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勇者パーティーは物語が始まる前から集まっている

 勇者はパーティーを作る。そこには剣士がいて、魔法使いがいて、盗賊がいて……その他様々な職種の集まりでコミュニティは形作られる。そうして彼らは魔王を倒す旅に出る。
 キャラクター達は集まるものだ。それは勇者だけではない。学校の不良だって、部活だって、崩壊する世界の生き残り達だって、ヒーローだって、なんでもない普通の人々だって。
 集まるのだ。それはコミュニティと言う。そうなって初めて、というよりも「集まる」そのことこそが、物語、ストーリー、キャラクター達の活動を楽しく追いかける理由になる。

 だが、勇者パーティーは勘違いされている。それは実は、集まるものではないのだ。確かに物語上、彼らは最初は勇者だけかもしれない。彼が旅をして仲間を1人1人集めていく。その過程で色々なことがある。喧嘩したり、拒否されたり、交渉があったり、戦ったり。
 その苦労の積み重ねが、だんだんとパーティーを作っていくように見える。勇者だけじゃない。どんなキャラクターも。どんな世界でも。そしてそれは主人公パーティーと言われたりもする。

 そういった主人公を中心とする集まりは、物語では時系列通りに「集まっていく」様子を描かれるものだから、それはそういうものだと思われている。でも違う。主人公パーティーは既に決まっているのだ。なぜならそれは創作だから。フィクションだから。作者がいるから。
 設定だ。全ては。主人公を中心としたコミュニティはこうだと決まっている。それは最初から、集まった状態で定義されているし、されていなければならない。そして物語として描かれる場合には、彼らはバラバラにされ、集結の過程が示されるのだ。
 その方が、物語の完成度は高くなるからである。最初から、つまり作者の頭の中ですらバラバラなものを、きちんと1つにまとめていくのは大変である。でも、最初に1つにまとめてしまったもの(そうするためには、1人1人のキャラクターの接待などのバランスを考える必要がある)を、切り離して、また1つにまとめるのは難しくない
 それは既に、集まっていたものだから。集められない道理はない。そしてその間違いのない家庭は、物語を安定的に面白くする。

 だから、勇者パーティーは、最初から集まっていなければならない。完成形をイメージされていなければならない。作者の頭の中で、完成品は組み上がっている。それをバラバラにして、組み上げ直すさまを見るのが、主人公パーティーのある物語というわけである。

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