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介護の言葉㉙「共倒れ」

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 おかげで、こうして書き続けることが出来ています。

 初めて、読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士・公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。


「介護の言葉」

 この「介護の言葉」シリーズでは、介護の現場で使われたり、また、家族介護者や介護を考える上で必要で重要な「言葉」について、改めて考えていきたいと思います。
 時には、介護について直接関係ないと思われるような言葉でも、これから介護のことを考える場合に、必要であれば、その言葉について考えていきたいとも思っています。

 今回は、介護に関わったら、必ず聞いたことがある言葉ですし、介護者であれば、一度はこの言葉をかけられたことがあるかと思うのですが、もう一度、その用語が本当に適切なのかを、考え直したいと思いました。

「共倒れ」

 自分が介護を始めた頃、専門家からも、知り合いからも、何度か言われたのが、この「共倒れ」という言葉でした。

 それは、使われる場面もだいたい同じだった記憶があります。

 私は、入院した母の病院にほぼ毎日のように片道2時間かけて通っていました。それは、のちに自分で「通い介護」と名付けた行為ですが、それは、今でも、それが介護かどうかについては理解されていないことだとは思います。

 周囲に理解されないとしても、私は私の気持ちと都合によって、その介護を続けていましたし、さらには、家では妻と一緒に妻のお母さんの在宅介護をしていました。二人で、ほぼ24時間の介護をするために、私の就寝時刻はだんだん遅くなり、午前5時頃になっていました。

 介護の現状を人に話して、同じように介護をしている人以外には、理解されたこともほとんどなく、場合によっては、善意のアドバイスをされることもあったので、自分からは介護の話をすることはほとんどなくなりましたが、それでも、尋ねられれば、相手によっては、少し話すこともありました。

 そんなとき、実質的には、母と義母の両方の介護に関わっていることを伝えると、「このままだと共倒れになってしまう」といったようなことを、言われました。

 それは、その相手にとっては、親切心からであり、有意義なアドバイスなのは間違いありません。つまりは、無理をしてはいけない、ということだったのだと思います。

 そして、それを言われた時は、その気持ちは有難いのですが、ひきつった笑顔で、あいまいにお礼を言うしかありませんでした。

 結局は、その「共倒れになる」という心配が、心に染みなかったからですが、それは、その言葉そのものに違和感があったからだと思います。

違和感

 その言葉を使う方々を責めるわけではありませんが、「共倒れ」という状態が、どのようなことを指すのかについて、明確なイメージがあるような印象がありません。

 まず、自分自身が家族介護者であったときに、「共倒れ」と言われた場合に、心の中で「違うのでは」と思っていたのは、「共倒れ」ではない、という小さな反発心があったからです。

 まず、介護が必要になっている家族-----私にとっては、母であり、義母は、すでに「倒れている」存在です。「倒れている」から、介護が必要になっていると思っていました。

 特に母親は、何度か、とにかく入院させないとどうなるか分からないといった状態があった後での、療養的な病院への入院でしたから、その印象が強いですが、義母に対しては、もしかしたら「倒れた」という表現は失礼かもしれません。

 何かの病気で倒れてから介護が必要になったというよりも、ゆっくりと下り坂を下るように、歩けなくなり、立てなくなり、という状況でした。だから、「倒れた」というよりは「立てなくなった」という表現の方が正確かもしれません。

 それでも、「共倒れ」ということを言われたときには、要介護者は、すでに「倒れているのに」という思いにはなりました。

 だから、その「共倒れ」という言葉が、介護をしている人間に対して、心配という善意と共に向けられているとしたら、倒れるのは、介護者であるので、それは、介護をする人間と、介護をされる人が、どちらも「倒れる」のではなく、ただ、介護者だけが倒れることを、憂慮されていたということだと思います。

 でしたら、素直にそのまま言ってくれればいいのに、と感じていました。

 私にとっては、「片倒れ」が、正確な表現では、と感じていましたし、もし、介護をしている自分が倒れたとしたら、そのときは、誰かがみてくれるかもしれないとも考えていました。

 介護保険は2000年の頃から、介護者として関わってきましたが、このシステム自体は「改正」と言われる変更のたびに、様々なわかりにくい表現と共に、結局は「サービス抑制」にしか進んでいませんでした。

 それでも、日本というまだ「先進国」では、介護者が倒れ、介護が必要な高齢者だけが残されたとしても、さすがに放っておくことはしないのではないかとも思っていました。

 ですから、「共倒れ」を心配してくれる人が、どこまでイメージしていたのかは、はっきりとはわかりませんが、家族介護者であった私にとっては、「倒れる」とは、おそらくは介護による過労とストレスによって、介護者である私が「死んでしまう」ことでした。

 それは、介護を始めたばかりの頃、心房細動の大きな発作を起こし、左心房肥大までした私にとっては、リアルなことでしたし、きちんとした統計は出ていないのではっきりとはしませんが、介護者が、要介護者よりも先に亡くなること。介護が終わってから程なく介護者が亡くなってしまうことは、想像以上に多いのだとも思っています。

 だから、「片倒れ」の方が表現としては正確ではないかとも思ってます。

 それで、「共倒れ」の「共」にも違和感がありましたし、今でもそれほど印象は変わりませんので、介護者支援に関わるようになりましたが、「共倒れ」という言葉を、介護をしている方に対して使ったことはないかと思います。

 使うとすれば、専門家の方に対して、そう言った方が伝わりやすいかも、と判断したときですが、それでも、使うことに対して、微妙な抵抗感があります。

介護者の特徴

 個人的には、介護者自身が、大きい病気になること------実感としては、心臓や脳関係が多いように思いますし、その病気は、負担や負担感が、介護者本人としては慣れてきたと思える頃に、一気に症状が出るので、本当に倒れることもあるように感じています。

 そして、これも統計が出ていないのでよくわかりませんが、想像以上に、そうした介護者は大勢いらっしゃる可能性もありますが、不思議なことに、そのことを気をつけてください、と提案しても、なかなか介護者には伝わらないように思っています。

 それは、介護が長くなるほど、要介護者のことが第一になっていて、どうしても自分の体調が二の次になるが介護者の心理でもあるので、そこを前提として、「共倒れになりますよ」という言葉ではなく、直接的に、介護者自身の体調を気遣う言葉をかけた方がいいのではないかと思います。

介護殺人事件

 個人的な印象に過ぎないのかもしれませんが、介護による「共倒れ」のイメージは、介護殺人事件です。

 もしかしたら、この「共倒れ」という言葉を使い出した人も、その最悪な結末をまねかないため、でも、直接的な表現を使うことを避けての表現だったのかもしれません。

 私自身は、幸運にも、介護殺人事件を起こさずに介護を終えることができましたが、それでも際どい場面がありました。なんとか無事に介護できた人間が、こうした言い方をすること自体が不遜で失礼とは思うのですが、それでも、こうした事件のことを、介護中に話題にすると、とても他人事とは思えない、とおっしゃる介護者が圧倒的に多かった印象です。

 今は、あまり言われなくなり、あまりこの表現ばかりを強調するのも問題があるのかもしれませんが、介護地獄というのはかなり正確な言葉でもあるのは変わりがなく、それは、介護環境自体が生じさせる介護負担感、特に「いつ終わるか分からない負担状況」が、人間の心に想像以上のストレスを与え続ける事実が変わらないことと、密接に関係があると思います。

 このように、この20年以上、介護保険が存在するようになった後でも、残念ながら二週間に1件のペースで、今も介護殺人・心中事件が起こり続けています。それは、介護者への支援が足りないということでもあり、同時に、いつどこで起こってもおかしくない、ということでもあると思います。

 ですので、「共倒れ」という言葉を使いたくなった時は、そのことを、介護者に直接伝えるべきではないかもしれませんが、過酷な介護状況によって、介護者の人格や方法や能力とは関係なく、介護殺人事件は起こり得るという想像力と、介護殺人などの「共倒れを防ぐ」という覚悟を持って介護者支援に関わると、結果として、少しでもそうした事件を減らせると思えるのですが、いかがでしょうか。

 今回は、以上です。



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