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知識をつければ大人しく。無知ゆえに大胆に

 賢くなれなるほど、人は大人しくなってしまうのかもしれない。頭を使うことは必然と、体を使うことと離れてしまうのかもしれない。暴れられない。大胆な行動は控えてしまう。あれこれ考えるからこそ、動きに繋がらない。考えるとは静で、実行するとは動だ。
 むしろ、静かに賢くあるよりも、思慮浅く動いてしまえる方がよほど気が楽だろう。知恵をつけるたびに自らの行動が縛られてしまうのを感じはしないだろうか? それはいろいろな物事を知ることによって私達は物怖じしてしまうからだ。知識は力だが、同時にリスクを知らせてしまう。

 この世には、知らなければ良かったことなど山ほどある。知っていると危険があること以外にも、知ることそのものがリスクになってしまう。
 なぜなら、知れば私達は硬直するからだ。なんらかの知識は、それを理解するためと、受け入れるためにどうしたって時間を要する。きっとそれが、賢くなることで大人しくなる1つの原因である。

 そして知識を蓄えれば蓄えるほど、私達の体は重くなっていく。様々なものを受け入れ、様々な事情を知り、様々なリスクを抱えていく。知識と引き換えに、自由を失う。何かをする前に、そのことの影響を考えるだけの脳ができてしまう。
 そうして私達は大人しくなる。かつて、知らないがゆえにできていたことはもはやできない。

 賢くなればなるほど、私達は動きを鈍くする。それに基づいて頭を使うことと、体を使うことの両立は難しい。考えることは動くことではない。その阿玉には常にリスクの計算が生まれ、利害関係が枷となり、代わりに人は賢しくなっていく。しかしそれが人間であり、知識からは、考えることからは逃れられないし、逃げてはいけないのが人である。

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