見出し画像

『「介護時間」の光景』(204)「雨粒」。4.30。

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして書き続けることができています。

(※この「介護時間の光景」シリーズを、いつも読んでくださっている方は、よろしければ、「2002年4月30日」から読んでいただければ、これまでとの重複を避けられるかと思います)。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。

 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。


「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、私自身が、家族介護者として、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的で、断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。

 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2002年4月30日」のことです。終盤に、今日「2024年4月30日」のことを書いています。


(※この『「介護時間」の光景』では、特に前半部分は、その時のメモをほぼそのまま載せています希望も出口も見えない状況で書かれたものなので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば、幸いです)。

2002年の頃

 個人的で、しかも昔の話ですが、1999年に母親に介護が必要になり、私自身も心臓の病気になったので、2000年に、母には入院してもらい、そこに毎日のように片道2時間をかけて、通っていました。妻の母親にも、介護が必要になってきました。

 仕事もやめ、帰ってきてからは、妻と一緒に、義母(妻の母親)の介護をする毎日でした。

 入院してもらってからも、母親の症状は悪くなって、よくなって、また悪化して、少し回復して、の状態が続いていました。
 だから、また、いつ症状が悪くなり会話もできなくなるのではないか、という恐れがあり、母親の変化に敏感になっていたように思います。

 それに、この療養型の病院に来る前、それまで母親が長年通っていた病院で、いろいろとひどい目にあったこともあって、医療関係者全般を、まだ信じられませんでした。大げさにいえば外へ出れば、周りの全部が敵に見えていました。

 ただ介護をして、土の中で息をひそめるような日々でした。私自身は、2000年の夏に心臓の発作を起こし、「過労死一歩手前。今度、無理すると死にますよ」と医師に言われていました。そのせいか、1年が経つころでも、時々、めまいに襲われていました。それが2001年の頃でした。

 2002年になってからも、同じような状況が、まだ続いていたのですが、春頃には、病院にさまざまな減額措置があるといったことも教えてもらい、ほんの少しだけ気持ちが軽くなっていたと思います。

 周りのことは見えていなかったと思いますが、それでも、毎日の、身の回りの些細なことを、メモしていました。

2002年4月30日

『午後4時15分頃、病院に着く。

 母と一緒に買ってきた柏餅を食べる。喜んでくれた。
 よかった。

 その病棟の内科医に、笑顔で言われる。

「落ち着いてますよ。
 この前、海岸に行ったんだって?」

 かなり肯定的に言ってくれる。

 母本人も、「肝臓は腫れてないのよ」と言っていたけれど、どこまでわかっているのかどうかは、ちょっとわからなかった。

「肝硬変じゃなくて、ただの肝炎ですよ、と言ってくれたのよ」

 医学的には、肝炎という言葉はなくて、肝硬変です、とこれまで関わってきた医師は言っていて、それは正しいのかもしれないけれど、肝硬変という言葉を言われて、本人はかなりショックだということを分かってほしい、ということを何度も伝えてきたのだけど、今回は、初めてそのことも汲み取ってくれたみたいで、ありがたかった。

 午後5時35分から食事をして、午後6時15分に終わる。海藻の細かいものを残していた。

 母はすぐトイレへ行く。

 食事中には、すごく眠くなっているようだった。

 今、使っているスリッパは、もうあまりいらないみたいだった。それは、毛が生えていて、冬用のあたたかいものだったので、それは持って帰ろうと思った。

 次に持ってくるのであれば、もう少し初夏用のスリッパが必要かもしれない。

 昨日から、自分自身の頭の後ろの部分がふわふわと髪の毛が逆立つような、変な感覚があって、それが嫌な病気の前兆だったら嫌だなと思う。

 母の隣の4人部屋のうち、一人がいなくなっていたり、ナースステーションのところで、患者の対応について話をしていたり、当たり前だけど、いろいろな変化がある。ゆるやかだけど、明るくない方向へ進んでいるような…。

「いつも、朝は2周回っているのよ」。

 母は、またそんなことを言っていた。

 午後7時に病院を出る。

 雨が降っているか降っていないかの、変な天気』

雨粒

 電車のホームに金属のパイプで仕切りが出来ている。

 ワンマン運転になって、発車の時に、この仕切りよりも線路に近づくと、センサーが働いて、電車が出発できないらしい。

 そのパイプに、降り出した雨の粒がくっついている。いくつもあるのに、照明との角度の関係なのか、その中の一つだけがガラスの粉を散らしたもののように、すごくキラキラしている。

                        (2002年4月30日)


 それからも、その生活は続き、いつ終わるか分からない気持ちで過ごした。
 だが、2007年に母が病院で亡くなり「通い介護」も終わった。義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。

 2018年12月には、義母が103歳で亡くなり、19年間、妻と一緒に取り組んできた介護生活も突然終わった。2019年には公認心理師の資格も取得できた。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。


2024年4月30日

 天気があいまいだった。

 外は雨が降っていたけれど、天気予報によれば、雨は上がるらしい。

 それに、一度くらいは洗濯しても、まだ干す場所があるし、雨が降ってきたら、室内に移動できる。

 起きたら、まず洗濯のことばかり考えているような気もするが、それで、洗濯をすることにした。

介護相談

 現在、仕事として家族介護者への個別の心理的支援としての「介護者相談」を、某区役所で続けさせてもらって11年目になるのだけど、その1年前からおこなっていたのがボランティアでの「介護相談」だった。

 地元の区役所に、「介護者相談」ができるまで、月に1度は行おうと決めて、2013年から続けてきたのだが、ここ数年は、場所を提供してもらっていたカフェが事情により、現時点では休業中なので、こうして新規の介護相談の募集はできなくなった。

 現在では、連絡を取れる希望者の方のみの「介護相談」を、日程を調整しつつ、やはりボランティアで継続しているのだが、今日が、その月に1度の日だった。

 その場所に行く途中に神社があって、境内にはこいのぼりがたくさん泳いでいた、というよりは、風も弱かったので、ほとんどがぶら下がっているような状態だったけれど、数が多いと、なんだかちょっと元気が出るような気がした。

 地元の区役所には、今も「介護者相談」はできていない。何かの機会に、区役所の人に、そんな話をしたら、家族会や認知症カフェがありますので、と返されたことがあった。

幻視

 レビー小体型認知症の特徴(という言い方も失礼な気がするが)として、幻視と言われる症状がある。それは、見えないものを見ているような印象があるが「幻視」と言われても、その本人にははっきりと見えているはずだ。

 この本は、人間の脳が「顔」というものにいかに過剰に反応するか、ということが書かれてもいるのだけど、その中に「なんでも顔に見えてしまう」という項目があった。

 わずかな違いでも見逃さず、大勢の人を見分けることができる私たちの脳ですが、情報処理のバランスが崩れると、誤作動とも言えるような現象を引き起こしてしまうことがあります。それはいったいどのようなものでしょうか。

 たまたまできた模様や形が、人や動物の顔に見える現象は、バレイドリアと呼ばれるもので、人の認知スタイルが影響しています。

 誰にでもバレイドリア現象は起きるので、人面魚ブームが起きるわけなのですが、レビー小体型認知症では、この錯視が特徴的な症状の一つとなっています。例えばなんでもない模様が顔に見えたり、壁の黒い点々が虫に見えてしまったりする、というケースなどです。

 レビー小体型認知症は、海馬の大きさはあまり変化せず、記憶力も衰えません。しかし、脳の後頭葉の血流が著しく低下してしまうという特徴があります。(中略)後頭葉には初期資格野があり、ここからのボトムアップ処理が弱まることで、高次な脳領域のトップダウン処理が相対的に強くなり、意味のない情報にも過剰に意味を持たせてしまうのだと考えられています。

(「顔に取り憑かれた脳」より)

 唐突に、見えないものが見える、と言われると、おそらくは驚いてしまうけれど、誰にでも起きるような、なんでも顔に見えてしまう「バレイドリア」という現象があると知ると、その「幻視」といわれる状況が、少し理解できるような気がしないだろうか。

 そう考えると、レビー小体型認知症認知症の家族を介護する際には、殺風景かもしれないけれど、何か模様があるものは置かない、といったことをすれば、少しは「幻視」が減るかもしれない、とも思った。





(他にも、介護のことをいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。



#介護相談       #臨床心理士  
#公認心理師    #家族介護者への心理的支援    #介護
#心理学       #私の仕事  #抱負
#家族介護者   #臨床心理学   #介護者相談
#介護負担感の軽減    #介護負担の軽減
#自己紹介   #介護の言葉     #介護相談
#家族介護者支援   #仕事について話そう
#家族介護者の心理   #介護時間の光景
#通い介護  #コロナ禍 #日常 #生活


この記事が参加している募集

自己紹介

仕事について話そう

 この記事を読んでくださり、ありがとうございました。もし、お役に立ったり、面白いと感じたりしたとき、よろしかったら、無理のない範囲でサポートをしていただければ、と思っています。この『家族介護者支援note』を書き続けるための力になります。  よろしくお願いいたします。