なんで毎日ブログを書くのか


こんにちは!あいでんです。

絶賛ゼミ選期間中でこの体験も1年ぶり。ここまでカロリーを使うものだっけなとか思いながら毎日2年生と接しています。そんなこんなで昨日の記事は頭が全く動いてくれなくて、全く書く作業が進みませんでした。

それに昨日の夜は久々に友人と宅飲みなるものをし、めちゃくちゃ熱いトークをかましてきました。久々に良い夜を過ごしましたね。夜更かしをしても朝からいろんな人と対面に対面を重ねる。かなりカロリーを使います(笑)。

でも、意外と嫌ではないし苦でもない。それになんだかんだ真正面からその人の深いところまで話す機会というのは滅多にあるものではないので、それはそれで貴重に感じる。


しかしながら流石に2年目にもなればある程度のデータがインプットされていく。男は友人と一緒に回りがちだったり、終盤になって焦って訪問してくる人は自分で考えるのを苦手としていたり、などなど。

私の肌感覚だけども、こちらの問いかけに対して考えてくれる人は最初から考えてくれるし、考えてくれない人はいつまでも考えてくれない場合が多い。普段からそういう習慣があるのか否かという差ではないだろうか。が、後者が完全に思考停止しているのかというと実はそうではなくて(便宜上はそういう風に表現しているけども)、ある一定水準に達した時に自分と向き合うことをやめるんだろうなと感じている。

それは過去を振り返ったり、今の自分を見つめ直したりとシチュエーションとしては様々だけれども精神的負荷がかかることが大きいのだろう。


といいながらも昨日の自分は完全に思考停止している人間だった。それ故に記事は納得のいく内容ではなかったし、あんなに頭が回らないのも久しぶり。

でもよくよく考えると2年前の自分はもっと考えることはできなかったわけで、もっとキャパは少ないものだった。それでも自分が毎日ブログを投稿できるくらいにはキャパが増えたのは日々の鍛錬というか習慣の結果だと言っても過言ではない。それはゼミで習慣化された自分と向き合うという側面も関係しているだろう。


この前の記事でも「成功するには継続するしかない」と言ったけれども、実は継続すること=習慣化してしまうということよりも、逆にしないほうが落ち着かないくらいの感覚にしてしまうことが重要なんじゃないのかと。

そう考えると意外にもnoteがそうゆう感覚になっていたことにふと気づく。やめようと思えばいつでもやめられるブログがここまで続くことになるとは正直思ってもなかった。これだけ毎日続けているといろんなことがある。


例えば、現在まで100数記事出しているんだけれども「誰に読んで欲しいのか」というのが意外と明確だったりする(記事それそれによってその相手も変わるけど)。というのも顔が見えない人に向けて書くのが難しいと気づいたからだ。ただ、想定していなかった人が読んでくれていると聞くと結構嬉しいのは確かだ。

続けていくことでいろんな人からいろんな声を聞けるようになった。あ〜今日くらいサボっちゃおうかなと思う日もあるけれど、なんだかんだ時間や出来事を見つけて書くようにしている。続けることでわかることもあるし、あえてやめることでわかることもある。

ただ、少なくとも私がこの2日間ブログを書くのに四苦八苦しているのは時間やキャパオーバーではないことに今気づいた。要は自分と向き合う時間をつくれるかどうかなのだ。あとは自分の決めたことくらいやり遂げようみたいな美意識的な感覚。


だから「なぜ毎日書くのか」と問われると今までは「毎日書く癖をつけたい、頭の整理・アウトプットすることを習慣化したい」という風に答えていたんだけれども自分と向き合う時間がほしいだけなのかもしれない。「今日の自分は美意識ある自分だったか」っていう感じ。

そう考えると、以前の記事で「相手に向き合ってもらうためにはまず自分が向き合うべし」的なことを偉そうに書いたんだけど、自分サボっちゃってんじゃん。美意識ゼロじゃん、みたいな。

こういうことを自然と考えてしまうのがこのゼミ選時期のある種の魅力だよね。冒頭の「真正面からその人の深いところまで話す機会」って自分も含まれるという魔境がこのゼミであり、この時期なんだなって改めて思います。そういうところが好きなんだけどね(笑)。

それじゃあ、最終日も頑張りましょう。

それでは、また次回!

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