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罵倒よりけなせるのが、褒める

 ただの罵倒よりも、褒めることの方が「けなす」行為として優れていることがある。それは、どれだけの悪口を並べ立てても、ののしっても、貶めても、それらの行為そのものが良くないことだと皆が思うからである。
 ほとんどの人にとって、何かを悪く言うこと自体が嫌なことで、苦々しい思いをすることなのである。だから、それをするのは褒められたことではない。たとえ内容が事実に基づいていても、言う権利があっても、ネガティブな言動そのものが嫌がられる。そのため、それは罵倒としては「両成敗」である感じは否めない。

 しかし褒める行為は違う。それ自体が良いとされる行為で、言われる本人はもちろん周りで聞いているだけでも気持ちよくなり、しかも言う側だって良い行いをしたと納得できるはずだ。
 褒めることは良いことなのである。それゆえに、これは良い罵倒にもなる。やり方は簡単で、単に罵倒したい対象の全てを、些細なことでも褒めるだけである。のべつまくなしに、際限なく褒めるのが一番簡単であろう。するとそのこと自体にうんざりして、周囲がイメージを勝手に下げてくれる。
 なにせ悪い行いではないのだから、それ自体を責めることは難しい、そして印象としても、言っている側を悪だと思いにくい。でも、褒められすぎているものに対して私達は首を傾げたくなる。結果として、誰に頼まれるでもなく「過大評価」の烙印は押され、自然と印象を悪くできる。

 ストレートな罵倒よりも効果的なのが、この褒めるという行為である。重要なのは、これが嘘や偽りなどで構成されていないことである。ただだだ、どんなことでも褒める。隙あらば褒める。
 それだけで罵倒になる。巧妙に、私達の気持ちは操られてしまう。意図してもしていなくとも、何かを貶めるためにはむしろ、褒めるという行為が有効なことがある。そう感じられる私達の心がある。

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