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登場人物は物語という「枠組み」を知ってはならない

 知識や判断や知能において、物語上の都合に登場人物が左右されてはならない。そうではなく、逆でなければ行けない。

 作品の登場人物には意志があり、独自の思考回路を持つ。そして何より、理性がある。だから物語とは、その動きの克明な記録であって、実際のところ、登場人物とは繋がっていない。あくまでも、登場人物という(フィクションでもそうでなくとも)存在がどのような生き死にをするかという活動が、クリエイティブの上にあるだけである。
 つまり登場人物がいなければ、物語とは成り立たない。そして逆はない。これは重要である。物語はただの枠組みでしかないということを理解しない創作者による物語は、稚拙だからだ。面白くなく、魅力的ではない。

 なぜなら、登場人物はこの枠組みの存在を知ってはならない不文律があるからである。それは、この世界を神が覗いていると私達が発狂するようなものだ。普通ではないのである。それは頭がおかしくなってしまったと言わざるを得ないほど、その登場人物の理性を壊すことを意味する。
 即ち、登場人物は物語の流れによって左右されてはならない。そして物語の流れを決められるのはその作者だけである。作者は、物語を優先して登場人物の理性を壊してはならない。

 登場人物の願望や考えによって、物語は動く。それだけでなければならない。その逆はない。まして、知識や判断や知能において、物語上の都合に登場人物が左右されてはならない。とにかくそれは、逆でなければ行けない。

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