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やめる時、それは関係性が薄い時

 誰も、不利益を被るからやめたくなるのではなく、自分とは関係が薄くなるからやめたくなるのだ。好きの反対は無関心である。どんな物事にもそれは言え、この無関心が増大した時に人はそことの距離をおいてしまう。
 そして関係が薄いかどうかは主観的な問題であるが、ひとつの基準としてコミュニケーションがとれていないことがあげられる。それも、本人がそう思う正常な、あるいは普通のコミュニケーションが行われていない時、その物事との関係は薄くなったと判断してしまうのだ。

 だからもし、やめるとかやめないとか、そういうことで悩みが生ずるのなら、私達はまずその物事における「正常な」コミュニケーションとは何かを考えるべきなのだ。
 そうでなければ事態はどんどんとやめる方へと傾いていく。もしくはそれが助長される。不利益ではなく、利益でもなく、関係性の薄さ濃さ、正常な範囲。
 自分の、そして誰かのやめる時、やめない時については、コミュニケーション。そういうことを考えるのが大きなヒントになるだろう。

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