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 【愛着障害・うつ・AC】創造の病②「毒親サバイバー」というラベルの功罪㊤


前回の記事で、自分を病名や症状でラベリングしてしまうのはもったいないです、というお話をしました。↑

たとえば、「私は毒親サバイバーです」という人がいるとします。壮絶な環境を生き抜いてきた人という意味ですが、この場合、被害者という側面が強調されて、人がもつクリエイティブな面にはまったく触れられていないから残念だと思うのです。

さて。

今回は、「毒親」というコトバが出てきて、「今頃かよ」「遅いよ」と思ったほど私は歓迎しました、というお話をします。

ほかにも「親ガチャ」「教育虐待」「複雑性PTSD」などSNS上には当事者からの発信でいっぱいです。

「毒親」に代表されるこれらの概念がひろく認知されてきた影響力とメリットは、はかりしれません。

メリットは二つあると思います。

一つ目は、子供時代の傷つき体験がその後の人生に大きな影を落とすことが知られるようになったことです。

悩める人が自分の生きづらさの原因とメカニズムを理解することができて、そのことによって安堵し、救われた気持ちになりました。さらに、生きづらさの解決法や治療法があることもわかり、希望をもてるようになりました。 

メリットのニつ目は、精神疾患が将来的に少しずつは社会的に認知されてくる可能性がでてきたことです。 

ですが、今のところはまだまだ無理解と偏見にさらされているということが実情です。

「精神疾患は無い、精神医学や心理学は認めない」というグループは一定数いるし、「精神疾患は甘えだ、弱さだ」と非難する人もいます。

しかし、それは違うんです。

精神保健福祉法という法律があります。精神疾患になったら助けてもらえることや治療を受けられることは当然の権利であることが唱われています。

しかし現実には精神疾患に対する社会の無理解の中で苦しんでいる方はたくさん居られるのではないでしょうか。

よく言われることは「悩みぐらいみんなある、甘えている、弱いからだ」といものですが、幸せな人の悩みと、病気の人の悩みは質が全くちがうんです。

たとえば愛着障害は、鬱や依存症など精神疾患の原因になることが知られていますが、幸せな人は愛着障害の人がどんな世界に生きているかが分からないのです。

愛着障害の人の苦しみを、全身に火傷を負っていて風が吹いても痛い、と表現する人もいます。

また幸せな人はロールスロイスに乗って高速道路をかっ飛ばすような人生、愛着障害の人は人力車で行くような人生、と言う人もいます。

幸せな人は、病気の人の苦労が分からないのです。見た目は大人だけど、こころは子供なのに、大人の責任を背負わされて生きているから辛くて当たり前なのです。

それが分かったら、甘えている、弱いからだ、と非難することは誰もできなくなると思います。

愛着障害の人は人口の3分の1いると言われています。決して少数派とは言えない数字なのに、みんな知らなさすぎると思います。

私自身も、親からの被害を世間に訴えると、理解されるどころか親不孝者よばわりされるから、うっかり言い出せなかったのでした。虐待にあったうえに二次被害にあうからです。

堂々と言える社会になってほしいものです。

それでも、スーザン・フォワードが「毒になる親」を出版した三十年まえに比べると、社会的に認知されてきたでしょう。

「毒親」というコトバが認知されるようになったメリットは大きいと言えます。

 
一方で、デメリットもあります。気になるのは、「毒親サバイバー」として自分を規定してしまうことへの懸念です。 

そのへんは、「毒親サバイバーというラベルの功罪・後編」で。

つづく。


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