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「死ぬために生きる」?呼吸の自覚はどこにある

 生きているのは生のためであり死のためではない。当然にこのことは誰もが理解できるはず。だが残念ながら、それをいつも自覚して生きられるほど、私達はよくできていない。どういうことかというと、場合によっては死ぬために生きることが人間にはあるということである。
 この原因は、そもそもの生の目的を忘れてしまうことだ。目的はとても単純なのになぜ忘れてしまうのか。それは、当たり前すぎて忘れてしまうからだ。いま、自分が呼吸をしていることを自覚している人はいるだろうか? 周囲の雑踏や、話し声、におい、様々な広告。そういったありふれたものを人は無意識にできる。いちいち意識していては受け止めきれないからだ。ひとつひとつは、人生にかかわらない些細なことだと思うからである。
 でも、それらの些細なことは、生を取り巻くひとつである。どれをとっても関係がないことではない。直接的でなくとも間接的に意味のあることばかりである。そして、それらと同じように私達は自らの呼吸すら意識できない時がある。それは生きるということを忘れたも同然だ。ただ漫然と日々を過ごすこと。目的や意味や未来を見失うこと。大げさでなく、そういうことに繋がる。そういうことがあり得るということなのだ。

 だから、生きているのは生のためであり死のためではない。自覚なく、容易に忘れうる生の意識を持ち続けることを、見逃さない方がいい。

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