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そっと置いておきたい言葉たち

ライター・編集者の養成講座「ほぼ日の塾」の5期に参加させていただき、昨日すべての活動が終了した。

全部で3つあった塾生への課題。
最終課題は、コンテンツの形式もテーマも自由に決めることができた。
完成した記事はこちら。

小説に挑戦しようか、渾身のエッセイか…参加前はあれこれ考えていたものだが、いざ実践編への参加通知が届くと、数分後にはぐうたらこさんに連絡をとっていた。

お子さんの障害受容をテーマにした対談記事が書きたいのです。ご協力いただけないでしょうか?」

数年間だけだが、療育指導員として児童福祉の現場に勤めた経験があるので、ずっとこの領域のコンテンツを作りたいなと思っていた。

障害福祉はまだまだクローズな世界だ。
支援者や障害児の親御さんむけのノウハウ本はたくさん存在するが、「当事者でない人への理解を促進するコンテンツ」は本当に少ない。

そして、「こどもを支える親御さんの心境、親御さんへの支援」が語られているものは、個人ブログがほとんどで、編集者の手や第三者の目線が入ったコンテンツを見かけたことなど、ほとんどなかった。

せっかく障害福祉の世界から編集者になったのだ。
書いてみたかった。
どこにでもいるような私が、まだどこにもないコンテンツを。

あなたの言葉、私に託してもらえませんか

ぐうたらこさんに即オファーしたのは、Twitterをはじめて間もないころから、年少の娘さんに障害の診断がついたとツイートされていたのを見ていたからだ。

予想はあった、やっぱりそうなんだ、でも嘘でしょ、いやだ信じたくない。
彼女の言葉は、正直だった。

少しのことで揺れる気持ち、やらなくてはいけない雑多なこと、誰も導いてくれない不安、こうありたいと願う母親像。

1つ1つのツイートを読んでは、独身で20代だった指導員時代に関わった、何人もの親御さんの顔が、浮かんで、消えた。

療育を受けるため、はじめて施設にやってきた親御さんは、まず指導員と面談する。
そこで聞くのは、お子さんの発育歴と現状の発達レベル、生活の困り感だ。

私はこの役割を多く担った。
たくさんの親御さんから、お子さんの発達履歴をうかがった。

言葉はないのですね、発声はありますか?
コップを持って飲むことができますか?
名前の呼びかけに反応しますか?
診断は出ているのですね、発達検査の結果はお持ちですか?

私の役割は「お子さんの初期目標設定と授業の編成をするために、発達状態を正確に把握すること」だった。

だから、聞かなかった。

「3歳児検診で指摘をうけて…すごくびっくりしちゃって…」と視線を上げずに話す親御さんに。

「ええ、驚きましたよね、お母さん。よくここまで来てくれました。いまはどんなお気持ちですか?」と、聞けなかった。

私が訪ねるのは「なんの項目で指摘されたのですか?先生はなんと言っていましたか?」だけだ。
お子さんの発達情報だけ。

少しかすれて、不安げな声は耳に残っているのに、その瞬間の親御さんの表情は、覚えていない。
手元のバインダーに書き込むことにばかり、一生懸命だったからだ。
この紙を書き込みでいっぱいにすることが「よい面談」だと信じていた。

親御さんの気持ち、ここにたどり着くまでの想い、支える者のストーリー。
そこに耳を傾け、だいじに共有するという発想は、薄かった。

目の前の震える心に向き合わなかった若き日の自分を、親になった、いまの自分が責めている。

もう療育指導員ではないけれど、過去はどうにもならないけれど。
「我が子の障害受容」を、母親の目線で語る記事を、書かなくては、いけないような気がしていた。

人の心は、ずっと鮮度を保てない。
出産や0歳育児のつらさが風化するように、20もの心配をぐるぐる悩んでいたことも、時間が立つと「たくさん悩んだな」と大味の感想に置き換わる。

渦中にいる人物にしか、鮮明に詳細に語ることは叶わない。
頭痛が治まってからしばらくたって、その痛みを具体的に表現することが難しいのと同じように。

当時まさに、障害受容の真ん中にいたぐうたらこさんに、そのまっすぐな言葉を、あっちにこっちに交錯する想いを、託してほしいとお願いした。
大変な時期であられたのに、すぐにご快諾いただいた瞬間から、この記事は走り出した。

我が子の障害を受容する、ということ

「障害受容」で検索すると、おおむねこのような心理プロセス図にたどり着く。

かいつまんで説明すると、まず障害を知った瞬間の「ショック期」があり、次に、いやちがう、何かの間違いだ、という「否認期・拒否期」がくる。

そして、なんでうちの子が、この先どうなってしまうの、誰が悪くてこうなったんだ、の「悲しみ・怒り期」が続き、場合によっては障害を克服しようとする「努力期」などをはさみ、ついに状況に適応し、受容していく、といった流れだ。

現場にいた当時も、支援者同士で「あのお母さんがまだ拒否期だから、ゆっくり見守ろう」や「努力期の方にやたらと期待させるような発言は避けましょう」などの会話はあった。

しかし、同時に思ってもいた。
こどもの数だけ親もいるのに、みんなが同じルートを辿るなんてこと、あるんだろうか。

結論をいうと、当然そんなわけはない。
すんなり受容して、こどものスケールに合わせた生活だけを考える方もいれば、療育に通いながらも、何年も受容できずに苦しんでいる方もいる。

気の利かない指導員であった私に、自発的に障害受容の悩みを話してくださる親御さんも何人かいて、「ここの先生はみんなよくしてくれて感謝してる。なのに、周囲に療育に通っていることを隠している私は、親失格ですね。」と打ち明けられたことがあった。

小学校進学を前にした進路選択で、「この子には支援級がむいてる、あってると思うのに、できることなら普通級にいかせたいと思うのは、親のエゴでしょうか。私は障害者を差別しているのでしょうか。」と聞かれたことも。

当時ははっきり言葉にできなかったが、いまは思う。
こどもには「障害があってもなくても、その子の多様な個性を大事に、ひとりひとりに向き合う」と強く認識しているのに、「親御さんの多様性」を積極的に受け入れる機会はなかった。

「親なら当然、完璧に障害受容して、我が子のありのままの姿を愛しなさい」という無言の圧力を、きっと多くの方が感じていた。
なんと逃げ場がなく、息苦しかったことだろう。

障害受容がはやい親=こどもをとても尊重している親

そんな価値観が、ぼんやりとなかっただろうか。私の中にも。
受容に苦しむ親御さんに寄り添いたいと願いながらも、前向きに受容している親御さんを、理想形のように考えていなかったか。
チリチリと、罪悪感が、胸に焦げつく。

対談記事の中で、ぐうたらこさんも療育に抵抗感があった自身を「自分の中に差別があるからなのか、ないつもりだったのに」と振り返っている。

街で見かける障害者を、バカにしたり阻害する行為は差別だ。
しかし、我が子に障害があるといわれ、間違いであってほしい、できればその他大勢のこどもと同じように育てたい、と望む気持ちを「差別」だなんて、呼ぶだろうか。

私は、ちがうと思う。
現在の日本では、事実として、健常者が多数のため、障害児より健常児のほうが、あらゆる選択肢が多い。
学校も、習いごとも、就職も。そして何より情報だ。

子育てにかかるお金、受けられるサービス、成長の目安、困った時の対処法。
健常児のそれは情報が網羅されているため、気軽に検索でき、なおかつ相談できる相手も多い。

しかし、障害児育児の情報は比較にならないほど限定的で、しかも「障害」の中身が広すぎて、参考にならないものも多いだろう。

今までなんとなく描いていた、育児を含む人生の未来予想図が、まったく宛てにできないものですと、ある日いきなり告げられたら、不安にならないわけがない。

こどもの将来と家族の未来の心配だけでも胸がつぶれる心境であるのに、さらに「自分は差別的なのかもしれない」なんて葛藤とも、親御さんは戦っている。

しかも、この一連の苦しい苦しい悩みのトンネルは、ほとんどコンテンツ化されていないので、なんのヒントも糸口もないまま、孤独で不安な道のりとなる。

それが障害受容だ。壮絶なのだ。
受容が善、それ以外が悪などという視えない物差しで、これ以上煩わせることは、あってはならないように、私は感じる。

いつか、どなたかのために。

記事の中でぐうたらこさんご夫婦は、娘さんの診断を受容されている。
しかしながら、この記事は「お手本」や「正解」ではない。
受容は正義とか、療育最高とか、そんなことが言いたいんじゃ、ない。

もしいつか、お子さんに障害の可能性を感じて不安な方や、受容で悩む方がいらしたとき。

言葉にならないぐちゃぐちゃな不安を、自分だけでかかえるより、こんな気持ちを得て、この思いにいたったご家族の真実の記録が、すこし、痛みをなでるかもしれない。すこし、心を整理するかもしれない。

もともと発達障害に興味が深く、とても肯定的に考えていたぐうたらこさんでも、やっぱりショックだったと、悩んだという事実が、支えになるかもしれない。自分だけじゃないと、おもえるかもしれない。

そんな、いつかのどなたかのために、そっと置いておきたい。

対談で話しているのは「お子さんの障害受容」の話題だ。
つらいかった気持ちも、文字になっている。
だけど、この対談で語られているのは、一貫して「愛」の話なのだ。

ぐうたらこさんはどの瞬間でも、娘さんにとっていい環境を考え、ベストな選択肢を模索している。
障害とかどうとかではなく、こんなにも真剣に、これほどまでに切実に、娘さんの幸せを考えている。

この記事は「愛の記録」だ。
2時間半の対談も、笑って泣いて共感して、ずっとずっと、楽しく幸福な時間だった。
未熟な編集力だが、その空気感を再現できるよう、いまの私がもてる力は、すべて注いで編んだつもりだ。

「いつかこの記事に出会うあなたが、どうか幸せであるように。」

きれいごとだろうか。おかしいだろうか。
でも、祈らずにはいられない、編集作業だったのだ。

ぐうたらこさんは「成仏」という表現を複数回使っていた。
この記事をつくったことで、「娘さんのいいところ、聞かせてくれませんか。」と質問できたことで、私の中で成仏した想いもある。

こどもにいい支援をしようと、できないことの確認ばかりしてしまった過去の私。
本当に聞くべきだったのは、その子の魅力であったのに。

この記事を、多大なご協力をいただいた、ぐうたらこさんご一家と、
いつかの、どなたかと。
そして、文字が読めるようになった娘さんに、贈りたい。

親も子も、誰もが多様であれる世界がやってくるまで。
「ほぼ日の塾」のみなさんに、大きく感謝を込めながら。


記:瀧波 和賀

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