見出し画像

制作という名の生み出す行為

突然だが、私は子供を産まないという選択をした人間だ。

もちろん、最初からそんなことを決めていたわけではなく、子を産み育てていきたいという願望は、どちらかと言えばかなり強い方だったと思う。

女という生き物に生まれたからには、自分の体から生き物が生まれる様を味わってみたいと思い、普通の結婚生活を送ろうとしたこともあったが、結局「絵を描いて生きていきたい」という夢には叶わず、普通の人としての人生を送るという夢は儚くも散ったのだ。

子を産み育てる以前に、普通の人としての生活の中で、私は創作意欲が全く湧かなかった…そのことが何よりも私自身を絶望させたのだ。

「身体的にはまだ子供は産める年齢だし、諦めることはない」と励ましの言葉を頂く事もあるが、問題はそこではなく、私がこの先自分の夢を叶える過程で、子供を産み育てるという時間を捻出することが、どう考えても不可能なのである。

産み育てるのならば、子供のことをちゃんと考えた生き方をしたいと思うので、この先の自分の夢に私は間違いなく集中できなくなる。

会社員をしながら画家という職業に邁進できなかったのと同じで、2つの事に同じだけの力を注ぐことができないのだ。

これが私自身の性質であり、今まで何度となくトライを繰り返しながらも変わらなかった特性である。

私は芸術の世界に全力を注ぎ込むと決めた。

孫を抱きたい親には申し訳ないとは思うが、ここはどうか私の言い訳を聞いてほしい。

IMG_2682 - コピー

創造という観点から生み出す、を考える

私が制作をするものは、全て私という人間を表現したものだ。

「これぞ私だ」という自己主張の塊のようなものなので、うまく言葉で語れない感情なども、全てここに集約されている。

アートの表現方法としてはとてもアカデミックなものなのだが、私にとってはこれが唯一の自己表現なので、この方法はこの先も続けていくと思う。

もちろんこの先アートを続ける上で、アカデミックなものばかり表現しても現代アートにならないので、そちらに向けてのアプローチにも挑戦していくつもりだが、今回の焦点は「自己表現」なので、この話は割愛する。

絵を描く、作品を制作する、デザインをする、全てが私の自己表現だ。

私から生み出されるものは、全て私の作品、つまり子どもたちである。

私の中で生み出され、育ち、外に表現され、それが形を成して、この先何十年も何百年も、この世の中に残り続ける。

体を痛めてはいないけれど(いや、厳密には創造する際に苦痛や痛みが伴うのは否定できない)子供を産むように、作品を生み出す行為を行なっていると言える。

そう考えれば、私がこの世に生まれてきた意味もあるように感じるのだ。

女という生き物に生まれて、子供を産む能力があるのにそれを拒否し、創造という名の生み出す行為に準ずる。

生物的な観点で言えば、このような選択はナンセンスなのかもしれないが、私にとってはとても尊い選択だった。

誰に何を言われても、きっとこの選択を後悔することはない。

子供を産みたいと思い続けた人間が、夢を追うために出した結論を、どうか温かい目で見守ってほしい。

ここから先は

782字 / 1画像

¥ 100

よろしければ、サポートよろしくお願いいたします! 頂いたサポートは活動資金として活用させていただきます^^