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通報&訪問をうけた立場になって、思うこと。

私の心は、まだ意外なところで傷ついているのかもしれない。

その日以来変わったこと、
癇癪を起こされるのが怖くてこれまで以上にわがままを聞いてしまうこと。

その日以来変わったこと、
近所の人の目がものすごく気になるようになったこと。

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これまで以上にわがままを聞いてしまう。

ほんの少しの対応の違いで、癇癪につながるかどうかの違いが生じる。

この時期は保育園から帰ってきてもまだ明るいので、
外で遊びたいといえば暗くなるまで一緒に遊ぶ。

夕飯の支度は何もできていないとき。
せめて炊飯器のスイッチを押してから、と思う。

でも、炊飯器のスイッチを押す数秒の対応次第で、
その後も機嫌よく遊べるか、グズグズになるか、癇癪のスイッチが入るかが決まってしまうから要注意なのだ。

あきらめる

これくらいなら些細なあきらめ。

でも、些細なあきらめもつもってくるとイライラにつながる。

ご飯を仕掛けることをあきらめて、外で遊ぶ

家に帰ると、「おなかかすいた」という。

あわてて支度をする。(冷凍ご飯をチン)

「いやだ、すぐ食べたい」

(ご飯のスイッチ入れてから遊ぼうって言ったのに
待てなかったからじゃん、と思う。)

「作ってるからまって」

テレビがついてないとなく。

つける

何かの番組の途中が映る。

「最初から!」と泣く

「これは今放送してるの。録画じゃないから最初からはできない」

「最初からなの。最初からって言ってるの」と泣く。

「お菓子食べたい」に主張が変化する

大慌てで解凍されたご飯にふりかけをかけて出す

「いやだ、お菓子!」

ふりかけごはんを口に持っていく

ぱくっ。
(と成功。ほっとする。)

わがままをどこまで聞くか。
今までも難しいなぁと思って来たけど、ますます難しい。

ただ、周りの子供たちを見ていると、
5歳にもなると大人の話を理解し、
わがままも言うけど、納得したり理解したり、
折り合いをつけられているようだ。

今3歳。
しっかりおしゃべりできるようになったからこそ、
こちらも話が通じると思って言い聞かせようとしてしまうが、
実際のところはズレがある。

そのズレも私の方で把握できているものもあるが、
できていないものがある

だから、伝わらなないもどかしさが癇癪(かんしゃく)につながる。

どこまでがわがままか。
どこからがしつけなのか。

どこまで大人の都合に合わせるのか。
どこまで子どもの希望に合わせるのか。

試行錯誤しながらだけど、その日以来、子どもの希望には可能な限りそれに合わせるようになってしまった。

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近所の人の目が気になるようになった。

夕方、よく一緒に遊んでいた子いる。
その日、その子は外に出て遊んでいなかった。

「もう、一緒に遊んじゃダメ」

と言われてるんじゃないかと思ってしまう。

いつも話しかけてくれるおばさんが、
あいさつだけで急いで通り過ぎていく。

「あの人、子供にひどく怒鳴ってて危ない人だから、疎遠にしとこう」

と思われてるんじゃないかと思う。

一歩引いて考えると、
被害者妄想の一種だと思う。

でも、当事者となってみると、案外、真剣にそう思ってしまうものだ。

実際に、その後は、
いつも通り近所の子と遊べるときは遊んでいるし、
おばさんとも世間話をしている。

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子どものわがままを聞いてしまう
近所の目が気になる

という影響が残っているものの
私はもう泣いてないし、元気です。

自分のこと、すごく近い周りのこととして虐待をどう防ぐのか、
どうサポートできるのかを考えるきっかけももらったし、
この体験が今後、笑い話にできそうだとようやく思えるようになって
noteに書いた。

そして、書くというアウトプットですごく楽になった。

FBのようにリアルな友人のタイムラインに流れることは避けたかった。
みんなに見てもらいたいというわけではない。
でも、アウトプットしたいし、アウトプットしたからには読んでもらいたい。
というわがままもnoteで叶えられている。

(読んでいただき、感謝します!)

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実はその後、子ども総合相談センターにメールを書いた。

子供の泣き声と叱る声に対する電話があったということで訪問を受けました。
マンションの同じフロアでどの部屋かはわからないということでしたが、
先週の金曜日の9:30頃であれば、子供の癇癪がかなりひどく、
私もかなり大きな声を出したのでうちに対するものだと思われます。

ただ、土日は比較的穏やかに過ごせたので、すっかり親子ともにリフレッシュしていました。機嫌も良く過ごせています。

その状態で、金曜日のいざこざをすっかり乗り越えたと思っていたのですが、
さすがに、月曜日の朝に訪問されると、私自身の心へのダメージが大きく、
その後、すぐに仕事に行かなければいけなかったのですが、仕事中にずっと涙がとまりませんでした。

通報してくださる近所の方がいることは、むしろ心配していただいていると感謝していますし、訪問してくださったことも感謝しています。

ただ、訪問のタイミングが私にはかなりダメージが大きかったので、
何かのご参考になればと、メールを送らせていただきました。

もし、金曜日の午前中にすぐ来ていただけていたなら、どんなに心強かったでしょう。
せめて、金曜日の夕方にでも来ていただけていたなら、相談してみたいと思ったかもしれません。

でも、すっかり乗り越えた月曜日、しかも仕事に出る直前というタイミングはとてもダメージが大きかったです。

せっかく癒えていた傷口がまた開いてしまったような感覚です。
なかなか難しいこととは思いますが、
もし、今後、そういうご配慮もいただけるのであれば、
救われる保護者も多いのではないかと思いました。

もちろん、虐待が強く疑われる場合は、そうも言っていられないと思いますが。

失礼かと思いましたが、感謝の気持ちもあって、メール差し上げました。
失礼いたしました。

丁寧な返信をもらった。

ご連絡いただきありがとうございます。
また、返信が遅くなり申し訳ございません。
この度は、私どもの訪問により深く傷つけてしまったこと、心よりお詫び申し上げます。

当センターに各種相談をいただいた場合、その内容等をもとに所内協議のうえ、訪問のタイミングを含め対応方法を決定することとしておりますので、皆様の意に沿えない対応となる場合もありますが、今回、いただいたご助言をしっかりと踏まえ、より保護者の気持ちに寄り添った適切な対応がとれるよう努力していきたいと考えています。

また、お仕事をしながらイヤイヤ期のお子さまを養育されるのは大変なご苦労と拝察します。今後、子育てのことで何かお困りがあればお気軽にご相談いただきたいと思いますし、気になることがあればご連絡いただきたいと思います。

この度はご連絡とご助言をいただき、誠にありがとうございました。
引き続き、当センター業務に御理解、御協力のほどよろしくお願いいたします。

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子ども総合相談センター事務所

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虐待問題に関しては、行政も市民も、真剣です。
だれもいい加減な気持ちを持っていない。

痛くないケガでも、ちょっと転んですりむいただけでも、
大きなケガのときも、
かわらず駆けつける。

ちょっとすりむいただけで駆けつけられた人は
もしかして私、これは大変なケガなのかも!?と不安になる。

それでも、駆けつけなきゃいけない。

大きな傷を負っている人ほど、声を上げて泣けない。
だからこそ、必要なところに必要な手が差し伸べられるためには、
どんなケガでも駆けつける。

それしかないのかもしれない。

書いてみたこと、発信してみたこと、 それが少しでもどこかで誰かの「なにか」になるならばありがたい限りです。