もっとも悲しくて最悪で有意義な獣医のお仕事
携帯電話に着信があり「休日なのに仕事か」と若干うんざりしながら、羽尾高志(はねお たかし)は電話に出た。
週に一回の休診日には、動物病院へかかってきた電話が羽尾の携帯電話に転送されるようになっている。
従業員はみんな休みなので、院長と言えどもめいっぱい働かなければならない。
急患が困ってしまわないようにという措置だが、やはり休みの日には働きたくないという気持ちも出てしまう。
しかも今は、ジムでストレッチが終わり、さあこれから筋トレを始めようという所だった。
しかし、次の一言で弛緩していた神経が急速に緊張した。
「もしもし、警察ですが」
予想もしていなかった、職務中の警察官からの診療依頼だった。
急いで駆けつけると、動物病院の駐車場には、本当にパトカーが止まっていた。
「あなたが先生ですね。この犬の治療をお願いしたいのです」
羽尾は、これが小説やドラマなどで見た、有無を言わせない警察の話し方か、なんて事をぼんやりと考えていた。
警察官の話によると、患者は山田さんという60代のご夫婦が飼育しているチョコという名前のチワワだった。
事故により奥様は入院して、チョコはこちらに搬送、事故に遭っていないご主人は奥様の病院へ行った、という事だった。
警察官は、上の開いた段ボールに入った血まみれで立ち上がれない、塊の様になった犬を渡すと、そそくさと職務に戻って行った。
怪我をしたチワワなど見慣れていないのだろう。
羽尾は手早く身体検査、超音波検査、X線検査そして血液検査を済ませた。
骨盤と左右の後ろ足に複数個所の骨折がみつかった。
その他に内臓などへの深刻なダメージは無いと判断した。
足から腰にかけての皮膚がかなりの広範囲にわたって裂けていた。
マンションの四階から犬が落ちたら、普通は即死だろう。
立ち上がる事すら出来なくても、これくらいの怪我だけで済んだのは、幸運だと言って良いだろう。
まずは痛み止めと止血剤と抗生剤の注射をした。
そして局所麻酔を施し、手早く傷口の消毒と縫合をして包帯を巻いた。
相当な傷だったので処置には数十分を要した。
「これで、綺麗にくっつくだろう」
そう確信しつつ入院室へ移動させる頃には、痛みどめもしっかり効いてきたためか、チョコはすっかり落ち着いていた。
とりあえずのやるべき処置は終わり、今後の治療についての相談をするため、山田さんのご主人からの連絡を待つことにした。
その日の夜遅く、再度動物病院から転送された着信が携帯電話にあった。
大学を卒業して15年、自ら開業した動物病院の院長になり10年。
それなりのキャリアを積んできた羽尾にも想定していなかった話が、山田氏から語られた。
飛び降り自殺。
山田さんの奥様が衝動的にマンションの四階からチョコを連れて飛び降りた、らしい。
奥様は意識不明で、今日か明日にも命が危ないという絶望的な状況だった。
常日頃から「私が死ぬときはチョコも一緒に連れて行きたい」と言っていたそうだ。
とりあえず状況が落ち着くまではこのまま入院で加療して欲しい、という山田氏の申し出を、羽尾は受け入れた。
動物の強さというか回復力には、度々驚かされる。
チョコは次の日にはお座りの姿勢を取れるようになった。
支えてやると自力で排尿まで出来たし、食事も物凄い勢いで食べた。
「この分だと命は助かるだろう」と羽尾は山田氏に電話で報告することが出来た。
今後の懸念は、排便と歩行が可能になるかという二点だった。
折れた骨盤は直腸を狭くしているため、便が出にくい恐れがあった。
また、後ろ足の骨折を合わせて考えると、それぞれの骨折部位を整復するための手術は必要になるだろう。
手術費用で40万、さらに入院費用を合わせるとかなりの金額になる。
普段の言動から察すると、山田氏は手術費用がかさばるため、手術をしたくないと言うかもしれないと考えられた。
そうなると排尿と排便の介助が今後ずっと必要になる可能性が高い。
「山田氏の負担は大きいだろうな」
いずれ相談しなければいけない問題を考えると、羽尾は気が重くなった。
手術をした方が良いのは疑いようのない事実だ。
これはしっかり勧めなければならない。
しかし、手術が選ばれなかった場合、介助の方法を緻密に練り、山田氏の負担を減らす必要がある。
その日の夜、奥様が息を引き取った事を報告された。
電話越しに山田氏の慟哭を聞きながら、羽尾には適切なかける言葉がみつからなかった。
奥様の葬儀などの手配も済み、山田氏が面会に訪れた。
たった数日だが、離れていた時間がよほど寂しかったのだろう。
チョコの喜びようは相当なものだった。
千切れんばかりに尻尾を振り、横になったり起きたり、耳を寝かせて頭を撫でやすい様な柔和な表情になったりした。
「クーン、クーン」とか、「ウニャン、ウニャン」とか「ワホォ、ワホォ」などと、吠えるというよりは喋っている様な声を出していた。
それはあたかも「どこに行っていたの」とか「触って、撫でて」とか「早くお家に帰ろうよ」と言っているようだった。
そんな姿を見ながら「よし、手術と予後の話をするのは、このタイミングだろう」と羽尾が切り出すより前に、山田氏の口から思っても見なかった言葉が発せられた。
「安楽死をお願いします」
こちらの方は一切見ずにチョコをまっすぐに見ながら、滔々と話し続ける山田氏の意思の硬さが、実感を持った重みで伝わってきた。
もともと奥様がお世話をしていて、そちらにかなりなついていた事、仕事があるためお世話は難しい事、手術の費用の捻出が困難な事などが語られた。
羽尾は羽尾で、チョコの体格に合った骨盤のプレートや後ろ足に入れるプレートやスクリューなどの手術器具を入手する手筈を整えようとしているところだった。
大きな手術を前にして半ば浮き足立っていた自身の能天気さを呪いたくなった。
動物医療には、安楽死という選択肢がある。
これは、動物が不治の病で苦しんでいる時や、重度の認知症でご家族の皆さんが介護しきれない時などに行われる。
麻酔薬のたぐいを致死量で使う事により、痛みや苦しみが無いように楽に死なせる、という措置である。
学生の頃によく行っていたバーのマスターは「高志、お前は獣医になっても、絶対に安楽死なんてするんじゃねーぞ!」
と言っていたものだ。
当時は「そんな事しませんよ」
そう答えていた。
しかし、現実はそんなに単純では無かった。
時には動物が苦しさでのた打ち回り、時にはご家族が「頼むからもう楽にしてやってくれ」と懇願する声に従い、安楽死の処置を行わざるを得ない場面が度々あった。
安楽死をする行為が正しいかどうかは常に考えるが、納得の出来る明確な答えは未だに見つかっていない。
それでも毎回、獣医学的な安楽死適応の基準に当てはまるかどうかを吟味する事は欠かさなかった。
すなわち、下記①から⑥のすべてに当てはまるか、③と④には当てはまらなくてもご家族がお世話をし切れない場合には適応となる。
①状態が解放に向かわず悪化していく
②治療で良くなる余地が無い
③動物は痛みや不自由さで苦しんでいる
④それらを緩和する余地が無い
⑤自ら食事や排せつが出来ない
⑥動物が生きる事を楽しめず、性格が激しく変わる
これらはあくまで基準で、あらゆるケースで明確に線引きが出来るわけでは無い。
動物医療に携わる人間は、安楽死なんしたくない。
それでも処置を行う場合、それに対しての正当性が無ければ、やる側は辛すぎる。
動物に対して良い事を、自分が正しい事をしている。
そう思えなければ、それは動物を殺すという行為でしかない。
立てるようになったり少し歩けるようになったり徐々に快方に向かっていて、骨折や全身打撲の痛みも緩和されてきて、オムツを穿かせれば当面は困らないであろうチョコは、断じて安楽死の基準なんて満たしていない。
しかしそこへ、山田氏は深く頭をさげてお願いです、とさらに続けて言った。
この言葉は、羽尾にとって永らく忘れられない物となった。
「先生、家内は自分が先に亡くなってチョコを置いていく事なんて出来ない、と日頃から言っていたんです。だから一緒に飛び降りたんだと思っています。どうか、あいつの傍に逝かせてやってください。早く天国で一緒にいさせてやりたいんです。どうか、どうかお願いします」
お世話が出来ないのであれば、動物病院で引き取ったり里親さんを探したりする場合もある。
費用の問題であれば、おおっぴらには言えないが、多少の融通をきかせる場合もある。
しかし、チョコは絶対に死ななければならない、山田氏の言葉はそういう意味だ。
羽尾は、自分が安楽死処置をしなければならないのだと悟った。
動物にも生きている理由や使命の様なものがある。
家庭で飼育されている犬には、家族の心を和らげたりして、幸せにすることがそれにあたる。
もはやチョコが生きている理由は無い。
むしろ生きている限り山田氏の心に平穏を訪れさせない、苦痛を与え続ける存在になってしまった。
次の日、チョコの安楽死は行われた。
たくさん好きな食べ物を食べた後、天気の良い昼だった。
動物はいつも、自分から死にたいなんて考えない。
奥様の行為は無理心中だったと言える。
それに巻き込まれながら奇跡的に一命を拾った。
四階から落ちたのに、なぜ助かったのか?
それは、奥様が無意識のうちにチョコをかばったから、かもしれない。
全てが済んで、棺に納められたチョコを山田氏が引き取りに来た。
「先生、本当にお世話になりました。辛いことまでお願いして、本当にご迷惑をお掛けしました。」
でも助かりました、と山田氏は晴々とした表情をした。
奥様とチョコが天国に行ったのかは、誰にもわからない。
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