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禅語の前後

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禅の言葉をテーマに何か書いてみよう、という試み。
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懺悔文(さんげもん)

懺悔文(さんげもん)

 うちの実家の法事で聞いたのが、みょうに格好よくて耳に残ったので、調べてみた。御住さんの声が良かったのかもしれない。

 一般に「懺悔文」と呼ばれるこの四節は、「華厳経」という長いお経、弘法大師空海と同世代の中国僧が翻訳した四十巻版のなかに記されている一部分からの抜粋にあたる。

 一切我今階懺悔、ようするには「私のすべての悪行をただ今このときに悔い改めます」という宣言、なのだけど、この「すべて」

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般若心経(はんにゃしんきょう)

般若心経(はんにゃしんきょう)

 こんなことを書くと罰当たりなのかもしれないけれども、般若心経は冗長的だと前から感じていた。
 この拙稿では、般若心経のコアな部分に焦点を当てて読み込んでみたいと思う。

 般若心経は、「西遊記」でお馴染み玄奘三蔵が、天竺から持ち帰って翻訳したお経である。400字詰め原稿用紙いちまいに納まる分量だけど、ポイントになるフレーズはさらにコンパクトで、たった四文字。
 「色即是空」。
 すべては空っぽだ

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禅語の前後:一華開五葉(いちげ ごように ひらく)

禅語の前後:一華開五葉(いちげ ごように ひらく)

 花びらの数が5枚の花は、統計的に多いのだという。
 なぜ5枚なのか、世の中にはいろんな説があるようだ。黄金比。フィボナッチ数列。凹型の空間を効率よく埋める比率。全方位から虫を集めるために最適な形状。
 僕たち人間の指も5本だ。日曜日の朝にテレビでやってる、なんとか戦隊なにレンジャーとかも、たいてい5人組のようだ。何かしら5という数字には、自然と使われる丁度よさがあるのだろう。

 禅宗の初代達磨

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禅語の前後:無影樹下合同船(むようじゅ げの ごうどうせん)

禅語の前後:無影樹下合同船(むようじゅ げの ごうどうせん)

 もう10年以上も前の話、独りでパリに行ったことがあった。
 セーヌ川の観光船で乗り合わせた、韓国から来た団体旅行中のおばさんたちのひとりに、英語で話しかけられた。当時の僕はまだ独身で、2年に1回くらいは独りで海外に行っていた。そんな話を僕がすると、あなた人生を楽しんでいるわねぇ、と彼女は笑って言った。

 その彼女との会話は、なぜだか不思議に、僕の中に消えずに残っている。船から見たセーヌ川の景色

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禅語の前後:祖仏共殺(そふつ ともに ころす)

禅語の前後:祖仏共殺(そふつ ともに ころす)

 僕の四国の実家には、居間の仏壇のなかに大柄な回出位牌があって、戒名や没年を書いた小さな木札が二十枚くらい収まっている。いちど調べてみたら、いちばん古い年の木札は天正六年となっていた。これは戦国時代、利休さんと同年代になる。我らがご先祖さまは、そのころに四国の山奥にまで落ちのびてきたようだ。
 朝夕まいにち、子椀ふたつの御飯と、湯呑ひとつの茶とをお供えする。誰かから土産にお菓子などをもらったら、ま

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禅語の前後:放下着(ほうげじゃく)

禅語の前後:放下着(ほうげじゃく)

 村上春樹の短編にこんな一節がある。「夢みたいにぴったりとくる万年筆を作ってくれる」という店に行ってみた。店主に服を脱げと言われる。シャツを脱ぎ、ズボンを脱ごうとしたところで、いや上だけでいい、と止められる。店主は客ひとりひとりに対して、シャツを脱いだ本人の背中に手を当てて背骨のかたちを確かめてから、それにあった万年筆を作るのだ、という。

 ところで、放下着という禅語には、べつに「ズボンを脱げ」

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禅語の前後:向南見北斗(みなみに むかって ほくとを みる)

禅語の前後:向南見北斗(みなみに むかって ほくとを みる)

 北斗七星は目立つ星座なので、古代からいろいろと言い伝えが多い。中国などでは昔から神さま扱いされていて、例えば三国志演義で赤壁の戦いを前にした諸葛亮孔明が、祭壇を設けて風が吹くように祈る、その祈っている相手が、この北斗七星なんだそうだ。

 その名の通り、この星座は夜空の北に見える。
 柄杓に例えられるその星座の、一番目と二番目の星を繋いだ線を先に延ばせば、北極星に当たる。とうぜんながら、南を向い

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禅語の前後:秋雲秋水兩依依(しゅううん しゅうすい ふたつながら いいたり)

 いまから千年ほど前の中国にいた禅僧法演は、今も日本で続く臨済宗の中興の祖といわれていて、高名な僧の師匠筋にもあたり、自身でもいろいろと書き残している。
 文学的な才能もあった人のようで、こんなふうな秋の別れの歌も残っている:

送黃景純 法演  黃景純を送る
 
秋雲秋水兩依依  秋雲 秋水 両つながら依々たり 
寒雁聲聲度翠微  寒雁 声々 翠微を度る
多向洞庭青草岸  多くは向こう 洞庭青草

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禅語の前後:前後際断(ぜんご さいだん)

禅語の前後:前後際断(ぜんご さいだん)

「ポストペット」を作った人としても有名な八谷さんは、ジェットエンジン積んで本気で飛べるリアルサイズのナウシカのメーヴェを造っちゃった人でもあって、みずからトレーニングして乗りこなしてもいる、素敵な大人である。

 八谷さんが以前、飛行機乗りの哲学について呟いていた。

「前に持ってたものの事は考えるな」「後ろを振り返る余裕なんてない」、空を飛び、命を懸ける場ならではの、徹底的に現実主義的な発想だ。

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禅語の前後:無事是貴人(ぶじ これ きにん)

禅語の前後:無事是貴人(ぶじ これ きにん)

 1995年11月、とあるバンドが出したシングルCDは、彼らとしては初めてオリコン・チャートにランクインした。

 それは大した順位ではなかったのだろう。しかし、「こんな曲が」これまでになく、広い範囲で受け入れられたのである。「フィッシュマンズ」という存在をとことん純化することだけを主眼としたような、この上なく「わがまま」な内容であり、しかもそれが、淡々と六分以上もつづいていくこのナンバーが、「こ

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禅語の前後:廓然無聖(かくねん むしょう)

禅語の前後:廓然無聖(かくねん むしょう)

 だいたい900年前、中国は宋の時代に書かれた禅のテキスト、100のテーマについて書かれた「碧巖録」の、最初の1つめのテーマに選ばれているのが、この言葉。
 「廓」は本来、城や都をぐるっと囲う土壁を意味する漢字で、転じて「広い」「大きい」「空しい」といった意味を持つ。

 今から1500年くらい前、禅宗の開祖である達磨が西の天竺から中国を訪れたころ、南朝の武帝は自身も仏教の学者であり、あつく仏教を

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禅語の前後:人面桃花相映紅(じんめん とうか あい えいじて くれない なり)

禅語の前後:人面桃花相映紅(じんめん とうか あい えいじて くれない なり)

「人面桃花…」は、今から1200年ほど前、中国唐代の崔護という詩人の歌の、二句目の部分にあたる。

去年今日此門中  去年の今日、此の門の中
人面桃花相映紅  人面桃花相映じて紅なり
人面不知何處去  人面は知らず、何処にか去る
桃花依旧咲春風  桃花旧に依って春風に咲む

 去年の今日こちらのお宅で、美人さんの顔と桃の花とが、互いに紅色を映し合っていた。あの美人さんは何処に行ったのやら、けれど桃

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禅語の前後:忘却百年愁(ひゃくねんの うれいを ぼうきゃく す)

禅語の前後:忘却百年愁(ひゃくねんの うれいを ぼうきゃく す)

 寒山という、中国・唐代初期の伝説的な人物が、書き残したと言われる詩の一節。
 この寒山さん、実在したとしたら相当ぶっ飛んだ人物だったようだ。頭には樺皮を被り、ボロを着て木靴を履き、夏にも雪が残るような寒い山に住み、挨拶されると大笑いして山へ逃げ去る。…人物というより、むしろ妖怪じみている。
 この詩は、彼が山中のあちこちに書き残したものを集めたなかのひとつ、と言われている。題名も無く、通称として

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禅語の前後:大善知識還入地獄也無(だいぜんぢしきも また じごくに はいるや いなや)

禅語の前後:大善知識還入地獄也無(だいぜんぢしきも また じごくに はいるや いなや)

 中国産SF小説「三体」の続訳「黒暗森林」が出た。さっそく読んでいたら、意外と禅モチーフが多かった。現代中国の作家さんも、禅を良く知るものか(それとも、この作家さんが少し変わっているのかもしれない…銀河英雄伝説も引用してるし…)。
 作中のキーワードになる「面壁」は本来、壁に向かって座禅する禅僧の修行スタイルを指す言葉だし、メインキャラのひとり章 北海のクライマックスシーンには、著名な禅僧である趙

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