サンタコンプレックス

今年のクリスマスは、学童でアルバイトをして過ごした。いつもより豪華なご飯をお腹いっぱい食べて、みんなで輪になってサンタさんからのプレゼントを開けて。いつもよりテンションの高いみんなの姿につられて、もう19歳なのに私も内心はしゃぐまくりだった。

学童でアルバイトをしていると、子どもたちは本当によく色んな質問をしてくる。小学生の彼らにとって、学校にいる先生とかとは少しちがう、大学生という存在は不思議なのだろうなと思う。昨日はクリスマスにちなんで「先生は小さいときサンタになにもらった?」という質問をされた。

わたしには、サンタさんが来たことがない。家族でクリスマスパーティーをした記憶もない。だからこの質問をされたとき、ちょっぴり苦しくなってしまった。子どもがなんの悪意がなくこの質問をしていることが分かるからこそ、大人げないのは分かっているのだけれど苦しかった。「サンタはみんなのところにくるものだ」と信じられる環境にある彼らが、羨ましくて仕方がなかった。

小山田咲子さんの、「えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛してる」というブログ本の中に、サンタにまつわる次のような一節がある。

毎年欠かさずに贈りものを用意してくれた両親には感謝している。(中略)
 しかし何より大切なのは、子ども時代に、見えないなにかを素直に受け入れる、想像力を働かせながら無条件の善意の存在を感じ取ることができるという体験そのものだと思う。遠くから自分を見ている、謎に満ちた、優しい存在。
 どんなに深くサンタクロースを信じた子どもでも、いずれはその存在を知り、枕元にプレゼントの無いクリスマスの朝を迎えるようになる。でも目には見えない大きな不思議な存在を一度真っすぐに信じた事実は消えないし、それは同じ誠実さで他の何かを信じることができる場所を心の中に培うということだと思う。
 12月25日の早朝、大きな箱を抱えて階下の居間へ続く暗い階段を降りる時の、足の裏の冷たさを思い出すと胸がいっぱいになる。プレゼントの包みはひとりの部屋では絶対に開けなかった。

小さいとき、サンタさんがこなかった。たったそれだけのことなのに、私の心は今でもちゃんと傷ついている。大人になってから、友人とクリスマスパーティーを開いたり、自分へのプレゼントをもらったりしても、その傷が癒えることは無かった。

この傷があるからこそ今の自分がいることは分かっている。大学に入ってから、そういう傷も含めて自分のことを心から愛せるようになった。けど、やっぱり私だって、サンタさんからのプレゼントが欲しかった。枕元にプレゼントを見つけて、どきどきしながら階段を降りる時の足の裏の冷たさを知りたかった。

たぶんこれは、わたしが一生抱え続けるコンプレックスなんだろうな。ああ罪深きサンタ。


追記

最近増刷されたらしい。本当に素敵な本なので、是非🕊

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?