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サくら&りんゴ #41 家族関係が複雑すぎて英語理解をはばむ件。

家族関係が複雑
カナダの知り合いたちのことである。

オンラインのヨガ友が顔を見に立ち寄ってくれた。
お父さんが亡くなり、その後の事務手続きの話を聞く。
しかし、叔母マリンダ、従兄のキースまではいいがそこに、My dad’s wife (つまり友人の母でない、育ての親でもない)の方の義理の従妹キャサリンと言われるとだんだん頭がこんがらがってくる。
彼女の英語についていくだけで精一杯なので、家系図を頭に描くのは放棄。とりあえずrelatives(親戚)というくくりにしておく。
 

友人たちの家族関係は話のついでに出てくるので、たいていサラッと通り過ぎていく。
しかし、え?っと思わず聞き返すことがある。
ある男性は妻と離婚係争中。6歳の女の子がいる。
久しぶりに娘に会いに行くと言うのでその子の事だと思っていたら、見せてくれた写真がハタチくらいの美女。誰?

あれ、言ってなかったっけ?僕の娘。最初の。

最初って??
彼はまだ30代だったはず。

結婚しなかったけどね、15の時の。

私はひっくり返りそうになった。そんな娘がいたとは。

ある知り合いの女性は3人の子持ち。それぞれに父親が違う。
思わず小学生の頃習った3つの集合円グラフ(ベン図?)を頭に浮かべた私である。

3つの円が重なる部分はないだろうけれど。

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アメリカで孤児院にいた夫は、1歳半の時育ての親に引き取られた。夫にはその家庭で一緒に育った血のつながらない妹と、後に見つかった血のつながった妹がいる。母方でつながっている、つまりhalf sisterで、彼女から別の兄がいると聞かされる。その夫にとっての弟は今もって居所はわからない。母は夫を生んですぐ離婚し、生まれ故郷のイングランドに帰ってしまったのである。

そんな風なのでカナダの私の知り合いたちは、日本で言う家族、そしてそれは最後に一緒のお墓に入っていくという考えとは相当違っている。

私が夫と再婚した時古風な姉は、そっちの家のお墓は? と聞いて来て、そんなものはないと説明するがいまひとつ理解してもらえない。そして、私が死んで ”そっちの家のお墓“ に入ったら、東京にいる私の子どもたちがお墓参りに行くのが大変だと嘆いている。
そもそも夫はアメリカからカナダに移住しているので、”そっちの家“ のお墓どころか夫の育ての親を始め、その親戚関係にある誰のお墓もカナダにはない。

そんな姉の娘が最近結婚した。

私がきちんと躾けてこなかったので、ooさん(新夫の名前)に色々教育されていると思います。とlineメールにある。
一体全体、職場の同僚であった同い年の夫からどんな“教育”を受けると言うのだろう?
さらに、
XX家(夫側の家)のやり方を1から教えてもらいなさいと娘に言ってあります。そして向こうのお母さんにもそう伝えておきました。

と続いていてびっくりした。それとともに
そんな時代があったんだな~と思う。姉とは三つしか違わないのに、私はそう言う考えを持ったことがなかったのである。

でもひょっとしたら今も日本では、はっきりとした言葉でなくても、そんな感覚が母から娘に受け継がれているのだろうか?

夫とその家の色に染まる。そう言う表現があった。
日本に住む今の若い人たちは、どんな風に考えているのだろう。


カナダでは9月のロングウィークエンドが終わって学校が再開した。
スクールバスがやってきて子供たちを吸い込んでいく。

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子どもたちは
それぞれの家庭で
それぞれのロックダウンと
2年前とは違うサマーキャンプもない夏休みを経て
でもみんな一様に
新しい学年を迎えて
登校する
そんな娘や息子、孫たちの
Day 1 in School 登校初日の写真が
フェイスブックに上がってきている。

また以前の日常が戻って来た。
前と同じ普通の生活が再び始まった。
そんな風に見える。

Adams Roadを通り過ぎていくこのスクールバスを
夫は窓から
仕事をしていた頃はオフィスの椅子に座って
そして最後は病床で
毎朝決まって眺めていた
体調が変わっても
それは続けられている日常のひとコマだった

ある時ベッドのヘリに腰かけて夫は言った

I just want to have a normal life with you.
普通の生活を送りたい

それはきっと健康な生と言う意味だったと思うけれど

孤児院から出発して
ベトナム戦争に行って
そのため精神を患って
カナダに移住して

そんな人生を経て夫は
どんな生活をもって
普通と考えたのだろう

夫の道が私のと交じり合ったあとも
その道は私にとって
ちっとも普通じゃなかったから
何ひとつとっても
わたしのかつての東京の日常とは
かけ離れていたから


湖畔の家では
Adams road を背に
湖が見える

夏の暑い日も
嵐の日も
湖はそこにある

深く凍って
雪が積もっても
湖はやっぱりそこにある

世界がロックダウンになると
行き場のなくなった子どもたちを受け入れて
そして今日は
ただ 
しんとしている

変わらず存在してもその色は
刻々と変化している
昨日とは違う水面 波音
そして明日もきっと
変わらずそこにあって
でもまた別の色と音を連れてくる

それは私が
夫と元居た場所に戻ることが
二度とできないのと同じように
きっぱりと
再びの今日の色はない




若いカップルだろうか、パタルボードが二つ 岸から離れていく
湖面に静かな縞模様が残る。

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ボートたちはつながれたまま湖にとどまって、
夏の最後のチャンスをうかがっている。


日本とカナダの子供たちのために使いたいと思います。