歩いたり立ち止まったり、聴き方も様々。誰かと一緒に来ている人たちもいれば一人で来ている人たちもいる。
 それぞれ気になるミュージシャンの前で聴き入っている。

 サニーデイサービスの存在を知ったのもここで。
 夫が知っていて立ち止まっているから私も横に並んで聴き入った。
 ソフトな声で、小説のような歌詞で、ロックな音づかい。
 遠くてわからなかったけど、彼らはおじさんだった。知ったのはアルバムを買って聴いて、夫にいろいろ教わってから。
 あれえ。私と一つくらいしか違わない。30代くらいかと思った!
 ちょっと驚いたくらいヴォーカル曽我部の声は澄んでいてちょっと甘く、歌詞は青くさい。でも歌い方には強いクセがなくて聞きやすいな。

 自分が知らないミュージシャンの生歌が聴けるのも、フェスの良さ。

 こんな雰囲気で、リラックスして参加できるフェスなら私でも大丈夫。と翌年以降、楽しみになった。

 でも翌年は台風。
 さらにその翌年は2020年。
 2年間、できなかったっけ。もう忘れちゃったよ。息子が受験生だったり大学生になってその生活を応援したり心配していたり。その頃の私は更年期症状の中でも倦怠感が強かったころ。夫も私も体の具合から感染症も心配だったし。もしかしたら夫に誘われたかもしれなくても、「今年は行かない」と断っていたのかもしれない。

 そして昨年。やっぱり奥田民生は来るし行ってみるかと、もう仕事も関係なくなった夫と二人分のチケットを取った。

 でも私の体調は良くなかった。倦怠感も強いし、メニエール症状もあり。10月半ばでその辺りはもう寒かったし。夫には私の体調に合わせてもらって、どうにか奥田民生の演奏には間に合うくらいのギリギリに着いた。
 まだ感染症の最中での再開を模索していて、フェス自体をずいぶん小規模なものにしていた。
 人はさらに少なくなり、小ステージが一つあるだけで、それも木々の間に設置され、せまくてステージ上のミュージシャンもよく見えなかった。
 良かったところがあるとすれば、反対側の湖畔の砂浜でゆったりできたことかな。
 ステージの裏から照明が漏れていて、夕方になると夫とキャンプ椅子に座り、演奏を聴きながらぼんやりぜいたくな時間を過ごした。
 ダウンを着こみ、フリースの毛布をかぶり、翌日も来られたら良いけどと思いながら。

 で、翌日行けなかった。どうしても起き上がれず。
 夫が一人で行って写真を送ってくれていた。


 行きたかったと呻いたあの時から約一年。
 体調をできるだけ整えて行けるように気を配った。それでも万全ではないけど、朝はなるべく早く支度をして向かう。雨が降る予報だったので、昨年準備しておいたカッパとシャカシャカのナイロンズボンとタオルやビニール袋も準備。念のために折り畳み傘も。靴は濡れても大丈夫なトレッキングシューズ。今回は10月入りたてで、さすがに毛布を持って行くほど寒くはないだろう。

 市が協力してくれていたからか今年は駐車場が近くて良かった。そこからシャトルバスで向かう。
 お目当ては午後だけど、一日中、何もしないくらいの気持ちで臨もう。
 着いたら今年もステージは一つ。でも今回は砂浜を向いているから広がりがある。ぽつぽつ座っている人たちに交じって椅子を置き、聴き始めた。
 来る途中のキッチンカーや出店を思い出しながら、時々立ち上がっては各々何か買いに行ったりトイレに行ったり。
 そのうち人が増えていく。思い思いの場所に椅子を置いて座る。敷物だけの人もいる。
 司会の宇賀なつみさんが朝の乾杯をし、昼も夜も乾杯をするよーと話している。この辺りはお酒が何度も日本一になったほど美味しくて有名なのだ。

 でもやっぱり年齢層高めなだけあって、お酒に強い人や大勢で来ている人はそれなりに飲んでいたようだけど、大さわぎにならない。私は運転して帰るし、お腹も良くないから我慢。

 ずっと後ろの方で座ったまま各ミュージシャンの曲を聴いていた私も、奥田民生の演奏時間になると、さすがに前の方に行く。とは言っても、「おっ。出てきたよ」とステージ上にその姿を確認してから歩いて行っても間に合う。緊迫感がみじんもない。
 熱烈な方たちは早い段階で前の方を陣取っているけど、そもそも私は前に行けないし。
 歩いて近づくと、やっぱり足が勝手に止まる。
 でもこの距離で見えたら充分。
 ライヴ会場で言えば、座席は10列目にも行かないかくらいかな。それ以上前の方なんて行けない。ほら顔をこっちに向けただけで目があったような気がしちゃうじゃないの。

 緊張して立ちつくす。

 直前の田島貴男がインフルエンザで来られず残念だったけど、奥田民生が代わりに「接吻」を歌ってくれた。
 確か初めてオハラブレイクに来た時も、奥田民生は「接吻」を歌い、歌声が全然甘くない「接吻」もカッコ良くて良い! と思ったものだった。
 時間があるからと言い、10分くらい歌った。「な~が~く~」ってもう良いよ! とツッコミ入れたくなるくらい長く。本人も笑いながら。

 昨年は何となく声の出が悪かったように感じ、あと喋り声がボソボソ聴こえづらかったけど、今年は何を言っているかよく聞こえたし、歌声も奥田民生らしい声量と声の伸び。

 中でも「コーヒー」を歌ってくれたのが感激。

 夫と出会って音楽の話が合ったところから、「奥田民生良いよ」と勧められた27年ほど前。
 アルバム「29」と「30」が出てからわりと間もなくだったので、当時住んでいたニュージャージーへ、両親に頼んで送ってもらい、くり返し聴いた。
 この前、久しぶりに奥田民生メドレーを車で聴きながら、当時の曲を懐かしんだ。
 奥田民生がソロになってから出したアルバムの歴史は、夫と私の結婚生活の歴史でもある。
 この曲を聴いていた頃、私たちは。とつながる。

 それは付き合い始めの頃、車の窓から見えるニューヨークの景色だったり、渋滞でじりじりしていた時間だったり。
 札幌で暮らし始めた頃だったり、息子が生まれた頃だったり。息子に重ね合わせて聴いた曲だったり。
 「これ、息子クンがよくマネしてたね」と、最近笑った曲もあった。
 少し成長した小学生当時の息子が、奥田民生がカバーした「悲しくてやりきれない」に泣いたこともあったな。

 最近はすっかり二人の時間が中心だね。

 「コーヒー」は、私をそのまま27年くらい前に連れて行ってくれた。

 胸いっぱいになっていると、大好きな「風は西から」も歌ってくれた。前半は緊張して立ちつくしていた私も体が揺れるようになっていた。
 視界に入ってくるノッている人たちが楽しそうで、ウフフと笑ってしまう。両手を掲げて前後に揺らすとか片手をあげて左右に振るとかそういうんじゃなくてさ。決められたフリ付けもなく、身体揺らして首振ってわずかでもゆるやかに、自分なりに音楽に身を任せて見ている人たちを見るのが私はとても好き。
 おじさんおばさんがパッと見わからないほど小さくリズムに乗り、楽しそうだなと思う。私もその仲間。
 昨年買ったカッパが思いのほか蛍光色で派手だったし、庭仕事用の帽子しか持っていなくてひどくひしゃげていたけど、もうそんなことどうでも良いんダ。

 いやあ良かったなあ。
 奥田民生の退場と共に三々五々散る。

 椅子の位置に戻ると、雨がザーッと降ってきた。

 皆が慌ててカッパを着たり椅子を持って木陰に逃げたり大忙し。
 「これどのタイミングで着よう。さて。って着るの恥ずかしい気がする」と夫に訴えていたシャカシャカズボンをはく。夫が「雨が降ってきたらみんなバタバタするからどさくさにまぎれてはけば良いんだよ」と言っていた通りになった。雨の急な激しさとあいまって笑ってしまう。

 今のうちにとトイレに行き、木陰にいると少し雨がしのげた。
 15分くらいで雨は止んでまた椅子に戻る。夫は次のミュージシャンの曲を聴きにステージ近くに行っていた。

 今回、GLIM SPANKYというバンドを知った。男女コンビの女性ヴォーカルが、シンガーソングライターでロックミュージシャンで、お気に入りになった。曲の雰囲気や編成、声も、音程もリズム感も、ギターも好き。

 トイレに行ったり雨宿りをしたりだったので、もっとちゃんと聴けたら良かったな。(今は車でヘビーローテーション中)

 その後、トリのサニーデイサービスが演奏を始めた。疲れている中高年たちの一人なもので、椅子から聴く。
 サニーデイサービスはCDデビュー30周年だったらしく、当日来ていたミュージシャンたちに祝われながら即席ユニットでもたくさんの曲を歌ってくれた。
 終盤には奥田民生を再度招き入れ、ユニットで「青春協奏曲」「白い恋人」を歌った。これがもうめっちゃ良くて。夢のような気分で何だかよくわからない涙が出てきた。

 ギターをかき鳴らしまくった後、左後ろの砂浜で花火が上がり始めた。近距離で大迫力! 湖の上にも仕掛けられていて歓声が上がる。
 しばらく鳴り続くと右後ろからも。
 感情たかぶりすぎて、花火もにじんで見えてくる。

 と思ったら唐突に終わった。

 ステージを振り返るともう誰もいなかった。
 テントで泊まるわけでもなし、さあ帰るかと夫と歩きながら、後ろで夜の乾杯の音頭が聴こえる。

 楽しかったな。来年もまた来たい。



【気になったこと】
運営側のゴミの集め方に感心した。前に立って細かく誘導してくれたので捨て方に戸惑わずスムーズだった。もう一か所あるともっと良かった。
トイレがひどかった。簡易女子トイレが3つしかなくて。倍はあって良い。男子トイレでさえ3つしかないのはどうかと思う。長い人だっているでしょ。しかも女子トイレ、通路側を向いている。通路から便器が見えてしまう。
後半、一つが使えなくなり、行列は常に長く通路を阻んだ。
さらに、車載トレーラーみたいな物の上にまとめて乗っていて、人が歩くたびに地震かと思うくらい揺れる。トイレの間中ずっと怖すぎた。

フェス自体が落ち着く場所ではないから? これじゃあ身体の悪い人は来られない。そういうものなの? でも年齢層だって高いのにな。
トイレの出入りの時や、日が落ちれば暗い中での段差に、みんな私も含めヨロヨロしていた。

以前みたいに、トイレを増やしてキッチンカーももう少しあると良いけど。ステージも二つはあると良いけど。田舎は難しいのかな。

また集客できるようになってきたら、以前のようにもう少しにぎやかにやってほしい。それでもオハラブレイクはきっと穏やかなので。




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