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『「介護時間」の光景』(146)「月」。2.27.

 いつも、このnoteを読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして記事を、書き続けることができています。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 個人的な経験にすぎず、細切れの記録になってしまいますが、それでも家族介護の理解の一助になれば、と考えています。

 今回も昔の話で、申し訳ないのですが、前半は、19年前の、2004年2月27日の話です。後半に、2023年2月27日のことを書いています。


(※ この『「介護時間」の光景』シリーズでは、特に前半部分の過去の文章は、その時のメモと、その時の気持ちが書かれています。希望も出口も見えない状況で書いているので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば幸いです)

「通い介護」

 1999年から、母親に介護が必要になり、介護中にいろいろとあって、2000年には、自分自身も心房細動の発作になりました。医師に、「過労死一歩手前です。もう少し無理すると死にますよ」と言われたこともあって、母に病院に入ってもらうことにしました。自分が病気にならなかったら、ずっと家でみようとしたのかもしれません。

 その頃、妻の母親(義母)にも、介護が必要になってきましたが、私は、母親のいる病院に毎日のように通っていました。帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護をしていました。

 そして、仕事をすることを諦めました。転院してからも、母親の状態は波があり、何の前触れもなく、ひどくなり、しばらくすると理由もわからずに、普通に話ができるようになったりしました。

 医学的には、自分が病院に通っても、プラスかどうかわかりません。だけど、そのことをやめて、もしも二度とコミュニケーションがとれなくなったら、と思うと、怖さもあって、ただ通い続けていました。これは、お見舞いといったことではなく、介護の一種であり、「通い介護」と名づけてもいい行為だと思うようになったのは、それから何年かたってからでした。

2004年の頃

 2004年の前半は、母の状態も安定していて、病院に通う頻度を少し減らしても、大丈夫なように思えていました。

 少し先のことが考えられそうな気がしていたので、気持ちまでやや明るくなっていたような時でした。

 その頃の記録です。

2004年2月27日

『午後4時20分ごろ、病院につく。

 その前に、冬服のバーゲンみたいなものがあったので、すごく迷って、シャツとズボンを買ったのだけど、なんだか変な汗をかく。

 母は、横になって、眉間にシワがよっている。

 それで、熱を測っているから、うわ、何か、体調が悪いのか、と思ったら、ただ、定期的な検温だと知って、ちょっとホッとする。

 夕食は40分で終わる。

 テレビでは、オウムのことばかりで、母はテレビを消してしまった。

 なんだか、やたらと「毎日来なくて、大丈夫。疲れちゃうから。2時間だから」と繰り返していた。

 これまでは、私がここに来るまでの時間については、伝えたことがあるのに忘れていたのに、今日は、その2時間について、やたらと覚えていた。

 だから、一応は答えた。

「大丈夫だって。電車のラッシュとは逆の方向だから、空いているよ」

 そんなことを伝えたら、なんだか納得してくれた。

 午後7時に病院を出る

    少し寒い』。

   帰りの電車。夜で上りだから、けっこういつも空いていて、だいたい座れる。

 大きい窓から、半月が見える。
 上半分が欠けた、ほぼ完全に半分の形。

 電車が走っていても、空に浮いていて、そこに止まっているように見える。

 当たり前かもしれないけれど、今日は、その浮いているんだ、を改めて強く思う。

 何かの建物のカゲになって、一瞬だけ見えなくなり、そして、また半月が見える。それがしばらく何回も繰り返される。まばたきしているみたいだった。

                        (2004年2月27日)


 その後、2004年の10月に母の肝臓にガンが見つかり、手術もして、一時期は回復したものの、その翌年に再発し、母は2007年に病院で亡くなった。

 それからも、義母の在宅介護は続けながら、心理学の勉強を始め、大学院に入学し、修了し、臨床心理士になった。介護者への個別で心理的な支援である「介護者相談」も仕事として始めることができたが、2018年の年末に義母が103歳で亡くなり、突然介護が終わった。昼夜逆転の生活リズムを修正するのに、思ったよりも時間がかかり、そのうちにコロナ禍になっていた。


2023年2月27日

 天気がいい。

 洗濯を始める。

 最近、水道から洗濯機へのパイプのところが古くなってゆるくなったせいか、水が少し漏れるようになった。

 この前、ドライバーを使ったが、ネジが古くなって、うまく回せなくなっていて、だけど、電気屋さんに頼むには、もう少し待って、洗濯機を買い替えるようなとき、一緒に頼んだほうがいいのかもと、とてもケチくさいことを思って、まだ、どうするか、少し迷っていた。

 洗濯を始め、洗濯が終わってから、洗濯物を干して、食事をする。

区民大学

 今日は、地元の行政が開催してくれた「区民大学」という催しがあって、それは自分が住んでいる地域をテーマにしていて、週に一回のペースで計4回だった。

 今月の一週目から始まって、途中で1回、体調が良くなくて、休んだけれど、今日も妻と一緒に出かけることができた。

 今日は、グループワークのような内容で、おかげで、いろいろな人と、知らなかった話もできて、思ったよりも楽しかった。

 行き帰りの道で、思ったよりも梅が咲いているのに気がつく。

 帰りに、隣町によって、妻がギョウザを食べたいというので、初めて「大阪王将」に入った。

 午後5時前だったので、お店は空いていたし、基本のラーメンとチャーハンとギョウザのセットを頼んだけれど、どれもおいしくて、妻も満足だというので、行ってよかった。

 こうやって、歩いていける範囲であれば、色々な意味で安心で、楽しく過ごせる。

 少しのんびりとした1日になって、よかった。

 こういう日が、これからも送れるようになるには、まだコロナ禍は収束していないから、体が弱い人間にとっては、どのくらい、いろいろなことを気にしなくてはいけないのか、と思う。





(他にも、介護のことをいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)





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