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ストーリーに大切な「切なさ⇔報われ」

 ストーリーは切なくて報われる方がいい。つまり主人公にとって切ないことが起こって、でもきちんと報われたいものなのだ。もしくは報われるけどどこか切ない。そういうのが、人の興味を引くストーリーであるはずだ。
 なぜなら、「切なさ」と「報われ」の2つのセットは人の「生きたい」という欲を刺激するからである。生きたいという欲とは、必要なものを手に入れたいということと、危険からは遠ざかりたいということだ。

 切なさは、望んでいるのに手に入れられないこと。
 報われるとは、頑張ったからこそ手に入れられること。

 即ち、切ないという感情は「そこへ行けない」ということで、報われるとは「そこへ行ける」ということ。表裏一体である。行けないことは、もしかしたらあるかもしれない罠や危険から遠ざかることでもある。行けることは、望んだものを手中に収めたということである。
 これらはどちらも、生きるための欲望という意味で、人の心を刺激する。だからつい、気になってしまうのだ。ストーリーの中で、そのことがどうなっていくのかを、人は見守らざるを得ない。捨て置けない。なぜなら最大の関心事だから。「命」という。

 また、切ないことによって、もしその切なさが取り払われたら…という想像を働かせられることも、関心のきっかけになる。人は、すぐに手に入れられるものには、興味を失うようにできている。だから切なさは、あえてその「手に入れたいもの」を遠ざけることで気を引くというテクニックとしても使われる。
 もちろんその引き伸ばしの後には、相応に報われるべきである。

 これが、ストーリーに必要な「切なさ」と「報われ」のあるべき理由である。それは生きるための欲を常に持っている人々の、関心を引き、そして安心してもらうための要素となる。
 これらはバランスよく(平等にという意味ではなく、ストーリーのテーマやジャンルに応じて適切な配分で)あることが望ましい。そして人が、そのストーリーに夢中になるために、働いていく。

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